推測と憶測(続き)

こんばんは。

民国時代くらいまでの中国の研究に多い論として、
作品が描く内容を、現実世界の中に探り出して結びつけるという方法があります。
表現されていることを、現実の出来事に直結させて解釈する方法、
その基層には、文学作品は現実世界の反映だとする考え方があるようです。

これだと、単なる憶測だと片づけられても仕方がないかもしれません。

他方、作品が内包する不可解さに目を留め、
その綻びや分からなさがどうして生じたのか、考察を重ねていくうちに、
作品の背後にある現実や、作者の心情を究明することとなる、という研究方法があります。
これは、前述の方法とは、結論が似ているようでいて、実はその考察の起点と筋道が異なるものです。
まず不可解さを認識し、その由来を説明する最も合理的な理由を探っていった先に、
現実世界なり、作者の心情なりにたどり着くのですから。

これに対しては、単なる推測(すなわち憶測)だと片づけることはできないはずです。

もし本当にこれを批判しようとするならば、
指摘された不可解さを説明する、更に合理的な根拠を提示すればよいのです。
その前に、その不可解さの認識が共有できていなければなりませんが。

2021年2月23日

直観と検証

こんばんは。

曹植「朔風詩」(『文選』巻29)を読み始めてすぐ、
これは「失題」詩(『曹集詮評』巻4)に似ていると思いました。

双鶴倶遨遊  双鶴 倶に遨遊し、
相失東海旁  相失ふ 東海の旁。
雄飛竄北朔  雄は飛びて北朔に竄(のが)れ、
雌驚赴南湘  雌は驚きて南湘に赴く。
棄我交頸歓  我が頸を交へたる歓びを棄て、
離別各異方  離別して各(おのおの)方を異にす。
不惜万里道  惜しまず 万里の道を、
但恐天網張  但だ恐る 天網の張れるを。

「朔風詩」にも、ここに挙げた「失題」詩と同様、
北と南とに引き裂かれた者の悲しみが詠われているからです。

また、「朔風詩」は彼の「雑詩六首」其一にも似ていると思いました。
(両詩を収載する『文選』巻29において、後者は前者に続けて出てきます。)

遠い南方にいる慕わしい人に思いを馳せていること、
舟を泛べて会いに行きたいという叶わぬ思いを詠じていることが共通しています。

余冠英の所論は、「失題」詩の成立を、
「贈白馬王彪」詩(『文選』巻24)と同時期だと推測しています。*

特に根拠が示されているわけではありませんが、強い説得力を持つ見方です。

他方、「朔風詩」の成立時期については諸説があるようですが、
「失題」詩、「贈白馬王彪」詩と同時期に成ったのではないかという気がしています。
その言葉の使い方や発想の類似性から、そう感じるのだと思います。

もちろん、精読するうちに、この直観は修正を迫られるかもしれません。
直観は自由に、後から理詰めで検証を、というスタイルです。

2021年2月22日

*余冠英「建安詩人代表曹植」(『漢魏六朝詩論叢(中華現代学術名著叢書)』商務印書館、2016年)

「雑詩」とは何か

こんばんは。

「曹植作品訳注稿」、先週末から「朔風詩」(『文選』巻29)に入りました。
この作品をなんとなく敬遠してきたのは、それが四言詩だからです。

この詩を収録する『文選』巻29・雑詩上は、「古詩十九首」に始まります。
古詩は、漢代の詠み人知らずの五言詩。
だから当然、ここに収載されている「雑詩」は多くが五言詩だろうと思っていました。
実際、たしかにそうではあるのですが、その中で「朔風詩」は四言です。

それなら、「雑詩」とはいったいどのようなジャンルなのでしょうか。
それを探る手掛かりとして、『文選』巻29・30所収作品の一覧を作ってみました。
こちらです。

これによると、魏晋までは、「雑詩」はひとつの詩体の呼称だったと見られます。
同じ作者の中で、たとえば「雑詩」と「情詩」とが併存しているからです。

一方、『文選』巻29・30の冒頭に「雑詩上」「雑詩下」と挙げられているのは、
狭義の「雑詩」に連なる諸作品を包括する、いわば上位概念としてのジャンル名のようです。

巻30の雑詩下には南朝の作品が収載されていますが、
「雑詩」という詩題は減少し、
詩作の場を明記した作品、特定の誰かと唱和した詩などが増加して、

魏晋の「雑詩」とはかなり趣きが違っています。
これらの作品のどんな点が、狭義の「雑詩」に連なると『文選』の編者は見たのでしょうか。

また、漢魏晋から南朝までを包括する、広義の「雑詩」とはどのようなものでしょうか。
すぐに解明できるとは思いませんが、そんな疑問符を頭の片隅に置きながら、
曹植「朔風詩」を読んでゆこうと思います。

2021年2月21日

 

