05-42 大魏篇(鼙舞歌3)

05-42 大魏篇(鼙舞歌3)  大魏篇(鼙舞歌3)

【解題】
魏王朝の成立を祝って盛大に催される宮中での酒宴の様子を詠じた歌辞。『宋書』巻二十二・楽志四所収「魏陳思王鼙舞歌五篇」の其三。『楽府詩集』巻五十三、『詩紀』巻十三にも収載。詩の本文は、基本的に『宋書』に拠る。「鼙舞歌」については、「鞞舞歌 有序 五首(序)」(05-39)を参照されたい。魏王朝『宋書』楽志四によれば、本作品は「漢吉昌」に当てて作られたという。「漢吉昌」は、漢代「鼙舞歌」の「楽久長」と見てよいだろう。というのは、前掲『楽府詩集』に引く『古今楽録』に、「按漢曲無漢吉昌、狡兔二篇。疑楽久長、四方皇是也(按ずるに漢曲に「漢吉昌」、「狡兔」の二篇無し。疑ふらくは「楽久長」、「四方皇」是れなり)」といい、かつ『宋書』楽志四に古曲「四方皇」に当たると記されている西晋王朝の「大晋篇」が、四言を主体として末尾の部分に五言を配するという様式を取り、これが「狡兔」に当たると記される曹植「孟冬篇」に共通するからである。それならば、残る一方の「楽久長」が、曹植の本歌辞が基づいたという「漢吉昌」に相当すると判断される。

大魏応霊符    大魏 霊符に応じ、
天禄方甫始    天禄 方(まさ)に甫始(はじ)まる。
聖徳致泰和    聖徳 泰和を致し、
神明為駆使    神明 駆使せらる。
左右宜供養    左右に 宜し 供養す、
中殿宜皇子    中殿に 宜し 皇子あり。
陛下長寿考    陛下 長寿考なれ、
群臣拝賀咸説喜  群臣 拝賀して咸(みな)説喜す。」
積善有餘慶    善を積めば餘慶有り、
栄禄固天常    栄禄は固より天の常なり。
衆善填門至    衆善 門に填(み)ちて至り、
臣子蒙福祥    臣子 福祥を蒙る。
無患及陽遂    無患及び陽遂にして、
輔翼我聖皇    我が聖皇を輔翼す。
衆吉咸集会    衆吉 咸集まり会して、
凶邪姦悪並滅亡  凶邪姦悪は並びに滅亡す。」
黄鵠游殿前    黄鵠は殿前に游び、
神鼎周四阿    神鼎は四阿に周(あまね)し。
玉馬充乗輿    玉馬は乗輿に充ち、
芝蓋樹九華    芝蓋は九華を樹(た)つ。
白虎戯西除    白虎は西の除(きざはし)に戯れ、
舎利従辟邪    舎利は辟邪に従ふ。
騏驎躡足舞    騏驎は足を躡(ふ)みて舞ひ、
鳳凰拊翼歌    鳳凰は翼を拊(う)ちて歌ふ。」
豊年大置酒    豊年 大いに置酒し、
玉樽列広庭    玉樽 広庭に列せらる。
楽飲過三爵    楽しみ飲みて三爵を過ぎ、
朱顔暴已形    朱顔 暴(あら)はれ已に形(あら)はる。
式宴不違礼    式宴 礼に違はず、
君臣歌鹿鳴    君臣 鹿鳴を歌ふ。
楽人舞鼙鼓    楽人 鼙鼓に舞ひ、
百官雷抃賛若驚  百官 雷抃して賛すること驚くが若し。」
儲礼如江海    儲礼 江海の如く、
積善若陵山    積善 陵山の若し。
皇嗣繁且熾    皇嗣 繁く且つ熾(さか)んにして、
孫子列曾玄    孫子 曾玄を列す。
群臣咸称万歳   群臣 咸万歳と称し、
陛下長楽寿年   陛下 長く寿年を楽しまれん。」
御酒停未飲    御酒 停めて未だ飲まれず、
貴戚跪東廂    貴戚 東廂に跪(ひざまづ)く。
侍人承顔色    侍人 顔色を承(う)けて、
奉進金玉觴    金玉の觴を奉進す。
