2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻13「華歆伝」:魏国が建国されると、華歆は御史大夫となった。2-p.403*, 2-p.475** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻13「鍾繇伝」:魏国が建国されてまもなく、鍾繇は大理となり、相国に遷った。2-p.394*, 2-p.454** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻12「何夔伝」裴注引『魏書』:(魏国が建てられた頃)丁儀兄弟は寵愛を受けていたが、丁儀は何夔とそりが合わなかった。尚書の傅巽は何夔に、「丁儀の憎悪ははなはだしい。あなたの友人の毛玠はすでに丁儀にひどい目にあった。あなたは少し彼に譲歩したほうがよいだろう」と忠告したが、何夔は志を屈しなかった。2-p.381*, 2-p.422** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻12「何夔伝」:何夔は、魏国が建国されると尚書僕射に拝せられた。2-p.381*, 2-p.421** 2020年12月08日 建安18年(21359歳:巻12「徐奕伝」:徐奕、魏国が建国されると尚書となり、また選挙のことを司り、尚書令に遷った。2-p.377*, 2-p.414** 2020年12月08日 歳:巻10「荀攸伝」:魏国が建つとすぐに尚書令となった。2-p.324*, 2-p.275** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻12「崔琰伝」:崔琰は容姿に優れ、威厳があって、朝廷の官僚たちは彼を仰ぎ見、曹操もまた彼を敬遠した。2-p.369*, 2-p.392** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻11「王脩伝」:魏国が建てられると、王脩を大司農郎中令とした。曹操は、肉刑を実施するかどうか諮ったが、王脩は時期尚早と考えた。曹操は王脩の議を採択した。奉尚に遷された。厳才が反乱を起こして掖門に押し寄せた時、王脩は異変を聞きつけて宮門に駆けつけた。曹操は銅雀台でこれを望見し、「あれへやって来るのはきっと王叔治(王脩)だろう」といった。相国の鍾繇が「旧来では、宮城で異変があれば、九卿はそれぞれの役所にいることになっている」と言うと、王脩は「その禄を食みながら、どうして国難を避けることができよう。役所に詰めるのはしきたりかもしれないが、難に赴く義にそむくことになる」と言った。2-p.347*, 2-p.328** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻11「袁渙伝」:魏国が建てられると、袁渙は郎中令となり、御史大夫の仕事を兼務した。袁渙は曹操に、「天下の大難がすでに除かれた今、文武双方の官を用いるのが国家長久の道である。思うに、大いに書籍を集め、先聖の教えを明らかにし、そうして人民の耳目を一新させ、海内をなびかせたなら、遠方の不服従の人々も文徳によって招きよせることができるだろう」と。曹操はその言を善しとした。時に劉備の死が伝えられ、群臣は皆慶賀したが、袁渙はかつて劉備によって吏に推挙されたので、一人慶賀しなかった。2-p.335*, 2-p.302** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏氏春秋』:荀攸を尚書令、涼茂を僕射、毛玠・崔琰・常林・徐奕・何夔を尚書、王粲・杜襲・衛覬・和洽を侍中とした。1-p.42*, 1-p.093**