2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻21「衛覬伝」:魏国が建てられると、侍中に拝せられ、王粲とともに制度を司った。3-p.611*, 3-p.416** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻21「王粲伝」:魏国が建てられると、侍中に拝せられた。博識で、あらゆる問いに答えた。時に旧儀が廃れていたが、新しい制度を作る時、王粲は常にこれを司った。3-p.598*, 3-p.385** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻16「杜畿伝」:魏国がすでに建てられると、杜畿は尚書に任命された。2-p.497*, 3-p.169** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻15「張既伝」:魏国が建てられると、張既は尚書となり、雍州刺史となった。曹操は張既に、「君を本州に還すのは、錦を着て昼に行くものと言ってよいだろう」と言った。(裴注引『魏略』に、張既は代々単家だと。)2-p.472*, 3-p.118** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻15「梁習伝」:建安十八年、并州が冀州に合併すると、梁習は議郎西部都督従事に拝せられ、冀州のことを全て統括するようになった。2-p.469*, 3-p.110** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻14「劉放伝」:魏国が建てられると、劉放は太原の孫資とともに秘書郎となった。資もこれに先んじて県令を歴任し、参丞相軍事であった。(裴注引『資別伝』に、曹操が司空となって、資を辟したことを記す。また、魏文帝の時代になって、諸葛亮と戦う上でしばしば曹操の戦略を引き合いに出したことも見える。)2-p.457*, 3-p.081** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻14「程昱伝」裴注引『世語』:かつて曹操が食糧に乏しかった時、程昱はその出身の県を略奪し、三日分の食糧を供給したが、人の干し肉をかなり混ぜ、これにより朝廷での人望を失った。だから彼は公の位に至らなかった。2-p.429*, 3-p.020** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻14「程昱伝」:魏国が建国されると、程昱は衛尉となり、中尉の邢貞と威儀を争い、免職となる。(文帝が即位すると、再び衛尉となり、安郷侯に封ぜらる。)2-p.429*, 3-p.020** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻13「王朗伝」裴松之注:『王朗集』に、王朗が大理であった時、主簿であった趙郡の張登を推薦した文章を載せる。曹操は緊急のことが多かったために抜擢する暇がなかった。黄初年間の初め、王朗は再び、大尉の鍾繇と連名で張登を推薦した。2-p.411*, 2-p.494** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻13「王朗伝」:魏国が建国されると、王朗は軍の祭酒として魏郡太守となり、少府、奉常、大理と遷った。2-p.407*, 2-p.485**