曹植と成公綏

本日、曹植作品訳注稿「霊芝篇(鼙舞歌2)」を公開しました。

この作品の「乱(歌いおさめ)」の冒頭に、
「聖皇君四海(聖なる皇帝は天下四海に君臨し)」という句がありますが、

これとまったく同一の句が、
『宋書』楽志二所収の、西晋王朝の宮廷歌謡、
成公綏「晋四箱歌十六篇・雅楽正旦大会行礼詩十五章」其六の冒頭に見えています。

「聖皇」「君(君臨する)」「四海」は、
それぞれ単独の語としては、決して珍しいものではありません。

けれども、この三つの言葉を組み合わせた例は、
漢魏晋南北朝時代の現存作品を見る限り、曹植と成公綏のみです。

成公綏によるこの雅楽歌辞は、
こちらでも述べたように、同作品の其の四にも曹植作品の影響が認められました。

成公綏は、雅楽歌辞制作において、曹植を意識していた可能性があります。

また、かつてこちらでも述べたとおり、
張華による宮廷雅楽の歌辞「晋四廂楽歌十六篇」其五(『宋書』楽志二)にいう
「枯蠹栄、竭泉流(枯蠹は栄(はな)さき、竭泉は流る)」は、
曹植「七啓」(『文選』巻34)にいう、
「夫辯言之艶、能使窮沢生流、枯木発栄」を踏まえたものと見られます。

こうしてみると、西晋王朝の宮廷音楽には、
なにか、曹植に対する意識の磁場のようなものがありそうだと感じます。

ただ、たまたまこうした事例が伝存しただけという可能性もあります。
恣意的な見方をしないよう、しばらく読解に注力します。

2024.12.25