04-11 贈王粲

04-11 贈王粲  王粲に贈る

【解題】
「王粲」(一七七―二一七)は、山陽高平(山東省)の人。孔融、陳琳、徐幹、阮瑀、応瑒、劉楨とともに「建安七子」と総称される(『文選』巻五十二、曹丕「典論論文」)。十七歳の頃、董卓による長安の動乱を逃れ、長らく荊州(湖北省)の劉表のもとに身を寄せていたが、建安十三年(二〇八)、劉表が没すると、その子の劉琮に曹操への帰順を勧め、曹操の幕下に入って後は、丞相掾、軍謀祭酒、侍中を歴任した(『三国志』巻二十一・王粲伝)。本詩は、不遇をかこつ王粲をなぐさめ、励ます趣旨で贈られた。王粲「雑詩」(『文選』巻二十九)を念頭に置いた表現が随所に認められる。『文選』巻二十四所収。

端坐苦愁思  端坐して愁思に苦しみ、
攬衣起西遊  衣を攬りて起ちて西に游ぶ。
樹木発春華  樹木は春華を発し、
清池激長流  清池は長流を激しくす。
中有孤鴛鴦  中に孤なる鴛鴦有り、
哀鳴求匹儔  哀鳴して匹儔を求む。
我願執此鳥  我は此の鳥を執へんと願ふも、
惜哉無軽舟  惜しい哉 軽舟無し。
欲帰忘故道  帰らんと欲するも故(もと)の道を忘れ、
顧望但懐愁  顧望して但だ愁ひを懐くのみ。
悲風鳴我側  悲風は我が側に鳴り、
羲和逝不留  羲和は逝きて留まらず。
重陰潤万物  重(しげ)き陰(くも)は万物を潤す、
何懼沢不周  何ぞ沢(めぐみ)の周(あまね)からざるを懼れんや。
誰令君多念  誰か君をして念ふこと多からしめ、
自使懐百憂  自ら百憂を懐かしむる。

【通釈】
端然と座っていると憂愁に心が押しつぶされそうになる。そこで、上着を手に取り、起き上がって西の方へ遊びに出た。樹木は春の花を開き、清らかな池は途切れることなく水しぶきを上げている。その中にひとりぼっちの鴛鴦がいて、悲しげに鳴きながら連れ合いを求めている。私はこの鳥を捕えたいと思ったが、残念なことに、そこまで漕ぎだす小舟がない。引き返そうとしたが、もと来た道を忘れてしまっていて、周囲を見渡しながら、ひたすら憂愁を抱くばかりだ。悲しげな風が私の傍らで吹きすさび、白日は過ぎゆくばかりで留まらない。恵みの雨をもたらす密雲は万物を潤すのだから、どうして恩沢が行き渡らないことを心配する必要があろう。いったい誰があなたにあれこれと思い悩ませ、自ら様々な憂いを抱かせるようなことをしようか。

【語釈】
○端坐 正座する。
○攬衣起西遊 「攬」は、手に取る。一句は、『文選』巻二十九「古詩十九首」其十九にいう「憂愁不能寐、攬衣起徘徊(憂愁して寐ぬる能はず、衣を攬りて起ちて徘徊す)」を踏まえる。「西遊」は、後掲の王粲「雑詩」にいう「遊西園」に対応する。
○樹木発春華・清池激長流 王粲「雑詩」にいう「曲池揚素波、列樹敷丹栄」と同じ景色を詠じている。
○中有孤鴛鴦・哀鳴求匹儔 「鴛鴦」は、おしどり。雌(鴦)雄(鴛)が仲睦まじいことで知られる。「匹儔」は、連れ合い。王粲「雑詩」にいう「上有特棲鳥、懐春向我鳴」に対応しつつ、描く鳥をずらしている。
○我願執此鳥・惜哉無軽舟 王粲「雑詩」にいう「褰袵欲従之、路嶮不得征」に対応している。
○欲帰忘故道 「故」字、底本は「古」に作る。今、『文選』に従って改める。一句は、『文選』巻二十九「古詩十九首」其十四にいう「思還故里閭、欲帰道無因(故(もと)の里閭に還らんと思ひ、帰らんと欲するも道に因るべき無し)」を響かせている可能性がある。
○顧望但懐愁 類似する表現として、『文選』李善注に引く傅毅「七激」に、「無物可楽、顧望懐愁(物の楽しむ可き無く、顧望して愁ひを懐く)」と。
○羲和逝不留 「羲和」は、太陽を載せて走る車の御者。『楚辞』離騒に「欲少留此霊瑣兮、日忽忽其将暮。吾令羲和弭節兮、望崦嵫而勿迫(少く此の霊瑣に留まらんと欲するも、日は忽忽として其れ将に暮れんとす。吾は羲和をして節を弭(とど)め、崦嵫を望んで迫ること勿からしむ)」、王逸注に「羲和、日御也」と。
○重陰 厚く重なった雲。主君である曹操の手厚い恩沢を喩えていう。
○自使懐百憂 「自」字、底本は「遂」に作る。今、李善注本『文選』に従っておく。「百憂」は、様々な憂い。『毛詩』王風「兔爰」に「我生之後、逢此百憂、尚寐無覚(我生の後、此の百憂に逢ひて、尚(ねが)はくは寐ねて覚むる無からんことを)」と。

【余説】
解題に言及した王粲「雑詩」の本文は以下のとおり。

日暮遊西園  日暮れて西園に遊び、
冀寫憂思情    憂思の情を寫(そそ)がんことを冀(こいねが)ふ。
曲池揚素波    曲池は素(しろ)き波を揚げ、
列樹敷丹栄    列樹は丹(あか)き栄(はな)を敷く。
上有特棲鳥    上に特(ひと)り棲む鳥有り、
懐春向我鳴    春を懐ひて我に向かひて鳴く。
褰袵欲従之    袵(すそ)を褰(かか)げて之に従はんと欲するも、
路嶮不得征    路は嶮しくして征くことを得ず。
徘徊不能去    徘徊して去ること能はず、
佇立望爾形    佇立して爾の形を望む。
風飈揚塵起    風飈 塵を揚げて起こり、
白日忽已冥    白日 忽として已に冥し。
迴身入空房    身を迴らして空房に入り、
託夢通精誠    夢に託して精誠を通ぜん。
人欲天不違    人の欲するところ 天は違はず、
何懼不合并    何ぞ合并せざらんことを懼れんや。