08-01 黄初五年令

08-01 黄初五年令  黄初五年の令

【解題】
黄初五年(二二四)、雍丘王であった曹植が、その国内に発布した令。役人たちに対して、公平な評価と待遇を約束する戒めの公文書。『文館詞林』巻六九五、『藝文類聚』巻五十四所収。『文館詞林』は「賞罰令」として収載する。

令。夫遠不可知者、天也、近不可知者、人也。伝曰、知人則哲、堯猶病諸。諺曰、人心不同、若其面焉。唯女子与小人為難養也、近之則不遜、遠之則有怨。詩云、憂心悄悄、愠於群小。自世間人従、或受寵而背恩、或無故而入叛。違顧左右、曠然無信。大嚼者咋断其舌、右手執斧、左手執鉞、傷夷一身之中、尚有不可信、況於人乎。唯無深瑕潜釁、隠過匿愆、乃可以為人君上行刀鋸於左右耳、前後無其人也。諺曰、穀千駑不如養一驥。又曰、穀駑養虎、大無益也。乃知韓昭侯之使蔵弊袴、良有以也。使臣有三品、有可以仁義化者、有可以恩恵駆者。此二者不足以導之、則当以刑罰使之、刑罰復不足以率之、則明主所以不畜。故唐堯至仁、不能容無益之子、湯武至聖、不能養無益之臣。九折臂知為良医、吾知所以待下矣。諸吏各敬爾在位。孤推一概之平、功之宜賞、於疏必与、罪之宜戮、在親不赦。此令之行、有若皎日。於戯、群臣其覧之哉。

令。夫れ遠くして知る可からざる者は、天なり、近くして知る可からざる者は、人なり。伝に曰く、「人を知るは則ち哲、堯も猶ほ諸(これ)を病む」と。諺に曰く、「人心の同じからざるは、其の面の若し」と。「唯だ女子と小人とは養ひ難しと為すなり、之を近づくれば則ち不遜なり、之を遠ざくれば則ち怨む有り」と。詩に云ふ、「憂心悄悄たり、群小に愠(いか)らる」と。世間の人従と自(いえど)も、或いは寵を受けて恩に背き、或いは故無くして叛に入(かか)はる。左右を違顧するに、曠然として信ずべき無し。大いに嚼する者は其の舌を咋断し、右手もて斧を執り、左手もて鉞を執り、一身を傷夷するものの中にも、尚ほ信ず可からざる有り、況んや人に於いてをや。唯だ深瑕潜釁、隠過匿愆無くんば、乃ち以て人の君上と為りて刀鋸を左右に行ふ可きのみにして、前後に其の人無きなり。諺に曰く、「千駑に穀するは一驥を養ふに如かず」と。又曰く、「駑に穀し虎を養ふは、大いに益無きなり」と。乃ち知る 韓の昭侯の弊袴を蔵せしむるは、良に以(ゆゑ)有るなりと。臣を使ふに三品有り、仁義を以て化す可き者有り、恩恵を以て駆(か)る可き者有り。此の二者もて以て之を導くに足らずんば、則ち当に刑罰を以て之を使ひ、刑罰もて復た以て之を率(ひき)ゐるに足らずんば、則ち明主の以て畜(やしな)はざる所なり。故に唐堯は至仁にして、無益の子を容るる能はず、湯武は至聖にして、無益の臣を養ふ能はず。九たび臂を折りて良医と為るを知る、吾は以て下を待する所を知る。諸吏よ 各〻爾が在位を敬(つつし)め。孤は一概の平らかなるを推して、功は之れ宜しく賞すべく、疏に於いても必ず与へ、罪は之れ宜しく戮すべく、親に在りても赦さず。此の令を之れ行ふは、皎日の若き有り。於戯(ああ)、群司よ其れ之を覧よ。

