2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻21「王粲伝」裴注引『典略』:孔融に過失があった時、曹操は路粋にそのことについて上奏文を書かせた。路粋はその意向を受けて孔融の罪を書きたてた。3-p.603*, 3-p.397** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻12「崔琰伝」裴注引『魏氏春秋』:孔融は孫権からの使者に対して曹操への誹謗中傷の発言があったという理由で市場で処刑された。……孔融は清らかな才と高い名声を持っていたので、世の人々は多く彼の死を悲しんだ。曹操は方々からの批判を恐れ、令を発して、「太中大夫の孔融は既にその罪に伏した。が、世の人々の中にはその虚名に注目するばかりで、実体を知るものは少ない。孔融の華やかさや、好んで変異をなすのを見て、そのごまかしに目がくらみ、その俗を乱すのを察しないのだ。禰衡は孔融の論を伝授されているが、父母は人とは特別な親密さは無い。たとえば瓶器のようなもので、子はそこに一時的に入っているだけだ、と。また、もし飢饉に遭遇し、父が不肖であれば、むしろ他人を助けたほうがいい、とも言っている。孔融は天の道にはずれ、倫理を混乱させたので、市場に屍を晒したのだってまだ晩すぎたのを恨むくらいだ。更にこのことを以上に書き連ねた。諸軍の将校掾属らに示して、皆に知らしめよ」と。2-p.372*, 2-p.402** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻2「文帝紀」裴注引『献帝起居注』:司徒の趙温が曹丕を徴召せんとしたところ、曹操、「温は臣の子弟を辟し、選挙 故(ことさら)に実を以てせず」と上表し、趙温を免官に追いやる。1-p.57*, 1-p.132** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻54「呉書・周瑜伝」裴注引『江表伝』:黄蓋が曹操軍の船を焼き払ったことについて詳しい記述あり。5-p.1263*, 7-p.060** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻54「呉書・周瑜伝」裴注引『江表伝』:黄蓋(『三国志』巻55に本伝あり)からの書簡を載せる。曹操は、特にその使者に会って密かに問いかけ、その虚実を確かめようとした。5-p.1263*, 7-p.059** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻56「呉書・呂範伝」:曹操が赤壁に至ったとき、呂範は周瑜らとともにこれを防御し破った。5-p.1310*, 7-p.175** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻54「呉書・周瑜伝」:周瑜の死後、孫権が「昔、曹操を走らしめ、拓して荊州を有せしは、皆是れ公瑾(周瑜)なり。常に之を忘れず」と。5-p.1267*, 7-p.169** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻55「呉書・周泰伝」:周泰は、周瑜・程普とともに曹操を赤壁に破り、曹仁を南郡に攻撃した。5-p.1288*, 7-p.122** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻55「呉書・浚統伝」:浚統は周瑜らとともに烏林で曹操を破り、曹仁を攻撃した。5-p.1296*, 7-p.143** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻55「呉書・程普伝」:程普は周瑜とともに烏林で曹操を破り、南郡に進攻して曹仁を敗走させた。5-p.1283*, 7-p.111**