2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻7「呂布伝」:曹操は陳宮を生け捕りにして、その老母と娘を生かして欲しいかと聞いた。陳宮の「孝で天下を治める者は人の親の命を絶たない、仁で四海に施す者は人の祀を乏(す)てない。老母のことはあなた次第だ」というのに応えて、その母を召し出して手厚く養い、娘を嫁に出してやった。(同伝裴注引『典略』に、陳宮の足跡と、彼が死に際して曹操と交わしたやりとりを詳細に記す。)1-p.229*, 2-p.034** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻7「呂布伝」裴注引『献帝春秋』:曹操は生け捕りにした呂布(洛陽時代のことなどを持ち出したり、劉備に話しかけたりする)を生かしておきたく思ったが、主簿の王必がこれを阻止したのに従った。1-p.228*, 2-p.032** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻7「呂布伝」裴注引『魏氏春秋』:陳宮は、遠来の曹操軍は久しくは持ちこたえられないので撃破できると述べ、呂布は同意したが、その妻に、陳宮は曹操に我が子のように待遇されながら裏切ったこと、呂布の陳宮への待遇が曹操には及ばないことを指摘されて、陳宮の進言に従うのを止めた。1-p.227*, 2-p.031** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻7「呂布伝」:生け捕りにされて、自分に曹操の騎兵を率いさせたら、天下は簡単に定まると願い出た呂布に対して、曹操はためらったが、呂布がかつて丁原・董卓に仕えたことを劉備に言われて、これに頷く。呂布は劉備を、こいつこそ一番信用できないやつだと罵った。1-p.227*, 2-p.028** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻7「呂布伝」裴注引『献帝春秋』:曹操軍が彭城まで来たとき、陳宮は呂布に迎え撃つべきを説いたが、呂布は聞き入れず、曹操軍の兵士たちに明公(曹操)に降伏するつもりだと言い、陳宮に厳しくたしなめられた。1-p.227*, 2-p.029** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻7「呂布伝」:呂布はまた袁術のために高順を派遣して劉備を沛に攻め、破った。曹操は夏侯惇を派遣して劉備を救おうとしたが高順に敗れた。曹操は自ら呂布征伐のために城下に到り、呂布に書簡を送って利害を説いた。呂布は曹操に降ろうとしたが、陳宮らは自らの罪深さを思い、その計画を阻止した。呂布は人を遣って袁術に助けを求めたが袁術は応じられなかった。……曹操は三ヶ月塹壕を設けて包囲し、呂布の将たちは陳宮を縛って降参した。1-p.226*, 2-p.028** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻14「郭嘉伝」:呂布を三度攻めて陥落せず、士卒は疲労していたので、曹操は軍隊を引き返そうとした。郭嘉は曹操に呂布を急襲するように説得し、かくして呂布を生け捕りにした(同伝裴注引『傅子』に郭嘉の言葉を引く)。2-p.432*, 3-p.027** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻10「荀攸伝」裴注引『魏書』:論者たちは、劉表・張繍が背後にいるのに呂布を攻めるのは危険だと説いた。荀攸は、劉表・張繍は敗れたばかりで動かない、呂布は勇猛で袁術を頼みとしており、もし淮水・泗水の間で暴れれば豪傑たちが呼応するだろうが、今なら撃破できると説き、曹操はこれに従った。2-p.323*, 2-p.272** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻10「荀攸伝」:曹操の軍、宛から呂布征伐に赴き、下邳に至って呂布を攻めるも、なかなか陥落せず。軍隊を引き上げようとする曹操に、荀攸は郭嘉と共に「呂布は勇猛だが無謀だ。今彼は三戦してみな破れ、その鋭気は衰えている。……そもそも陳宮は知恵はあっても判断が遅い。今、呂布が気力を回復せず、陳宮が謀略を決断できないでいるうちに、急に襲撃すれば、呂布の軍は落とせる」と説き、かくして沂水・泗水を引いて水攻めにし、呂布を生け捕りにできた。2-p.323*, 2-p.271** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻1「武帝紀」:呂布が再び袁術の味方をして高順に劉備を攻撃させたので、曹操は夏侯惇を派遣してこれを救援するも不利、劉備は高順に破れた。九月、曹操は呂布を討つために東征。冬十月、彭城を降し、下邳まで進む。呂布は騎兵を率いて反撃してきたが、大いにこれを破る。曹操が追撃して城下まで迫った時、呂布は恐れて降伏しようとしたが、陳宮らはその計画を止めさせ、袁術に救援を求め、呂布に出撃するよう勧めた。だが戦ってまた敗れたので、戻って固く守り、なかなか陥落しなかった。時に曹操は連戦し、士卒は疲弊していたので、帰還しようとしたが、荀攸・郭嘉の計を用いて泗水・沂水を決壊させて城を水攻めにし、一月余りで降伏させた。呂布・陳宮を生け捕りにしてみな殺した。1-p.16*, 1-p.038**