【通釈】
令。およそ遠くにあって知ることができないのは天であり、近くにありながら知ることができないのは人である。言い伝えに、人を知るのは見識の高い賢者であって、かの堯でさえその困難に悩んだ、という。ことわざに、人の心の同じでないことは、その顔が各人様々であるようなものだ、という。ただ、女と小人物だけは養い難いものであって、近づければ馴れ馴れしくなり、遠ざければ怨みを持つ、といい、「詩」に「憂える心は鬱々と、群れなす小人どもの怒りを買って」とあるように、世間の従者たちでさえ、寵愛を受けながら恩に背く者もいれば、理由もなく反乱に加わる者もいる。首をねじって左右を顧みるに、ひとりとして信頼できる者がいない。大いに噛む者はその舌を噛みきって口をつぐみ、右手に斧を持ち、左手にマサカリをもって、自分の身体を傷つける者の中にさえ、なお信用できない者がいる。まして、一般の人民においてはなおさらだ。ただ、深いところに隠された小さな欠点や過失が無い者であってこそ、ようやく人の上に立つ君主として、左右の者たちに処刑を実施できるのであるが、前後にそのような罪に当たる人がいなかっただけのことである。ことわざに、千匹の駑馬を養うよりは、一匹の駿馬を養う方がよい、という。また、駑馬や虎を養うのは、まったく無益なことである、ともいう。そうしてやっとわかったのは、韓の昭侯が破れた袴を仕舞わせたのには、実に深いわけがあったということだ。臣下を使役するのには三つの等級がある。仁義によって教化することができる者がいて、恩恵を与えて駆り立てることができる者がいる。この二つの方法で十分に導くことができない場合は、刑罰によって使役する。刑罰によってもなお十分に統御できない場合は、賢明な君主はそうした者を養わない。だから、堯のようなこの上ない仁徳者も、無益の子を容認することはできず、商の湯王や周の武王のような至高の君主であっても、無益の臣下を養うことはできない。何度も臂を折って良医の何たるかを知るというが、わたしは臣下をどう任用すべきかを知った。役人諸君よ、各々謹んで君たちの職務に励みたまえ。自分は、公平な基準による勤務評定を推進して、功績ある者にはよろしく称賛を与えるべく、疎遠な者に対しても必ずそれを与え、罪を犯した者には処罰を下すのが当然で、親しい者に対しても大目に見ることはしない。この令の施行は、白日がその誠真を証明してくれよう。ああ、諸々の役人たちよ、これを見よ。