此酒亦真酒    此の酒は亦た真酒なり、
福禄当聖皇    福禄 聖皇に当たる。
陛下臨軒笑    陛下は軒に臨みて笑ひ、
左右咸歓康    左右 咸歓び康(たの)しむ。
杯来一何遅    杯の来ること一に何ぞ遅き、
群僚以次行    群僚 次を以て行ふ。
賞賜累千億    賞賜 千億を累(かさ)ね、
百官並富昌    百官 並びに富昌なり。」

【押韻】始・使・子・喜(上声06止韻)。常・祥・亡(下平声10陽韻)、皇(下平声11唐韻)。阿・歌(下平声07歌韻)、華・邪(下平声09麻韻)。庭・形(下平声15青韻)、鳴・驚(下平声12庚韻)。山(上平声28山韻)、玄・年(下平声01先韻)。廂・觴・昌(下平声10陽韻)、皇・康・行(下平声11唐韻)。

【通釈】
大いなる魏王朝は、符命に応じて天下を治めることとなり、天からの福禄が今まさに授けられたところだ。至高の有徳者は天下泰平を世にもたらし、神々たちはそのための役務に従事する。天子の左右では、ああ孝養が尽くされる、宮殿の中にて、ああ天子の世継ぎによって。「陛下におかれてはご長命であらせられますように。」居並ぶ群臣はこう祝辞を述べてみな歓喜する。
善行を積めば余沢に恵まれるのであって、そのような人物に栄誉や利益がもたらされるのはもとより天の常道である。幾多の善が門いっぱいに訪れて、臣下も皇子も幸福の瑞祥を身に浴びる。何の災禍もなく、そして万事が清らかに滞りなく進みゆき、あらゆるものが我が聖なる皇帝を補佐する。幾多の吉祥がすべて集まってきて、邪悪な者たちはみな滅び去った。
黄鵠は宮殿の前に遊び、神聖なる鼎は四方に廂を構えた建物を取り囲む。めでたき玉の馬はみっしりと天子の乗る馬車に繋がれ、霊芝でできた車蓋からは九本に枝分かれした花の木が伸びている。白虎は西側のきざはしに戯れ、車と化した舎利はこれを引く辟邪に従う。騏驎は足を踏んで舞い踊り、鳳凰は翼を打ち震わせて歌う。豊年満作を祝って盛大に酒宴を設け、玉の酒樽が広い庭いっぱいに並ぶ。楽しみを尽くして重ねた酒杯は三酌を超え、紅色に染まった顔がすっかり露わになっている。宴を催すのに礼に背くことはなく、君臣あげて客人を歓待する「鹿鳴」を歌う。楽人は鼙鼓の音に合わせて舞い、並み居る官僚たちは雷のごとく手を打ち鳴らし、どよめくがごとき賛嘆の声を上げる。
身に蓄えられた折り目正しさは大いなる江や海のように深遠で、積み上げられた善行は墳陵のようにうず高い。皇帝の世継ぎは隆盛を極め、孫たち、更にその孫たちに至るまで列を為す。並み居る群臣はみな万歳を唱え、「陛下には永遠に長寿を楽しまれますように」と祈念する。
杯が止まって未だ飲酒に及ばぬとき、皇帝の親族たちは東の御殿にひざまずく。身近に侍る者たちは皇帝の様子をうかがって、金や玉でできた酒杯を進め奉る。「この酒はまた神仙の酒でもありまして、素晴らしき福禄が陛下にもたらされること確実でございます。」陛下は前殿の闌干に進み出て笑顔で応え、左右の者たちは口々に歓喜の声を上げる。巡る杯のなんとじれったいことよ、群れなす官僚たちは順番に杯を回していく。下賜される恩賞は千億を重ね、居並ぶ役人たちはこぞって富み栄える。

【語釈】
○霊符 天から為政者たるべき者に示された符命。班彪「王命論」(『文選』巻五十二)に「若乃霊瑞符応、又可略聞矣(乃ち霊瑞符応の若きは、又略(ほぼ)聞く可し)」と。
