2020年 一覧情報 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻18「李通伝」:李通の妻の伯父が法を犯し、死刑となった。李通の妻子は泣いて命乞いをしたが、李通は、曹操と力を合わせているとき、道義的に、私的なことで公的なことをないがしろにはできないとした。2-p.535*, 3-p.245** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻18「李通伝」:曹操が張繍を討伐する時、劉表は張繍に派兵し、曹操の軍は不利な情況だった。李通は兵を率いて夜曹操のもとを訪れ、曹操は再び戦うことができた。李通は先陣を切って戦い、大いに張繍軍を破った。曹操は通を裨将軍に拝し、建功侯に封じ、汝南ニ県を分かち、通を陽安都尉とした。2-p.535*, 3-p.245** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻9「曹仁伝」:曹操が張繍を征伐する時、曹仁は別に近隣の県を回って、男女三千余人を捕虜とした。曹操の軍が帰還する時、張繍に追われて不利となり、士卒は意気喪失したが、曹仁は将軍兵士を率いて叱咤激励し、奮闘した。曹操は彼の勇猛さを褒め、かくして張繍を破った。1-p.274*, 2-p.153** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻10「荀攸伝」:荀攸は張繍征伐に従い、曹操に「張繍は劉表と助け合って強力だが、張繍は遊軍として食糧を劉表に仰いでいる。表が食糧を供給できなければ、彼はきっと離反するだろう。時機を待ち、誘いをかけて仲間に引き入れるのがよい。もし事を急いだら、勢い両者はきっと助け合うだろう」と進言したが、曹操はこれに従わず、かくして戦況は不利となった。曹操は荀攸に「君の進言を用いなかったために、このような事態となってしまった」と言い、奇兵を設けて再戦し、大勝利した。2-p.322*, 2-っp.271** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻1「武帝紀」:曹操が退却しようとした時、張繍の兵が追ってきて、曹操軍は進めず、陣営を連ねて少しずつ進んだ。曹操は荀彧に書簡を送り、安衆まで来たら張繍を必ず破ると予言した。安衆まで来ると、張繍は劉表の兵と合流して険阻な場所で守りにつき、曹操軍は前後に敵の攻撃を受けた。そこで曹操軍は夜に要害を掘って地下道を作り、輜重を尽く通して奇兵を設けた。夜が明けると、賊は曹操が遁走したのだと思い、軍を挙げて追いかけてきた。そこで奇兵を放ち、歩兵騎馬でもって挟み撃ちにして大いに破った。秋七月、曹操は許へ帰還。荀彧は曹操に、先に賊は必ず敗れると予測したわけを聞くと、曹操は、敵は我が軍の帰路を遮って、我が軍に死に物狂いの戦いをする情況を与えた、だから勝利すると予告したと答えた。1-p.15*, 1-p.037** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻1「武帝紀」裴注引『献帝春秋』:袁紹から反した卒が曹操のもとに至って、「田豊は袁紹に早く許を襲うように言っている、もし天子を擁して諸侯に命を下すならば四海はすぐに平定できると言って」と告げた。そこで曹操は張繍への包囲を解いた。1-p.16*, 1-p.038** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻1「武帝紀」:三月、曹操は張繍を穣で包囲した。夏五月、劉表が兵を派遣して張繍を救援し、軍の背後を経った。1-p.15*, 1-p.037** 2020年12月08日 建安03年(198)44歳:巻1「武帝紀」:春正月、曹操は許に戻り、初めて軍師祭酒を置いた。1-p.15*, 1-p.037** 2020年12月08日 建安02年(197)43歳:巻23「趙儼伝」:(趙儼は難を避けて杜襲・繁欽らと荊州にいた。)曹操が献帝を迎えて許に都を置くと、趙儼は繁欽に、「曹鎮東将軍は必ずや中国を救うだろう。私は誰に帰属すべきかわかった」と告げ、建安二年、二十七歳の時に老人弱者を助けながら曹操に帰属した。曹操は趙儼を朗陵長とした。3-p.668*, 4-p.038** 2020年12月08日 建安02年(197)43歳:巻1「武帝紀」:劉表の将、鄧済が湖陽に拠っていたのを、攻めて済を生け捕りにし、湖陽は投降した。さらに舞陰を攻め、これを降した。1-p.15*, 1-p.037**