2020年 一覧情報

2020年12月08日
建安08年(203)49歳:巻10「荀彧伝」裴注引『荀彧別伝』:曹操は再び上表して言った。「かつて袁紹が畿内に侵入して官渡で戦った時、兵は少なく食料も尽き、許に帰還しようとして荀彧に書簡を送ったところ、荀彧は臣の意見を聞かず、官渡に留まり続けることの有利さを説き、進軍の策略を準備して、臣の心を奮い立たせ、その愚かな考えを改めてくれた。かくして大逆を打ち砕き、その衆を手中に収めることができたのだ。これは荀彧が勝敗の機を見極め、その策略が不世出のすばらしさだったからだ。袁紹が破れると、臣は食料も尽きたし、河北の平定を図ることは容易ではないと判断し、南に劉表を討ちにいこうとした。荀彧は再び臣を止めて、その得失を述べ、かくして臣は旗を翻し、そうして凶賊を呑み込み、四つの州を平らげることができた。もし臣が官渡において退却していたら、袁紹はきっと陣太鼓を打ち鳴らしながら前進してきて、こちらが形勢不利となってしまっただろう。後にもし南征し、兗州・豫州を放置していたら、勝敗に利が得にくいばかりか、本拠地も失ってしまっていただろう。荀彧の二つの策略は、亡をもって存と為し、禍をもって福を致すもので、その謀や功績はは傑出したものであって、臣にはとても及びもつかないものである。……」荀彧は深く辞退したが、曹操はこれに応えて、「君の策謀は上表した二つのことだけではない。何度も辞退するのは聖人達節者の尊ばないところだ。昔、介之推は「人の財産を窺っただけでもこれを盗みという」といった。まして君がひそかに謀を立てて衆を安んじ、私を輝かせてくれたのは百をもって数えるではないか。二つのことだけでまた辞退するとは、なんと謙虚すぎるのだ」と。曹操は荀彧を表して三公にしようとしたが、荀彧は荀攸を通じてこれを深く辞退し、それが十数回に及んで、曹操はやめた。2-p.316*, 2-p.254**
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