曹植の詩と生涯(続き)

先に、曹植作品は彼の人生と不可分であることを述べました。
その難解さは、彼の境遇を抜きには読み解くことができない性質のものです。

ただ、そうした作品には成立年が不明なものが多く、
従ってその時期の曹植が置かれていた境遇も不明という場合が少なくありません。

そうした場合、よほど論述の構成と表現に注意を傾けないと、
単なる思い込みで作品と実人生とを結びつけたと断じられかねません。

まず作品を丁寧に読み、その中から浮かび上がってくる不可解さに目を留める。
そして、その不可解さを解く糸口を、彼の辿った足跡の中に探る。
このような手順を、基本的に私は取っています。

けれども、作品の中に描かれたある事象を、現実のある出来事に結びつけ、
その結び付け方は恣意的だと言わざるを得ない先行研究もあります。

そうした研究とは、そもそも考察の手法が異なっているのですが、
そこは読み飛ばされるのか、わりと同等視されがちな印象があります。

けれども、自分も恣意的な解釈に陥っている可能性はあります。
せめて、自身の説は恒常的に検証していくつもりです。

その自説に未だ自信がもてない作品のひとつに「贈丁儀」詩(04-10)があります。
この作品については、かつて論じたことがあるのですが、*1
関連作品を複数読んだ今とその当時とでは、少なくとも次の点で異なる前提に立っています。

それは、仮にもし本作品の成立を、丁儀が誅殺される直前、延康元年(220)だとして、
当時、曹植はおそらくはまだ魏の都、鄴を離れてはいなかった、
少なくとも、封ぜられていた臨淄に赴いてはいなかったということです。

これについては、主に「責躬」詩(04-19-1)に拠ってすでに論じています。*2

すると、丁儀が追い詰められていくのを、曹植は間近で見ていたことになります。
そのような情況下で、為政者批判をするとはどういうことでしょうか。
(手厳しい批判の対象となっているのは、魏王である曹丕です。)

本当に本作品を延康元年の作だと見てよいのでしょうか。
かくして、また振り出しに戻ります。

2026年2月25日

*1 「曹植「贈丁儀」詩小考」(『林田慎之助博士傘寿記念三国志論集』汲古書院、2012年)
*2 「黄初年間における曹植の動向」(『県立広島大学地域創生学部紀要』第2号、2023年)