2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻16「任峻伝」:官渡の戦いの時、曹操は任峻に兵器と食糧のことを掌らせた。軍事・国家経営の基本が豊かになったのは、棗祗に始まり任峻に完成したのである。曹操は峻の功績の高さを評価して、表して都亭侯に封じられた(邑300戸)。2-p.489*, 3-p.154** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻13「鍾繇伝」:曹操が官渡で袁紹と対峙していた時、鍾繇は馬二千匹余りを軍に給付した。曹操は鍾繇に手紙を送り、彼を蕭何に比して手厚く礼を述べた。2-p.393*, 2-p.449** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻6「袁紹伝」:袁紹軍、敗走。これまで数々の進言をしながら袁紹に受け入れられなかった沮授は生け捕りとなる。曹操はこれを厚遇したが、沮授は袁氏のもとに還ろうと謀り、殺された。1-p.199*, 1-p.477** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻6「袁紹伝」裴注引『献帝伝』:沮授は、曹操の戦略に加えて、天子を奉戴していることの手ごわさを知り、袁紹の敗北を予見していた。1-p.199*, 1-p.477** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻6「袁紹伝」裴注引『献帝伝』:沮授、袁紹を諌めて、「曹操軍は法令がゆきわたり、士卒は訓練が行き届いている。公孫瓚の如きとはわけが違う……」と言った。1-p.196*, 1-p.468** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻8「公孫瓚伝」裴注引『魏略』:鮮于輔は官渡の戦いに従った。袁紹が敗走すると、曹操は輔を顧みて、「以前、袁紹が公孫瓚の首を送ってきたときは茫然自失だったが、今彼に勝った。これは天の意ではあるが、また君たちの力あってのことでもある」と言った。1-p.247*, 2-p.080** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻8「公孫瓚伝」:曹操が袁紹と官渡で対峙していたとき、閻柔(年少の頃、烏丸・鮮卑に捕えられ、その後彼らの信頼を得る)は、曹操に使者をよこして護烏丸校尉となった。鮮于輔は自ら曹操を訪ね、左度遼将軍に拝せられ、亭侯に封ぜられた。(巻30「烏丸伝」に詳細な記載あり。)1-p.247*, 2-p.080** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」:その初め、桓帝の時(146-167)、黄色い星が楚・宋の分野に現れたが、遼東の殷逵という天文に通じた者が、五十年後、きっと真人が梁・沛のあたりに現れる、その鋭鋒には誰も太刀打ちできないだろう、と予言した。ここに至っておよそ五十年、公が袁紹を破り、天下無敵となった。1-p.22*, 1-p.051** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」裴注引『魏氏春秋』:曹操は、「袁紹の強さの前では、私でさえ自らを保つことはできなかった。まして衆人においてはなおさらだろう」と言った。1-p.22*, 1-p.51** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」:曹操は、没収した袁紹方の書簡の中に、許都や軍中の人物の書簡を得たが、みなこれを焼いた。冀州の諸郡には城邑を挙げて投降するものが多かった。1-p.21*, 1-p.048**