○天禄 天から為政者たるべき者に授与された福禄。『論語』堯曰篇に「咨爾舜、天之暦数在爾躬。……四海困窮。天禄長終(咨(ああ)爾(なんぢ)舜よ、天の暦数は爾が躬に在り。……四海困窮せり。天禄長く終(み)ちん)」と。
○甫始 始まる。漢の鼓吹鐃歌「聖人出」(『宋書』楽志四)に「免甘星筮楽甫始、美人子、含四海(星筮を免じ甘んじて楽しみ甫始(はじ)まる、美人子は、四海を含む)」、魏武帝曹操の「気出倡」に「長楽甫始宜孫子(長楽甫始まり孫子に宜し)」と。
○聖徳 至高の徳を有する者。
○泰和 陰陽の調和した天下泰平の状態。たとえば曹植「文帝誄」(10-06)に「図致太和、洽徳全義(太和を致さんことを図りて、徳を洽(あまね)くし義を全うす)」と。「泰和」は「太和」に同じ。
○神明 神々の総称。『易』説卦伝に「昔者聖人之作易也、幽賛於神明而生蓍(昔者聖人の易を作るや、神明に幽賛して蓍を生ず)」と。
○為駆使 「為」は受身を表す。「駆使」は労役に追い立てる。
○左右宜供養、中殿宜皇子 「左右」は、身の回り。「宜」は、語勢を助ける助詞。『経伝釈詞』巻五、「宜儀義」の項を参照。「供養」は、親への孝養。『礼記』檀弓篇に「事親有隠而無犯、左右就養無方(親に事(つか)ふるには隠す有りて犯す無く、左右に就養して方無し)」と。「中殿」は、宮殿の中。この二句は、宮殿の中、皇帝の身の回りで、皇帝の子が、親である皇帝に孝養を尽くすことをいう。
○長寿考 「寿考」は、長寿。『毛詩』大雅「棫樸」に「周王寿考、遐不作人(周王は寿考、遐(とほ)く人を作さざらんや)」と。また、『文選』巻二十九「古詩十九首」其十一に「人生非金石、豈能長寿考(人生は金石に非ず、豈に能く長く寿考ならんや)」と。ここでは、皇帝の長寿を祈念する祝辞。「精微篇(鼙舞歌4)」(05-43)にも「聖皇長寿考(聖皇 長寿考なれ)」と見えている。
○拝賀 貴人に対して祝辞を述べる。
○説喜 歓喜する。「説」は、悦に通ず。
○積善有餘慶 『易』坤卦の文言伝にいう「積善之家、必有餘慶、積不善之家、必有餘殃(善を積むの家には、必ず餘慶有り、不善を積むの家には、必ず余殃有り)」を踏まえる。同じ句が、「贈丁廙」(04-14)にも「積善有餘慶、栄枯立可須(善を積めば餘慶有り、栄枯 立ちどころに須つ可し)」と見えている。
○填門至 門をうずめるほど押しかけてくる。「霊芝篇(鼙舞歌2)」(05-41)にも「責家填門至(責家は門に填めて至る)」と。
○臣子 臣下と子。
○及 並列するものを連結させる接続詞。
○陽遂 物事が清らかに通る。『文選』巻十七、王褒「洞簫賦」に洞簫の音を形容して「時横潰以陽遂(時に横潰して以て陽遂す)」、李善注に「陽遂、清通貌(陽遂とは、清く通ずる貌なり)」として、鄭玄の『周礼』冬官考工記・弓人の注「陽、猶清也」、同『礼記』緇衣の注「遂、猶達也」を示す。
○輔翼我聖皇 「輔翼」は、補佐する。『史記』巻三十三、魯周公世家に「及武王即位、旦常輔翼武王、用事居多(武王が即位するに及びて、(周公)旦は常に武王を輔翼し、用事多きに居る)」と。「聖皇」は、皇帝に対する尊称。ここでは魏の文帝、曹丕を指す。「鼙舞歌」五篇のすべて、及び「応詔」(04-08)にも見えている。本詩下文にも見える。