【語釈】
○知人則哲、堯猶病諸 『尚書』皋陶謨に、天子の務め「知人」「安民」について禹が述べた「惟帝其難之(惟れ帝も其れ之を難しとす)」、及び「知人則哲、能官人(人を知るは則ち哲、能く人を官にす)」を踏まえ、下の句の表現は、『論語』雍也篇にいう「堯舜猶病諸(堯舜すら猶ほ諸を病む)」を用いる。
○人心不同、若其面焉 『春秋左氏伝』襄公三十一年に、子産のいう「人心之不同、如其面焉(人心の同じからざる、其の面の如し)」をほとんどそのまま用いる。「人心不同」は、『三国志(魏志)』巻16「蘇則伝」裴松之注に引く『魏略』にも曹丕の言葉として見えることから、広く人口に膾炙したことわざであったのかもしれない。
○唯女子与小人為難養也…… 『論語』陽貨篇にいう「唯女子与小人為難養也、近之則不孫、遠之則怨(唯だ女子と小人とは養ひ難しと為すなり。之を近づくれば則ち不孫なり、之を遠ざくれば則ち怨む)」をほとんどそのまま用いる。
○憂心悄悄、愠於群小 『毛詩』邶風「柏舟」にいう「憂心悄悄、愠于群小(憂心悄悄たり、群小に愠らる)」を引用する。毛伝に「愠、怒。悄悄、憂貌(愠は、怒るなり。悄悄は、憂ふる貌なり)」と。その小序に「柏舟、言仁而不遇也。衛頃公之時、仁人不遇、小人在側(柏舟は、仁にして不遇なるを言ふなり。衛の頃公の時、仁人は不遇にして、小人側に在り)」と。
○自世間人従 「自」は、譲歩を表す副詞。「雖」「即使」と同義。「人従」は、従者。
○違顧 首をねじって振り返る。「違」は「回」に通ず。たとえば、『尚書』堯典にいう「静言庸違(静言なれども庸は違ふ)」を、『潜夫論』明闇篇や『論衡』恢国篇は「靖言庸回」に作る。
○曠然 がらんどうで何もないさま。
○大嚼者咋断其舌 「嚼」は、噛む。「咋」も、噛む。「咋舌」で、言葉を飲み込んで口をつぐむこと。たとえば、『後漢書』巻二十四・馬援伝に「豈有知其無成而但萎腇咋舌叉手従族乎(豈に其の成る無きを知りて而も但だ萎腇として咋舌叉手して族に従ふ有らんや)」と。
○一身 自分の身体。
○刀鋸 刀とノコギリ。処刑に用いる道具。
○深瑕潜釁・隠過匿愆 深いところに隠された表面化しない小さな欠点や過失。
○穀千駑不如養一驥 「穀」は、やしなう。「驥」は、駿足の良馬。足の鈍い「駑」と、よく対で用いられる。「驥」字、底本は「驢」に作る。今『文館詞林』巻六九五に拠って改める。
○穀駑養虎、大無益也 「穀駑」は、上文の「諺」と同義。「養虎」は、自身を傷つける者を養うこと。『史記』巻七・項羽本紀に「養虎自遺患(虎を養ひて自ら患ひを遺す)」と。なお、『文館詞林』は「穀駑馬養庸夫、無益也」に作り、それだと上文の「諺」とまったく同趣旨の語となるが、今は底本のまま読んでおく。
○韓昭侯之使蔵弊袴 韓の昭侯が、破れた袴を仕舞わせておくことを侍者に揶揄されて、たしかな功績を上げた者を見極めた上で褒美を与えるためだと説明したという故事(『韓非子』内儲説上)。
○使臣有三品 『説苑』政理篇にいう「政有三品。王者之政化之、覇者之政威之、彊国之政脅之(政に三品有り。王者の政は之を化し、覇者の政は之を威し、彊国の政は之を脅かす)」を踏まえる。「品」は、等級の意。
○唐堯 伝説上の聖天子、堯。初め唐侯だったのでこう称する。
○無益之子  堯の子、丹朱。堯は、不肖の子である丹朱には天下を治めさせず、舜に天子の位を授けた(『史記』巻一・五帝本紀)。
○湯武 商(後の殷)の湯王と、周の武王。いずれも王朝の創始者。
○九折臂知為良医 幾たびもの辛苦を経て技能を体得することを言う。当時のことわざ。『楚辞』九章「惜誦」に「九折臂而成医兮、吾至今而知其信然(九たび臂を折りて医と成る、吾は今に至って其の信に然るを知る)」、『春秋左氏伝』定公十三年に「三折肱知為良医(三たび肱を折りて良医と為るを知る)」と。
○待下 臣下たちを遇する。任用する。
○敬 恭しく謹んで従事する。
○在位 官吏として在職していること。ここでは、その職務をいう。
○孤 王侯の自称。
○推一概之平 平等公平な評価を推進する。「概」は、升で物の容量を測るとき、上を平らかにならすために用いる棒。
○功之宜賞 「功」は「賞」の目的語。「之」は、こうした倒置法で用いられる強意の助字。下文「罪之宜戮」も同様。
○有若皎日 白く輝く太陽が、自身の誠真を証明してくれるという意味。『詩経』王風「大車」にいう「謂予不信、有若皦日(予を不信と謂はば、皦日の若き有り)」を踏まえる。「皎日」は「皦日」に同じ。
○於戯 ああ。感嘆詞。
○群司 群れなす官吏。底本は「群臣」に作る。今、『文館詞林』『藝文類聚』に従って改める。