2020年 一覧情報

2020年12月08日
建安01年(196)42歳:巻14「董昭伝」:曹操は洛陽で天子に朝見したとき、董昭を引き入れ、並んで坐り、「今私はここへ来て、どのような計を施すべきだろうか」と問うた。董昭は、「将軍は義兵を起こして暴乱を誅し、天子に朝見して王室を補佐した。これは五伯の功績である。ここにいる諸将は様々で、未だ服従してはいないので、今ここに留まって朝廷を補佐するのは都合が悪い。天子の車を許都に移すしかない。だが、朝廷は旧都に戻ったばかりで、遠きも近きも朝廷の安定を望んでいる。今また天子の車を移すと衆心を抑えられない。そもそも非常の事を行ってこそ、非常の功績も挙げられる。将軍にはその利をよく計算されるように」と言った。曹操、「これは私の本懐だ。楊奉が近く梁にいるが、その兵は精鋭だと聞いている。私を煩わせないだろうか」と。董昭、「楊奉は味方が少なく、ひとりで降伏してきた。将軍を鎮東将軍・費亭侯としたのは、みな楊奉がお膳立てしたことだし、また書信による約束は信頼を表すに足ると聞いている。折を見て使者を遣わし、丁重に答礼をし、その気持ちを落ち着かせてから、天子を許へ移すよう説けばよい。楊奉は勇猛だが思慮が足りないので疑われることはない。……」と。曹操はその策を善しとし、すぐに実行に移した。楊奉はこれにより望みを失い、韓暹らと定陵へ行って暴れまわったが曹操は相手にせず、ひそかにその梁の陣営に行って、降伏するもの、誅するものをすぐに定めた。楊奉・韓暹は袁術に降った。2-p.437*, 3-p.038**
1 91 92 93 94 95 96 97 98 99 113