推測の妥当性を決するもの

こんばんは。

推測と憶測とは似て非なるものだ、と昨日述べました。
では、その推測の妥当性は、誰がどのようにして判断するのでしょうか。

そのジャッジを経験豊かな第三者に求めること。
これは、投稿した論文に与えられる査読コメントがそれでしょう。
ですが、査読者のすべてが真に妥当な批評をしてくださるとは限りません。
(的確かつ親切な査読コメントをいただけたなら、それはたいへんな幸運です。)
こんなことを言うのは非常に傲慢なことかもしれませんが、
本当に耳を傾けるべき第三者の声は、自分でそれを聴き分ける必要があると思います。
そうするのでないと、進むべき方向性が見えなくなってしまいます。

私は、まず自分の中に第三者の目を持つことだと思っています。
とはいえ、その内なる第三者だって、完全に自分から独立した存在ではありませんから、
いつ、無自覚的に、自分に都合のよい判断をしてしまうとも知れません。
人の脳は、自分が見たいものを見るようにできていると聞きます。
ただ、健康な精神は自身を疑うことができる、
病んでいる人は、自身にその病識がないのだとも聞きます。

自説の作り上げた世界の中に安住して、それ以外が見えなくなっている研究者。
それは想像するだに恐ろしい、閉塞感で苦しくなるような存在です。
そうならないようにということは常に自戒したいです。

2021年2月20日

推測と憶測

こんばんは。

「相和」と総称される魏の宮廷歌曲群があります。
それが、古い来歴を持つ特別な歌曲群であったらしいことは、
すでに何度か述べました。(たとえば2019年12月18日2020年8月8日8月9日など)

「相和」は、いわゆる「清商三調」とは区別しないと見方を誤るし、
まして、宗廟を祭る歌舞や、王朝の成立経緯を歌い上げる鼓吹曲などとは一線を画します。
いくら楽府詩というジャンル名で総称されていようと、
いくらその中に類似する発想が認められようと、そこは同列には論じられません。

そんな、魏王朝にとっては特別な「相和」歌辞なので、
その作者は、古辞(古い詠み人知らず)か、武帝曹操か、文帝曹丕に限定されます。
このことはすでにこちらにも示したとおりです。

誰でもその歌辞が作れるわけではなかった「相和」ですが、
その唯一の例外が曹植です。
彼は、曹操の歌辞による「薤露・惟漢二十二世」に対して、「薤露行」「惟漢行」の二首を、
また、古辞「平陵東」に対して、替え歌を一首作っています。
他の文人には、そうした表現行為は認められません。

こうしてみると、曹植における「薤露」歌辞の制作は、何か非常に突出して見えます。

ただ、この時代の作品は多く散佚しているのです。
曹植は「相和」の他の楽曲にも歌辞を作っていたのではないか。
魏朝に仕えた人で、「相和」歌辞を作った人は曹植以外にもいるのではないか。
そのような疑問も当然起こってくると思います。

ですが、それを疑うならば、この時代の文学研究はすべて成り立たなくなる。
要は、多くの散佚作品がある可能性を常に念頭に置きながら、
たとえば「相和」の作者について言えば、そこに歴然とある偏りに目を向けること、
そして、曹植という人物が置かれた立場(魏王朝の一族)を視野に入れることでしょう。

ところで、北宋時代末頃に成った『楽府詩集』、
時代が900年ほど隔たっているのですが、その分類には意外と多くの論文が従っています。
疑問視ということにも、盲点のようなものがあるのでしょうか。

推測と憶測とは、似て非なるものです。
推測は、空白の存在を自覚しつつ推し測る、学術的な行為だと私は思います。

2021年2月19日

雑記再開

こんばんは。

本日、曹植「三良詩」(『文選』巻21)の訳注稿を公開しました。

直近に公開した「求自試表」の訳注稿は、語釈だけで二ヶ月もかかりましたが、
今回は、先にこちらの論文№42を書いたときに読み、そのノートがあったので楽でした。
楽に進めるときもあるし、岩盤を小さなノミで削って進むようなときもあります。

何かを論じようとするときは、というより自ずから論に結実するまでには、
それ相当の時間をかけて作品を読解します。
自分の考えが本当に妥当か、矯めつ眇めつ検討を重ねます。

中国の古典文学は、思い付きで何かが語れるほど、
すぐにわかりやすくその懐を開いてくれるわけではありません。
でも、そうして深めた考察は、単なる思い付きと見分けがつくのでしょうか。

私は、それができる人になりたいと念じています。
真摯に検討を重ねた所論が、単なる推測だと片づけられることの無念。
どんなに言葉を尽くしても到達できない他者のいる場所。

2021年2月18日

曹植「求自試表」の文体

こんばんは。

曹植「求自試表」の文体について、先日少し触れました。
冒頭では整然と対句が並んでいますが、途中から筆が滑走していくような印象です。

訳注稿は、あと解題を完成させて、近日中に公開する予定ですが、
そこでは、先に述べたようなことは明示できないでしょう。

そこで、こちらに別途、その本文と通釈のみを示しておくこととしました。
(訳注稿でも本文・通釈は示しますが、句の構成を可視化することは難しいので。)

