2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻36「蜀書・関羽伝」:建安五年、曹操は東征し、劉備は袁紹のもとに奔った。曹操は関羽を捕らえて帰還し、偏将軍に拝してたいそう礼遇した。4-p.939*, 5-p.166** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻32「蜀書・先主伝」:建安五年、曹操は東して先主(劉備)を征伐し、先主は敗れた。曹操はその衆を尽く手に入れ、先主の妻子を捕らえ、関羽を生け捕りにして帰還した。4-p.875*, 5-p.034** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻14「郭嘉伝」裴注引『傅子』:曹操は早く劉備を征伐したがったが、論者は袁紹に背後から襲撃されることを懼れた。曹操は迷い、郭嘉に問いかけた。郭嘉は曹操に勧めて、「袁紹は決断が遅く、迷いが多い性質だ。劉備は挙兵したばかりで、衆はまだ付いてはいないから、襲撃すればきっと敗れる。ここは存亡の危機、失敗することはゆるされない」と言った。曹操はこれに従い、かくして東のかた劉備を征伐した。劉備は敗れて袁紹のもとに逃げ、袁紹は結局出ては来なかった。2-p.433*, 3-p.029** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」裴注引孫盛『魏氏春秋』:諸将に答えて「劉備は人傑だ。将来私を悩ませるだろう」と。(裴松之は、孫盛が左伝に拠りかかった記述をして事実を歪めていることを批判。)1-p.18*, 1-p.043** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻10「荀彧伝」裴注引『献帝春秋』:董承が誅せられて、伏后は父の伏完に書簡を送り、司空(曹操)が董承を殺して、皇帝は今まさに復讐しようとしていると言った。伏完はその書簡を受け取り、荀彧に示した。荀彧はこれを悪み、久しく隠して言わなかった。伏完は妻の弟の樊普に示したところ、普は封をして曹操に差し出し、曹操は陰でこれに備えた。2-p.318*, 2-p.260** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻6「董卓伝」:董承(霊帝の母董太后の甥で、献帝の義理の叔父。献帝に従って許に移る)、曹操に従って一年余り、曹操暗殺の密命を劉備に授けたのが露見して誅せられた。1-p.187*, 1-p.445** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻17「于禁伝」:昌豨が反乱を起こした時、于禁をやって討伐させた。于禁は急襲して昌豨を攻撃したが、昌豨は于禁と古馴染みだったので于禁のところへ赴いて投降を申し出た。諸将はみな昌豨はすでに投降したのだから曹操のもとへ送るべきだと考えたが、于禁は「諸君は公の常令を知らないのか。包囲した後に投降した者は許さないのだ。法を遵守するのがお上に仕える者としての節義である。昌豨は旧友だが、私は節義を失うわけにはいかない」といって涙を流しながら昌豨を斬った。曹操はこれを聞いて、「昌豨が投降して私のところに来ずに于禁のところへ行ったのは運命だったのだ」と言って、ますます于禁を重んじ、東海が平らいでから、于禁を虎威将軍に拝した。2-p.523*, 3-p.224** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻17「張遼伝」:(曹操が袁紹を破った時、張遼は、魯国の諸県を平定しに派遣された。)夏侯淵が昌豨を東海に包囲した時には、張遼は昌豨の様子からこれを落とせると判断し、昌豨に、「曹操は神業的な武力を持ち、いまや徳をもって四方を手なずけている。先にこれに付いた者は大きな褒美をもらえる」と言って説得。昌豨は喜んで曹操のもとに出頭したが、曹操はこれを帰して、張遼を「これは大将のやり方ではない」と言って責めた。張遼はあやまって、「明公の威信は四海に明らかなので、私が聖旨を奉じれば、昌豨はきっと害をなすはずがないと思ったのだ」と。2-p.517*, 3-p.213** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻9「夏侯玄伝」:(官渡の戦いの時、夏侯淵は行督軍校尉であった。袁紹が敗れると、兗州・豫州・徐州の軍糧を監督した。)昌豨が反乱を起こすと、于禁を派遣して攻撃させたが、落せなかったので、夏侯淵を派遣して于禁と協力させた。帰還して典軍校尉となった。1-p.270*, 2-p.144** 2020年12月08日 建安05年(200)46歳:巻1「武帝紀」:春正月、董承らは謀反が漏れ、皆誅せられた。曹操は自ら東に赴いて劉備を討とうとしたが、諸将は皆「公と天下を争う者は袁紹である。今袁紹が来ようとしているのに、それを放棄して東に向うという。袁紹が後から攻めてきたらどうするのか」と言った。曹操は、「劉備は傑物だ、今撃たなければ後にきっと患いとなるだろう。袁紹は野心があっても、判断が遅いからきっと動かないだろう」と言い、郭嘉も曹操に勧めたので、東に向かって劉備を破り、その将夏侯博を生け捕りにした。劉備は袁紹のもとに走ったので、その妻子を捕らえた。劉備の将関羽が下邳に駐屯していたのを再び攻め、関羽は投降した。昌豨は寝返って劉備に付いたので、また攻めてこれを破った。曹操は官渡に戻った。袁紹はついに攻撃に出てこなかった。1-p.18*, 1-p.042**