曹植「黄初五年令」を読んで
こんばんは。
やっと本日、曹植「黄初五年令」の訳注を終えました。
半月くらいも時間がかかってしまいました。
この作品は、配下の役人たちに賞罰の基準を明示しようとしたものですが、
そのような内容の公文書にしては、論旨がすっきりとは通らず、何かが過剰な印象です。
たとえば、次のようなフレーズはどうでしょう。
九折臂知為良医、吾知所以待下矣。
何度も臂を折って良医の何たるかを知るというが、
わたしは臣下をどう任用すべきかを知った。
本作の成った前年、黄初四年に雍丘王となった曹植は、
それまでに何度も小さな罪を告発され、朝廷から処罰を受けています。
(たとえば「責躬詩」に詠じられているように)
前掲の二句から、思わずこの一連のことを想起しました。
また、次のような句も、こうしたことが背景にあるように感じられます。
唯無深瑕潜釁、隠過匿愆、乃可以為人君上行刀鋸於左右耳、……
ただ、深いところに隠された小さな欠点や過失が無い者であってこそ、
ようやく人の上に立つ君主として、左右の者たちに処刑を実施できるのであるが……
訳すると上記のようになってしまいますが、
「無深瑕潜釁、隠過匿愆」という表現は何かが過剰です。
かつて「瑕」「釁」「過」「愆」を根掘り葉掘りあげつらわれたことが、
ここへきて思わず噴出したような感があります。
2022年8月3日