2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻6「劉表伝」裴注引『零陵先賢伝』:もと荊州の劉表のもとにいた劉先、まず漢の尚書となり、後に魏国の尚書となる。1-p.216*, 1-p.519** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻6「劉表伝」裴注引『傅子』:荀彧に「荊州を得たことは嬉しくはないが、蒯越を得たことが嬉しい」と書簡を送った。1-p.215*, 1-p.518** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻6「劉表伝」:もと荊州の劉氏の下にいた蒯越ら十五人を列侯とした他、多くの者を高位高官にした。1-p.215*, 1-p.516** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻6「劉表伝」裴注引『魏武故事』:曹操は、劉琮を顕彰する令を発した。1-p.215*, 1-p.517** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻6「劉表伝」:曹操、降伏した荊州の劉琮を青州刺史とし、列侯に封じた。1-p.215*, 1-p.516** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻6「劉表伝」裴注引『漢晋春秋』:王威、「曹操は今油断しているはずだから、奇襲作戦で捕えたい」と劉琮に申し出るが、納れられず。1-p.214*, 1-p.515** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻6「劉表伝」裴注引『傅子』:傅巽は、劉琮に曹操への帰順を勧め、関内侯となった。1-p.214*, 1-p.515** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻10「賈詡伝」:建安十三年、曹操は荊州を破り、長江に沿って下ろうとした。賈詡は諌めて、「明公は昔、袁氏を破り、今は漢南を手に入れ、その威名は遠方まで聞こえ、軍勢は十分大きくなりました。もし旧国である楚の豊かさに乗り、それでもって吏士をもてなし、百姓を安んじ、土地に安んじ、仕事を楽しむように導いたならば、軍を労せずとも江東一帯は敬服して従うことでしょう」と。曹操は従わず、かくして軍は不利な戦況となった。2-p.330*, 2-p.288** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻31「蜀書・劉璋伝」:劉璋は、曹操が荊州を征伐してすでに漢中を平定したと聞き、河内の陰溥を派遣して曹操に敬意を表して振威将軍を加えられ、兄の劉瑁には平寇将軍が加えられた。また劉璋は、別駕従事の蜀郡の張繍を派遣して兵士やさまざまな御物を曹操に送り、曹操は張繍を広漢太守に任命した。劉璋はまた別駕の張松を派遣して曹操に表敬訪問させたが、曹操はすでに荊州を平定し、先主(劉備)を敗走させていたので、松のことを軽くあしらい、松はこのことで怨みを持った。ちょうど赤壁の戦いで曹操軍が苦戦していたが、松は帰還すると曹操の悪口を言い、劉璋に、自ら曹操と絶交し、劉備と手を結ぶように勧めた。4-p.868*, 5-p.018** 2020年12月08日 建安13年(208)54歳:巻37「蜀書・法正伝」:益州別駕の張松は、劉璋に飽き足らず常に嘆息していた。荊州で曹操に会見して戻ってくると、劉璋に曹操と絶交し、劉備と手を結ぶように勧めた。使者に立てるべき人物として張松は法正を推薦した。4-p.957*, 5-p.202**