○黄鵠游殿前 「黄鵠」は、黄色味を帯びた白鳥。瑞祥として、『漢書』巻七・昭帝紀に「始元元年春二月、黄鵠下建章宮太液池中(始元元年春二月、黄鵠 建章宮の太液池の中に下る)」と。ここでは特に、土徳を有する天子に応じて現れる瑞祥として詠う。魏王朝の徳は土。『三国志(魏志)』巻二・文帝紀の裴松之注に引く『献帝伝』に、給事中博士蘇林・董巴の上表を載せて「魏之氏族、出自顓頊、与舜同祖。……舜以土徳承堯之火、今魏亦以土徳承漢之火、於行運、会于堯舜授受之次(魏の氏族は、顓頊より出で、舜と祖を同じくす。……舜は土徳を以て堯の火を承け、今魏も亦た土徳を以て漢の火を承け、行運に於いて、堯舜授受の次に会す)」と。
○神鼎周四阿 「神鼎」は、帝王の座を象徴する鼎の美称。『史記』巻二十八・封禅書に「聞昔泰帝興神鼎一(聞くならく昔泰帝は神鼎一を興す)」と。「四阿」は、四方にひさしを設けた建物。『周礼』冬官考工記・匠人に「殷人重屋、堂修七尋、堂崇三尺、四阿重屋(殷人は屋を重ね、堂の修さは七尋、堂の崇さは三尺、四阿に重屋なり)」、鄭玄注に「四阿、若今四注屋(四阿とは、今の四注の屋の若し)」と。
○玉馬充乗輿 「玉馬」は、賢明なる君主に応じて現れる瑞祥。『藝文類聚』巻九十九下に引く『瑞応図』に「玉馬者、王者清明尊賢則至(玉馬は、王者清明尊賢ならば則ち至る)」と。「乗輿」は、天子の乗る車。
○芝蓋樹九華 「芝蓋」は、霊芝でできた車蓋。張衡「西京賦」(『文選』巻二)に「芝蓋九葩(芝蓋に九葩あり)」、薛綜注に「以芝為蓋、蓋有九葩之采(芝を以て蓋を為り、蓋に九葩の采有り)」と。また、瑞祥として、『漢書』巻六・武帝紀に、元封二年六月の詔に「甘泉宮内中産芝、九茎連葉(甘泉宮内中に芝を産し、九茎連葉なり)」とある。
○白虎戯西除 「白虎」は、西方に配せられる神獣。『淮南子』天文訓に「西方金也。……其神為太白、其獣白虎(西方は金なり。……其の神は太白為り、其の獣は白虎たり)」と。「西除」は、西側のきざはし。
○舎利従辟邪 「舎利」は、伝説上の神獣。「含利」と記す場合もある。張衡「西京賦」(『文選』巻二)に、「含利颬颬、化為仙車、驪駕四鹿、芝蓋九葩(含利颬颬として、化して仙車と為り、四鹿を驪駕せしめ、芝蓋に九葩あり)」、薛綜注に「含利、獣名。性吐金、故曰含利(含利は、獣名なり。性 金を吐く、故に含利と曰ふ)」と。また、『続漢書』礼儀志中の劉昭注補に引く蔡質『漢儀』に、元旦の朝会で披露される芸能として「舎利従西方来(舎利 西方従り来たる)」云々と見える。「辟邪」は、鹿に似て尾が長く、二本の角を持つ神獣(『漢書』巻九十六上・西域伝上、烏弋山離国に見える「桃抜」の孟康注)。
○麒麟 伝説上の神獣。前後に見える「白虎」「鳳凰」とともに、王者の徳に応じて現れる。『白虎通』封禅に「徳至鳥獣、則鳳皇翔、鸞鳥舞、麒麟臻、白虎到(徳の鳥獣に至れば、則ち鳳皇翔り、鸞鳥舞ひ、麒麟臻り、白虎到る)」と。
○大置酒 漢の太楽食挙十三曲に「大置酒」と題する楽曲があり(『宋書』巻十九・楽志一)、曹植のこの辞句はそれに基づくと朱緒曾は指摘する(『曹集考異』巻六)。
○楽飲過三爵 『礼記』玉藻にいう「君主之飲酒也、受一爵而色洒如也。二爵而言言斯。礼已三爵而油油以退(君主の酒を飲むや、一爵を受けて色は洒如たるなり。二爵にして言言たるのみ。礼として三爵に已(や)みて油油として以て退く)」を踏まえ、無礼講での飲酒をいう。同一句が「箜篌引」(05-01)にも見えている。
