曹植が見ていた絵画(再び)
曹植の画賛に取り上げられた様々な人物の図像のうち、
「二桃殺三士」の故事を描くものに焦点を絞り、
それが宴席芸能であった可能性を、このところ論じてきました。
ここで再び、曹植の画賛に立ち返ってみます。
「二桃殺三士」は、なるほど宴席で演じられていたかもしれません。
ですが、曹植が賛を寄せた図像のすべてにそれは言えることなのでしょうか。
曹植の画賛に謳われた一連の人物たちは、
たとえば、過日も触れた武梁祠にずらりと描かれた人物の画像石や、
後漢の王延寿「霊光殿賦」(『文選』巻11)に描写された宮殿内の絵画の有様と重なります。
また、曹植が宴席で、一世の文化人邯鄲淳に披露して見せたことのひとつに、
「羲皇以来賢聖名臣烈士の優劣の差を論ず」ということがありましたが、
(『三国志』巻21「王粲伝」裴松之注に引く『魏略』)
この史料における記述の有様とも似ています。
そして、この『魏略』では、
上述の人物評論は、哲学談義と文学批評との間に並び、
「俳優の小説数千言を誦す」とは区分されたかたちで記されています。
こうしてみると、当時の図像に描かれている歴史的人物の故事は、
そのすべてが宴席で上演されていたわけではないと見なければなりません。
(このことが、かつての拙論(学術論文38・42)では不分明でした。)
建造物の内部を飾り、
死者の世界に連なる祠堂の内部に再現された人物たちの図像のうち、
その一部が、芸能として語られ、演じられていたということなのかもしれません。
単線として捉えるよりも、
共存する複線をイメージする方が、実態に近いのかもしれません。
それではまた。
2019年12月5日