昨日の追補
昨日、「怨歌行」は曹植の作と見るのが最も妥当と述べましたが、
詩の全文を収録する文献がいずれも曹植作としているから、では論証になっていませんね。
曹植に近い時代、西晋の荀勗が「古為君(古辞の“為君”の歌)」としていることには、
一定の注意を払う必要があると思いなおしました。
また、昨日紹介した『楽府詩集』巻41に引く『楽府解題』を改めて示せば次のとおりです。
古詞云「為君既不易、為臣良独難。」
言周公推心輔政、二叔流言、致有雷雨伐木之変。
(以下は、梁の簡文帝の作品などに話題が移るので省略する。)
「怨歌行」の古辞に「君たるは既に易からず、臣たるは良(まこと)に独り難し。」とあるが、
これは、周公旦が誠心誠意、成王を輔政したのに、管叔・蔡叔が根も葉もないうわさを流し、
ついに雷雨が樹木をなぎ倒すという天変が起こった、という趣旨である。
ここに紹介されている「古詞」は、その概要から見て、
『藝文類聚』や『楽府詩集』が曹植作として採録する「怨歌行」に同じと判断されます。
つまり、『楽府解題』は「怨歌行」の全文をとらえて古辞としているのであって、
この点、初めに述べた昨日の推定結論とは相容れないのです。
ただし、『楽府解題』という書物の信憑性については疑問符が付きます。
このことは、かつて中津濱渉氏の論著*を手引きとして調べ、指摘したところです。
(こちらの学術論文17、及び著書4の特にp.299~304をご参照ください。)
さて、仮にもしこの「怨歌行」が曹植の作だとして、
それを、近い時代の人々からして既に古辞と見ていたのはどういうわけでしょうか。
ひとつには、曹植の楽府詩の中には、
世間に流布する諺語をそのまま取り込んだものが少なくないことが挙げられるでしょう。
たとえば、以前取り上げた「当牆欲高行」にいう「衆口可以鑠金」など、
その顕著な例だと言えます。
また、「怨歌行」と同じく、作者が曹植と古辞との間で揺れているものとして、
「君子行」(『楽府詩集』巻32では古辞、『藝文類聚』巻41では曹植の作)も挙げられます。
結局、よくわかりませんでした。
「怨歌行」は曹植の作である可能性が高い、と言うところまでがやっとです。
(表現の特徴から推定することもできるかもしれませんが、今は措いておきます。)
言った先からもう追補。しかも結論は相変わらず見えないまま。
とはいえ、言葉にすれば、ほころびが見え、更にそこから先へころがっていけますから。
それではまた。
2020年2月4日
*中津濱渉『楽府詩集の研究』(汲古書院、1970年)の「引用書考」p.583~585。