05-26 鰕䱇篇

05-26 鰕䱇篇   鰕䱇篇

【解題】
世俗の人々の卑小さを眺めやりつつ、自らの孤高の志を詠ずる楽府詩。「鰕䱇」は、サンショウウオやドジョウの類。『藝文類聚』巻四十二、『楽府詩集』巻三十、『詩紀』巻十三所収。『楽府詩集』に引く『楽府解題』には「曹植擬長歌行為鰕䱇(曹植は「長歌行」に擬して「鰕䱇」を為る」とある。

鰕䱇游潢潦  鰕䱇 潢潦に游び、
不知江海流  江海の流れを知らず。
燕雀戯藩柴  燕雀 藩柴に戯れ、
安識鴻鵠遊  安んぞ鴻鵠の遊びを識らんや。
世士誠明性  世士は誠に性に明るきも、
大徳固無儔  大徳は固(もと)より儔(ともがら)無し。
駕言登五岳  駕して言(ここ)に五岳に登り、
然後小陵丘  然る後に陵丘を小とす。
俯観上路人  俯して上路の人を観(なが)むれば、
勢利是謀讎  勢利に是れ謀(はか)り讎(あだ)となる。
高念翼皇家  高く皇家を翼(たす)けんことを念じ、
遠懐柔九州  遠く九州を柔らげんことを懐(おも)ふ。
撫剣而雷音  剣を撫して雷音あり、
猛気縦横浮  猛気 縦横に浮く。
汎泊徒嗷嗷  汎泊は徒らに嗷嗷たり、
誰知壮士憂  誰か壮士の憂ひを知らんや。

【押韻】流・遊・儔・丘・讎・州・浮・憂(下平声18尤韻)。

【通釈】
どじょうは狭い水たまりに遊び、大きな川や海に流れる水を知らない。燕や雀は柴のまがきに戯れ、鴻鵠の自由な飛翔を知るはずもない。世間の人々はたしかに人の本性には明るいが、大いなる徳の持ち主はもとより連れ立って遊ぶ仲間を持たないものなのだ。馬車に乗って天下の五山に登り、そうして後に丘陵を小ささを知る。うつむいて大通りを行く人々を眺めやれば、権勢や利益をめぐって謀略を企てたり敵同士となったりしてばかりだ。片や自分は、志を高くもって王室一族を輔佐しようと念じ、遠く思いを馳せて中国全土を手なずけたいと願っている。剣に手をかければ雷が鳴り響き、気炎が縦横に浮かび上がる。そのあたりの平凡な連中は、ただ口々に騒ぎ立てるばかりで、誰も壮士の憂いを知る者はいない。

【語釈】
○鰕䱇游潢潦、不知江海流 「鰕䱇」については、本詩解題を参照。「潢潦」は、水たまり。『春秋左氏伝』隠公三年に「潢汙行潦之水(潢汙行潦の水)」、杜預注に「潢汙、停水、行潦、流潢(潢汙は、停まりたる水、行潦は、流るる潢なり)」と。この二句の発想源として、宋玉「対楚王問」(『文選』巻四十五)に「夫尺沢之鯢、豈能与之量江海之大哉(夫れ尺沢の鯢は、豈に能く之と江海の大なるを量らんや)」、また、『荘子』庚桑楚に「夫尋常之溝、巨魚无所還其体、而鯢鰌為之制(夫れ尋常の溝、巨魚は其の体を還(めぐら)す所无く、而も鯢鰌は之が制を為す)」と。
○燕雀戯藩柴、安識鴻鵠遊 『史記』巻四十八・陳渉世家にいう「燕雀安知鴻鵠之志哉(燕雀 安んぞ鴻鵠の志を知らんや)」、前掲の宋玉「対楚王問」にいう「夫蕃籬之鷃、豈能与之料天地之高哉(夫れ蕃籬の鷃、豈に能く之と天地の高きを料らんや)」を踏まえる。
○誠明性 「性」は、生まれ持った性質。この三字、『藝文類聚』は「比誠明」に、『楽府詩集』『詩紀』は「此誠明」に作るが、対句を為す「固無儔」とのバランスから見て、底本のままとしておく。
○駕言登五岳、然後小陵丘 「駕言」は、『毛詩』邶風「泉水」、衛風「竹竿」にいう「駕言出遊、以写我憂(駕して言(ここ)に出遊し、以て我が憂ひを写(のぞ)かん)」を用いた表現。「五岳」は、中国を代表する五方の山。諸説あるが、『史記』巻二十八・封禅書によれば、東は泰山、南は衡山、西は華山、北は恒山、中央は嵩山をいう。この二句は、『孟子』尽心章句上にいう「孔子登東山而小魯、登太山而小天下(孔子は東山に登りて魯を小とし、太山に登りて天下を小とす)」を踏まえる。
○上路 立派な道路。『漢書』巻五十一・枚乗伝に、「游曲台、望上路、不如朝夕之池(曲台に游び、上路に望むも、朝夕の池に如かず)」と。
○勢利是謀讎 この五字、底本は「勢利惟是謀」に作る。今、宋本に従っておく。「謀讎」は珍しい語だが、黄節に従い、お互いにたくらみ合い、敵同士となることと解釈しておく。
○讎高念皇家 この五字、宋本では「高念 皇家」に作り、「皇」の上に欠落がある。黄節は「宋本作高念翼皇家」と注するが、いずれの宋本かは未詳。朱緒曾『曹集考異』は「高念翼皇家」に作り、「呉志忠、従宋本・郭楽府改(呉志忠は、宋本・郭楽府(郭茂倩『楽府詩集』)に従って改む)」と注記する。今、朱緒曾・黄節の校訂に従っておく。
○遠懐柔九州 「九州」は、古代、中国を分割した九つの州の総称。敷衍して中国全土をいう。一句は、『尚書』文侯之命にいう「柔遠能邇(遠きを柔らげ邇きを能くす)」を踏まえる。
○撫剣而雷音 『荘子』説剣にいう「此剣一用、如雷霆之震也。四封之内、無不賓服而聴従君命者矣。此諸侯之剣也(此の剣 一たび用ゐれば、雷霆の震ふが如きなり。四封の内、賓服して君命を聴従せざる者無し。此れ諸侯の剣なり)」を踏まえ、諸侯としての役割を果たしたいという抱負を詠う。
○汎泊徒嗷嗷、誰知壮士憂 「汎泊」は、衆多の凡人たちをいう「凡百」が、上文の「浮」字に渉ってサンズイを増してしまったものか。徐仁甫『古詩別解』(中華書局・徐仁甫著作集、二〇一四年)巻五、一二「曹植《鰕䱇篇》“泛泊徒嗷嗷”解」を参照。この徐仁甫の説は、曹海東『新訳曹子建集』(三民書局、二〇〇三年)二三二頁によって知り得た。「嗷嗷」は、大勢が大声で騒ぎ立てるさま。両句の表現は、「美女篇」(05-12)にいう「衆人何嗷嗷、安知彼所観(衆人何ぞ嗷嗷たる、安くんぞ彼の観る所を知らん)」に近い。