○朱顔暴已形 「朱顔」は、酔って紅色に染まった顔。「妾薄命二首」其二(05-07-2)にも「朱顔発外形蘭(朱顔外に発して形は蘭なり)」と。「暴」も「形」も、表に現れ出るの意。「已」字、『宋書』楽志四は「己」に作る。今、『楽府詩集』『詩紀』に従って改める。
○式宴 宴を催すこと。『毛詩』小雅「鹿鳴」に「我有旨酒、嘉賓式燕以敖(我に旨き酒有り、嘉賓式て燕し以て敖(あそ)ぶ)」「式」は「以」、「燕」は「宴」に同じ。
○君臣歌鹿鳴 「鹿鳴」は、前掲注を参照。「鹿鳴」の小序に「鹿鳴、燕群臣嘉賓也(鹿鳴は、群臣嘉賓を燕するなり)」と。
○鼙鼓 「鼓」は、ばちで打ち鳴らす大型の革製打楽器。「鼙」は、それより小型のふりつづみ(『宋書』巻十九・楽志一)。
○雷抃 雷のような音を立てて手を打ち鳴らす。馬融「長笛賦」(『文選』巻十八)に、笛の音曲が及ぼす影響を描写して「失容墜席、搏拊雷抃(容を失ひ席より墜ち、搏拊雷抃す)」と。
○賛若驚 賛嘆の声がどよめくように響き渡る。ここでの「驚」に近い用例として、『楚辞』招魂に、宮中に鳴り響く音楽を描写して「宮庭震驚、発激楚些(宮庭は震驚して、激楚を発す)」、王逸注に「震、動。驚、駭(震は、動なり。驚は、駭なり)」と。
○積善若陵山 「積善」は、本詩の上文に「積善有餘慶(善を積めば餘慶有り)」と既出。「陵山」は、山陵に同じ。皇帝の墳陵。
○曾玄 曽孫(孫の子)と玄孫(孫の孫)。
○貴戚 皇帝の親族。母や妻に連なる一族も含める。「聖皇篇(鼙舞歌1)」(05-40)にも「貴戚並出送(貴戚並びに出でて送る」と。
○東廂 太極殿の東に位置する御殿。『三国志(魏志)』巻四・三少帝紀(高貴郷公)、甘露元年の裴松之注に引く『魏氏春秋』に、「帝宴群臣於太極東堂(帝は群臣を太極の東堂に宴す)」と。「五遊詠」(05-15)にも「群后集東廂(群后は東廂に集ふ)」と見えている。
○承顔色 皇帝の顔色からその意向を汲み取る。同趣旨の「承顔」の用例として、『三国志』巻六十・呉書・全琮伝に「為人恭順、善於承顔納規、言辞未嘗切迕(為人は恭順にして、承顔納規を善くし、言辞未だ嘗て切迕ならず)」と。
○金玉觴 黄金や玉でできた酒杯。
○真酒 神仙の酒。「真」は、道教の奥義をいう。
○福禄 さいわい。「禄」も「福」と同義。
○臨軒 皇帝が正殿から前殿に進み出て闌干に臨むこと。たとえば、前掲の蔡質『漢儀』(『続漢書』礼儀志中の劉昭注補に引く)にも、元旦の朝会で皇帝が群臣に謁見する様子を記す中にこの語が見える。
○歓康 喜び楽しむ。張衡「東京賦」(『文選』巻三)に「君臣歓康、具酔熏熏(君臣歓び康しみ、具に酔ふこと熏熏たり)」、李善注に「康、楽也(康は、楽しむなり)」と。
○杯来一何遅 類似句として、「妾薄命二首」其二(05-07-2)に「但歌杯来何遅(但歌す 杯の来ること何ぞ遅きと)」と。王粲「公讌詩」(『文選』巻二十)にも「合坐同所楽、但愬杯行遅(坐を合して楽しむ所を同じくし、但だ杯の行(めぐ)ることの遅きを愬(うった)ふ)」との類似句が見えることから、当時の宴席における常套句であったと推測される。前掲の伊藤正文『曹植(中国詩人選集3)』二〇〇頁を参照。
○以次行 「次」は順番、「行」は酒をくむこと。
○富昌 富み栄えること。『白虎通』聖人に「武王望羊、是謂摂揚。盱目陳兵、天下富昌(武王は望羊たり、是れ摂揚と謂ふ。目を盱(みは)り兵を陳べて、天下は富昌なり)」と。