2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻26「牽招伝」:牽招、曹操の漢中征伐に従い、曹操は帰還するとき、招を留めて中護軍とした。牽招は、鄴に帰還すると、平虜校尉に拝せられた。3-p.731*, 4-p.175** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻25「楊阜伝」:曹操は漢中征伐のとき、楊阜を益州刺史とした。3-p.704*, 4-p.121** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻16「鄭渾伝」:曹操の漢中征伐のとき、鄭渾を京兆尹とした。鄭渾は立派な成果を上げ、曹操はますます感心して、再び入れて丞相掾とした。2-p.511*, 3-p.202** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻16「杜畿伝」裴注引『杜氏新書』:平虜将軍の劉勲は、曹操にかわいがられ、朝廷に重んじられていた。かつて劉勲が杜畿に大棗を求めたが、杜畿は別の理由にかこつけてこれを拒否した。後に勲は法に伏したが、曹操は杜畿の書いた手紙を手に入れ、その権力者に媚びない姿勢に感嘆し、州郡に向けて、彼を仰ぎ慕うように言った。2-p.497*, 3-p.169** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻16「杜畿伝」:曹操が漢中を征伐する時に徴発された人々は、杜畿の気持ちにそむくまいとして、一人の逃亡者もなかった。2-p.497*, 3-p.169** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻17「徐晃伝」:徐晃、曹操の張魯征伐に従う。徐晃は別に派遣されて山氐を伐ち、皆これを降す。2-p.528*, 3-p.234** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻16「蘇則伝」:曹操が張魯を征伐した時、蘇則の治めていた郡を訪れ、則を見て悦び、軍の先導とした。張魯が破れると、則は異民族をも含めて人民をよく養い治めた。2-p.491*, 3-p.157** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻15「張既伝」:張既は、曹操の張魯征伐に従い、別軍として氐族を伐ち、その麦を収めて軍食に当てた。張魯が投降すると、張既は曹操に、漢中の民を長安及び三輔に移住させるよう進言した。2-p.472*, 3-p.117** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻14「劉曄伝」:曹操が張魯を征伐した時、劉曄を主簿とした。漢中に到着して勝ち目なしとして引き返そうとした曹操に対して、劉曄は攻撃すべきだと進言し、かくして漢中は平定された。劉曄はさらに蜀の地を平定すべきだと進言したが、曹操は聞き入れず、帰還した。(同伝裴注引『傅子』に経緯を記す。)劉曄は行軍長史兼領軍に任命された。2-p.445*, 3-p.053** 2020年12月08日 建安20年(21561歳:巻13「鍾繇伝」裴注引『魏略』:曹操が漢中を征伐した時、曹丕は孟津にあって、鍾繇が玉玦を持っていると聞き、それを得たいと望んだが、公言しにくかった。そこで、密かに曹植に使いを出し、人づてにこのことを鍾繇に伝えさせた。鍾繇はすぐにその玉玦を送ってきた。曹丕は鍾繇に書簡で礼を述べた。2-p.396*, 2-p.457**