2020年 一覧情報

2020年12月08日
建安21年(21662歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:二月辛未(1日)、所管の役人が大牢(牛・羊・豚の三種をそろえた供え物)をもって廟に帰還を告げ、勲功を記録した。令に、「論者は、祠廟では殿に上るとき履を脱ぐべきだと言う。私は錫命を受け、剣を帯び履を脱がずに殿に上ることとなった。今、廟で祭祀を行うのに履を脱ぐとなると、これは先公を尊んで王命をなおざりにし、父祖を敬って君主をないがしろにするということだ。だから私は敢えて履を脱いで上殿することはできない。また、祭祀に臨んで手を清めるのに、手を水につける真似をして実際に洗わないが、そもそも手を洗うのは清潔さを尊ぶからなのに、真似事だけして洗わないなどという礼は聞いたことがない。それに、「神を祭るには神の在るが如くせよ」(『論語』八佾)というではないか。だから私は自ら水を手に受けて洗い清めるのである。また、神を降ろす儀礼が終わると、階段を下りて幕のところに立ち、音楽の演奏が終了するのを待つが、それでは烈祖を楽しませず、祭りが早く終わらないかと待ちかまえているかのようだ。だから私は、座ったまま音楽が終わり神を見送ってしまうまで待って、それから起き上がることにする。供え物の肉を受け取って袖に納め、侍中に渡すのは、これは敬恭の行いを全うすることにならない。古代においては自ら祭事を執り行っていた、だから私は自ら供物を袖に納め、最後まで抱いて帰ることにする。仲尼は『衆と違ふと雖も、我は下に従はん』(『論語』子罕篇)と言ったが、誠なるかな、この言葉は」と。1-p.47*, 1-p.103**
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