2020年 一覧情報

2020年12月08日
建安19年(21460歳:巻1「武帝紀」裴注引『九州春秋』:参軍の傅幹が「天下を治める大きな道具には二つあって、それは文と武である。武を用いるなら威を優先し、文を用いるなら徳を優先し、威と徳とが十分に助け合って、そうしてこそ王道が完備するのである。かつて天下は大いに乱れ、上下とも秩序を失ったが、明公(曹操)は武をもってこれを打ち払い、十に九を平らげた。今、王の命に承服していないのは呉と蜀であるが、呉は長江という険阻な地の利を持ち、蜀は崇山という地の利を持っていて、簡単に威をもって服従させることはできないが、徳をもって懐柔することは容易である。愚考するに、しばらく武器を置き、軍隊を休ませて、土地を分け与えて封土を定め、論功行賞をするのがよい。もしこのようにすれば、内外の心は固まり、功績のあるものは推薦されて、天下の人々は秩序を知るだろう。そうした後に、だんだんと学校を興し、その善性なるものを導いてその節義を伸ばしてやればよい。公は神の如き武力で世の中を震撼させたが、もし文を修めてこれを補うならば、天下に服従しないものはないだろう。今、十万の衆を挙げて長江の岸辺に駐屯させているが、もし賊が堅固さをたのみに深く隠れてしまったら、兵士も馬もその能力を発揮できないし、臨機応変の奇策も用いる機会がなければ、大いなる威力はくじかれたのに、敵の心は服従させることができないことになる。ただ明公には虞舜の干戚舞の意義を思い、威力を十全に、徳を養って、道をもって勝利を収められるように」と諌めたが、曹操は従わず、軍は結局戦功を上げなかった。1-p.43*, 1-p.095**
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