類似句を共有する楽府詩

こんばんは。

一昨日から、曹植「白馬篇」を読み始めました。
先に読んだ「美女篇」と同様、本詩は古楽府「艶歌羅敷行」を思わせる句を含みます。

すなわち、「艶歌羅敷行」に、白馬の様子を描写して、
「青絲繋馬尾、黄金絡馬頭(青絲 馬尾に繋ぎ、黄金 馬頭に絡ふ)」とあるのですが、
曹植「白馬篇」の第一句「白馬飾金羈(白馬 金羈を飾る)」は、
この古楽府を念頭に置いたものだと思われます。

さて、このような表現は他の楽府詩にもあったのではなかったか、
と思って探索してみたところ、2例見つかりました。
相和歌辞「鶏鳴」(『宋書』巻21・楽志三)と、
古楽府「相逢狭路間」(『玉台新詠』巻1)です。

いずれも「艶歌羅敷行」と全く同一の句「黄金絡馬頭」を含み、
しかも、「鶏鳴」はこの句の前に「観者満路傍(観る者は路傍に満つ)」、
「相逢狭路間」は、同句の後に「観者盈道傍(観る者は道傍に盈つ)」という、
ほとんど同じと言ってよい句を伴っています。

古楽府には、類似句の共有という現象は頻見するものだけれど、
このような複数句にまたがる酷似をどう考えたものか、
と思ったら、すでに自分が以前に論じていました。

「鶏鳴」と「相逢行」(「相逢狭路間」)とはかなりの句を共有している、
「相逢行」と別の古楽府「長安有狭斜行」との間でも、かなりの句が共有されている、
けれども、「鶏鳴」と「長安有狭斜行」との間には句の重なりが認められない。
こうした現象から、何を見て取ることが出来るだろうか。

それは、「相逢行」が、「鶏鳴」と「長安有狭斜行」との合体により成ったものだ、
ということを物語っている、という結論です。

この論は、論証として成り立っているでしょうか。

よろしかったら、こちらの学術論文№30をご覧いただければ幸いです。
こちらの著書№4の第五章第三節「古楽府と古詩との交渉」にも収載しています。

2021年3月24日