黄色でマークしているのは対句で、
対を為す部分は行頭の高さが揃うように按配しています。
ひとつながりに続く文章で、改行する場合は、半角落としています。

こうしてみると、文章の後半、かなりラフな文体となっていくことが一目瞭然です。

2021年2月5日

※本文と通釈を記したファイルは、その後、修正版に差し替えました。(2021年2月7日)
※その後にまた誤訳を見つけたので、再修正版に差し替えております。(2021年2月8日)

学生たちへのエール

夕方、山の端がほんのり紅色に染まっています。

今日は、演習科目の今期最後の授業で、
受講生全員に、今年読んだ作品に関する発表をしてもらいました。
ここでも何度か話題にしたことがある、元稹と白居易との交往詩についてです。
十数名がそれぞれに自分なりの考えを述べ、なかなか充実した発表が多かったです。

授業は次のような方法を取りました。
(Teamsを用いて、グループディスカッションにはチャネルを設けて)

1、学生は事前に、あらかじめ提示された作品(訓読付き)の通釈を試みる。
2.授業に試みの通釈を持ち寄り、グループ内で疑問点を出しあう。
3、グループの代表が疑問点を述べ、それに対するヒントを教員から得る。
4、通釈をグループで再検討し、グループの代表が発表する。
5、教員の追加説明、講評を聞く。
6、授業後、自分なりの通釈と考察をレポートにまとめて提出する。

基本、このサイクルを繰り返しました。
(前期と後期との間で何人か辞めていったのは負荷が大きかったのでしょうか。)

今日うれしかったのは、このようなことを言った学生がいたことです。

授業の中では、このような解釈に落ち着いたのだけれど、
その後、改めて考えてみると、違う解釈も可能ではないかと思った。
自分はこう考える。その根拠は……

昨今、権威ある先行研究にひれ伏すような論文が少なくないですが、
そんなことに感じる憂鬱を吹き飛ばすような出来事でした。

学生たち、がんばれ!
私も教員をやっててよかった。
卒論ゼミの選択にはつながらなかったけれど(ゼロを更新中)、
演習を通して何かを学んでくれたのではないか、それで十分だと思いました。

2021年2月4日

 

駑馬の歩みでも

こんばんは。

『文選』李善注に指摘する文献の原典を当たっていて、
『荀子』修身にいう、次のような言葉に出会いました。

夫驥一日而千里、駑馬十駕則亦及之矣。
 そもそも駿馬は一日に千里を走るが、
 駑馬に十回乗ったならば、これだって駿馬に追いつく。

『文選』巻37所収の曹植「求自試表(自ら試めされんことを求むる表)」、
もうかれこれ二か月もかかって、先週やっと読み終わったと思った李善注でしたが、
ひとつ取りこぼしているものがあって、それがこれでした。

そして、清朝の銭大昕の札記『十駕斎養新録』は、
この『荀子』にいうところに由来する書名なのかと初めて気づきました。
こんな大学者でも、自身の歩みを駑馬のそれのように感じていたのでしょうか。

曹植の「求自試表」は長文で、李善注の量も多く、
少しずつしか進めない、気が遠くなるような読書体験でしたが、
なんだか、先人たちに、それでよいのだ、と言ってもらったような気がしました。

この、前途が遠く先へ先へと伸びていくような感覚には、
思わず脱力することももちろんあるのですが、
それよりも、むしろ不思議な自由さを感じることが多々あります。
自我意識にがんじがらめになったような現代的一般通念からは外れて、
虚心坦懐に古人の言葉に耳を傾けることには、
小さな自己の殻を打ち破っていく爽快感すら覚えます。

2021年2月2日

曹植の焦燥感

こんにちは。

先週末、やっと『文選』巻37所収曹植「求自試表」の李善注を読み終わりました。
李善が注していない語句で、更に語釈が必要なものもありそうですが、
まずひととおり本文を耕し終わったかというところです。

この文章、最初の部分は非常に端正に整った構成を取っている一方で、
書き進められるほどに、最初の端正さを打ち破って作者の筆が走っていくようです。
このことは、いずれ通釈をしながら明瞭に見えてくるでしょうが、
対句を意識して見渡すと、おぼろげながらも既にそう言えるように思います。

先に、この文章が書かれた背景について触れたことがありますが、
そこで述べたことは、一篇中の文体の推移のあり様からも推し測れるかもしれません。

明帝が即位して間もない太和二年(228)、
魏や呉との関係が緊迫の度を増していたこの時期、
曹植が、王朝の中に自身の足場をどう獲得していこうとしていたか、
彼の焦燥感を生々しく伝える文章のようです。

2021年2月1日

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