2020年 一覧情報 2020年12月08日 熹平03年(174)20歳:巻1「武帝紀」裴注引『曹瞞伝』:洛陽北部尉の役所に入ってまず、四門を修理させ、その左右に五色の杖を準備し、禁を犯せば権勢ある者もみな殴り殺した。近習の寵臣たちは皆彼を嫌ったが、中傷もできないので、皆で推薦して頓丘令に遷した。1-p.3*, 1-p.012** 2020年12月08日 熹平03年(174)20歳:巻1「武帝紀」:二十歳にして、孝廉に挙げられ郎となり、洛陽北部尉となった。1-p.2*, 1-p.010** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻12「崔琰伝」裴注引『魏略』:婁圭は若い頃、曹操と古馴染みだった。2-p.373*, 4-p.404** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻12「崔琰伝」裴注引『魏略』:許攸は若い頃、袁紹や曹操と仲がよかった。2-p.373*, 4-p.404** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻10「荀攸伝」裴注引張璠『漢紀』:(時の名士)何顒は、十分に曹操の奇才を認め、荀彧のことを知っていたが、袁紹は何顒を慕い、ともに奔走の友となった。 2-p.322*, 2-p.269** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻7「呂布伝附張邈伝」:曹操、袁紹は皆、張邈の友人であった。1-p.221*, 2-p.013** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻6「袁紹伝」:曹操は若年の頃、袁紹と交友関係があった。1-p.188*, 1-p.447** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻1「武帝紀」裴注引孫盛『異同雑語』:曹操は、かつて中常侍の張譲の室内に侵入し、発覚したが、庭で戟を手にして舞い、垣を越えて脱出した。人並み外れた才武を持ち、誰も彼を傷つけられなかった。群書を博覧し、特に兵法を好み、諸家の兵法を抄集して『接要』と名づけ、また『孫武』十三篇に注し、いずれも世に行われた。かつて許劭に「自分はどんな人間だ」と問い、許劭は答えなかった。問い詰めると、許劭は「そなたは治世の能臣、乱世の奸雄だ」と言った。曹操は大いに笑った。(『後漢書』巻68・許劭伝には、「君は清平の奸賊、乱世の英雄なり」と。『世説新語』識鑑篇には、橋玄の曹操評として「乱世の英雄、治世の奸賊」と。)1-p.3*, 1-p.011** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻1「武帝紀」裴注引『世語』:橋玄は曹操に、「君はまだ名声がない。許子将(許劭)と交際するがよい」と言った。曹操は許劭をたずね、許劭はこれを受け入れた。これにより名を知られるようになった。1-p.3*, 1-p.011** 2020年12月08日 建寧02年(169)15歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:大尉橋玄は、人を見る眼があることで名高かったが、曹操を見てその異才を認め、「私は天下の名士を多く見てきたが、君のような者は初めてだ。君は自分を大切にせよ。私は年老いた。どうか妻子をよろしく頼む」と言った。これにより、名声がいよいよ高まった。(続く裴注に引く『続漢書』、張璠『漢紀』に橋玄の人格等について記す。)1-p.2*, 1-p.010**