2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」:九月、金虎台を造り、渠を穿ち、漳水を白溝に引き入れて黄河に通した。十月、魏郡を東西に分割して都尉を置いた。十一月、初めて尚書、侍中、六卿を設けた。1-p.42*, 1-p.093** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」:七月、始めて魏の社稷・宗廟を建てる。天子は曹操の三人の娘を貴人として入内させ、末娘は国で成長を待つこととなった。(同裴注引『献帝起居注』に結納の詳細を記す。)1-p.42*, 1-p.093** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻2「文帝紀」裴注引『献帝伝』:曹操が魏を建国した当初、辺境にある者たちは彼が魏王となったと思った。予言者の姜合は、すぐに王となることはあるまいと見ていた。1-p.62*, 1-p.145** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏略』:曹操の謝礼の上表を載せて、「私は先帝の厚き恩を被り、郎署に官位を得たが、怠惰な性分で、望みは全て満たされたので、敢えて高い地位を望んだり、栄達を願ったりするようなことはなかった。たまたま董卓が反乱を起こし、義理としては国のために死を賭けるべきであるから、敢えて身を奮い立たせて命を投げ出し、鋒先を砕き衆を率いて戦い、千載一遇の運にめぐり合って、恩前で役目を奉ずることになった。二人の袁氏が気炎を上げて侵略と侮蔑を加えてきた時には、陛下は私と心をおののかせ憂いをともにされ、都を振り返りながら、進んで敵の猛撃を迎え撃ったが、常に恐れていたのは君臣ともに虎の口に陥ることで、実に首を全うすることができようとは自分でも思っていなかった。幸いにも先祖の霊の助けにより、醜悪な輩は滅亡し、それによって微力な私もその間に名声を盗み取ることができた。陛下が恩を加えてくださり、上相の位を授けてくださって、封爵や恩寵俸禄は大変に手厚いもので、日ごろの願望からして、全く予想外のものであった。口と心とから計算しても、しばらくは官位に就き、列侯の位を保持し、それを子孫に残してやり、御世に自らの身を託し、永遠に憂いやとがめから開放されることを望んでいた。思いがけないことに、陛下は手厚い思し召しをくだされ、私のために国を開き九錫を備えてくださり、土地は斉・魯に肩を並べ、礼は藩王と同じく、私のような功績のない者の頂くべきところではない。気持ちを上聞したが、聞き入れてもらえず、厳しい詔勅がしきりに届き、私の心は居ても立ってもいられなくなった。伏して自らを省みるに、官位は大臣に列せられ、命としては王室に従うべきで、この身は自己一人のものではない。どうして自分勝手を言って、愚かな意志を押し通すことができようか。また免職となって、仕官する以前に戻されることもあるだろう。今、領土を奉じて重臣の仲間入りをするのに、敢えて遠く後世にまで恩恵を期待するのではなく、父子で終身身体を投げ打ち、命の限りご恩にむくいたいと誓い合っている。ご尊顔を前に、恐れおののきながら詔を拝受する」と。1-p.41*, 1-p.092** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏書』:曹操の令を載せて、「そもそも九錫を受け広く領土を開いたのは、周公その人である。漢の異姓の八王は、高祖とともに布衣から身を起こし、王業の基礎を定めた。その功績は甚大である。私はどうして彼らに肩を並べることができようか」と。三度辞退し、荀攸・鍾繇・涼茂・毛玠・劉勲・劉若・夏侯惇・王忠・劉展・鮮于輔・程昱・賈詡・董昭・薛洪・董蒙・王粲・傅巽・王選・袁渙・王朗・張承・任藩・杜襲・曹洪・韓浩・曹仁・王図・万潜・謝奐・袁覇らの勧進に従ってようやく受諾した。1-p.40*, 1-p.088** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」裴注引虞溥『江表伝』:献帝はかつて特に郗慮及び少府孔融と会見した時、孔融に「鴻豫(郗慮)はどこが優れているか」と問うと、孔融は「ともに道徳的規範に沿った道を踏み行うことはできるが、ともに臨機応変のはかりごとをするには不足だ」と答えた。郗慮は笏を挙げて、「孔融が昔北海の長官だった時、政治は散漫で人民は流浪したが、その権謀はいったいどこにあったのか」と言い、かくして孔融と互いに欠点をあげつらいあい、不仲になってしまった。曹操は書簡で彼らを和解させた。郗慮は光禄勲から光禄大夫に遷った。1-p.39*, 1-p.087** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻1「武帝紀」:五月の丙申、天子は御史大夫郗慮に節を持たせて、曹操を魏公に任命した。(その任命書の文面は省略)1-p.37*, 1-p.081** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻56「呉書・朱然伝」:曹操が濡須に出てくると、朱然は防御に当たった。5-p.1305*, 7-p.164** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻55「呉書・徐盛伝」:曹操が濡須に出てくると、徐盛は孫権に従ってこれを防いだ。5-p.1298*, 7-p.148** 2020年12月08日 建安18年(213)59歳:巻55「呉書・甘寧伝」:曹操が濡須に出てくると、甘寧は前部督となる。孫権から下賜された酒食を料理して配下の兵士たちに振舞い、曹操軍に向かった。(同裴注引『江表伝』にも同様の記述あり。)5-p.1294*, 7-p.138**