2020年 一覧情報 2020年12月08日 巻36「蜀書・馬超伝」:222年、馬超、死に臨んで、……我が一門は曹操によって誅殺され、ほぼ絶滅し、馬岱だけが残っている……と。4-p.947*, 5-p.152** 2020年12月08日 巻36「蜀書・馬超伝」:221年、劉備が馬超を昇任させる辞令に、……曹操父子は代々罪を重ね……、と。4-p.946*, 5-p.151** 2020年12月08日 巻35「蜀書・諸葛亮伝」裴注引『漢晋春秋』:諸葛亮の上言に、「曹操は智計がことさらに人よりも優れ、その用兵のあり方は、孫子・呉子を髣髴とさせるが、しかし南陽で窮地に陥り、……」と。4-p.923*, 5-p.131** 2020年12月08日 巻35「蜀書・諸葛亮伝」裴注引『諸葛亮集』:この年(223年)、魏の司徒華欽・司空王朗・尚書令陳羣・太史令許芝・謁者僕射諸葛璋がそれぞれ諸葛亮に書簡を送り、天命人事を述べ連ねて藩国となるように求めたが、諸葛亮は返書を送らず、正議を作った。その中で、「孟徳はその偽りの力で数十万の兵を集めて、張郃を陽平に救ったが、窮地に陥って、自ら脱出するので精一杯という有様で、その精鋭の兵を辱め、かくして漢中の地を失って、神器をみだりに獲ろうとしてはならないことを深く思い知らされ、帰還の途中に毒に当たって死んだ」と。4-p.919*, 5-p.120** 2020年12月08日 巻35「蜀書・諸葛亮伝」裴注引『蜀記』:郭沖の諸葛亮の言に、曹操は劉備を殺すために刺客を送り込み、諸葛亮がそれを見破った、と。4-p.917*, 5-p.117** 2020年12月08日 巻24「高柔伝」:高柔、明帝の時代に上疏して、「……漢末、礼楽が崩壊し、群雄割拠の時代となって儒者たちが世から隠れた。曹操はこのような状態を悲しみ、郡県に教学の官を立てた……」と。3-p.685*, 4-p.079** 2020年12月08日 巻21「衛覬伝」:衛覬、明帝の時代に上疏して、「……武皇帝の時代には、後宮では食事は肉料理一皿を越えず、衣類には錦繍を用いず、夜具には縁飾りをせず、器物には漆塗りはなく、そうして天下を平定し、福を子孫に残すことができました。……」と。3-p.612*, 3-p.419** 2020年12月08日 巻20「武文世王公伝」裴注引『魏氏春秋』:曹冏の上書に、魏曹操武皇帝は、漢王室の廃絶を憂えて、邪悪なものどもを征伐したのだ、と。2-p.594*, 3-p.379** 2020年12月08日 巻20「武文世王公伝(楽陵王茂)」:曹茂は傲慢で強情な性格だったので、若い頃から曹操から愛されなかった。2-p.589*, 3-p.366** 2020年12月08日 巻20「武文世王公伝(趙王幹)」:勝手に賓客と交際した曹幹を戒める(明帝の)詔書に、「太祖(曹操)は命を受けて創業すると、深く治乱の源を観察し、存亡の機を鑑みて、初めて諸侯を封じ、恭順で慎み深くあれと訓戒し、天下の名士を補佐に与え、常に馬援の遺誡を称賛され、諸侯と賓客との交際を重く禁じ、それを妖を犯すことと同罪とした」と。2-p.p.586*, 3-p.357**