研究と人柄と経験と

恩師、岡村繁(私の中では“岡村先生”です)の言葉は、
その声とともに今でもよく思い出します。

あるとき、こうおっしゃった。

人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいのや、
研究と人柄は関係ない。

先生の『陶淵明 世俗と超俗』(NHKブックス、1974年)に対して、
お前は人間がなっていないからこんな見方しかできないのだ、
と人から批難されるようなことがあったらしい。
そうしたお話の流れで出た上記の言葉だったと記憶します。

他方、こんなこともありました。

私は卒論・修論とも、
竹林の七賢の一人、魏の阮籍の文学に取り組んだのですが、
はじめての学術論文を投稿する際、
次のような内容の言葉をかけてくださいました。

隠者になってはいけない、
泥をかぶって世俗で生きていきなさい。
文学研究にはそうしたことがすべて活きてくるのだから。
阮籍は、年を取ってからもう一度やってみるとよい、
今よりももっと様々なことがわかるようになっているだろう。

文学研究は、決して対象に自己を投影するものではありません。

ですが、そこには否応なく、それを論ずる人の生きた証しがあらわれる。
それを恐れて、通り一遍のことを論じてしまうようでは、
その作品と向き合ったことにはならない。
古人の言葉に耳を傾け、何を言おうとしているのか考え抜き、
そうして現れ出てくるものは、
自分の予想を越えた姿をしているかもしれないが、
それでこそ、人に向けて差し出すに足る論文たり得るのではないか。

先生がおっしゃったのはこういうことだったのではないかと思います。

それではまた。

2019年6月18日

 

 

古典との格闘

現代の私たちにとって、古典とは何なのだろう。

山種美術館で開催中の、
速水御舟生誕125年記念特別展を見にいき、
このことを想起させられました。

初めは自分の思うように描きたいタイプの画家だったらしい。
ところが、自身の殻を脱ぎ捨てるように、作風を変容させていっている、
そこに大きく関与しているのが、古典と異国である、
ということがたいへん興味深かったのです。

古典的な日本画の技法を、吸収して、
またたくさん捨てて(捨てるものが多いほどよい)、
そうしたこと(呼吸のようですね)を繰り返しながら、
独自の画風を彫り出していったように、私には感じられました。
古典に学ぶというよりは、むしろ古典で自身が磨き上げられたというか。

個性というものを尊重するのが現代なのだとすると、
その個性とは、他者と格闘することなしには現れ出てこないものだ、
その得がたい他者として、古典というものの存在意義もあるだろうと思いました。

文学部ではない国際文化学科というところで古典を教えるものとして、
異文化としての古典、と称して授業を担当したこともある、
そういう自身の立場に引き寄せての感想です。

それではまた。

2019年6月17日

言葉の授受ということ

人の言葉を用いるとはどういうことなのか、
かなり長い間考え続けています。

中国古典文学には、典故表現というものがあります。
誰もが知る古典籍の言葉や故事を、自らの作品に織り込んで、
自身の表現世界に重層的な奥行きを持たせる、
古典文学には普遍的な表現技法。

ですが、言葉の受け渡しという現象には、
まだ他にも様々な局面があります。

たとえば、共有する場で、遊戯的に交わされる類似句の応酬。

あるいは、ある言葉を、その元来の文脈とは無関係に、
出会いがしらに捉えて取り込んだかと思われる阮籍「詠懐詩」の例もある。
一方的ながら、自分に向けられたかと直感する言葉ってあるでしょう。

でも、まだ他にあるように思うのです。

たとえば、魏の曹植の作品が、近い時代の後人に及ぼした影響です。
(典故表現ではないし、上記の例からも外れます。)

曹植は、死後に名誉回復し、その作品が公開されることとなりましたが、
明らかに曹植の作品を踏まえていると見られる表現が、
非常に近い時代の詩人たちに認められるのです。

それは、曹植に対して寄せる思いがあればこそでしょう。
文学作品における影響関係には、その根底に敬意と共感があると考えます。
そんなことを念頭に置きつつ新しい研究に着手したところです。

それではまた。

2019年6月14日

 

日々の雑記

中国古典学の分野には、
日々の読書の中で気付いたことなどを記す、
札記という記述様式があります。
(たとえば清朝の顧炎武『日知録』のように)

先学の方々が著された札記というものを、
自分もしてみたいと思いました。

が、私はそれほど頻繁に何かに気付くわけではありません。

では、あれこれ考察した内容なら、とも考えましたが、
終日ぼんやりしている日も少なくありません。

これからは毎日、孜々として励むのだ、
というような誓いを突発的に立てることの無益は、
これまでの経験からよくわかっています。

そのとき、ふと浮上してきたのが、
大好きな武田百合子の『日日雑記』*という書名です。

日々、心の目に映ずる様々なことを、
札記的なもの、考察の断片とともに書いていけば、
細々とでも長く続けていけるかもしれない、と思いました。

ただ、中身はまるで違うのです。
私には武田百合子のような文章はとても書けない、
書けないからこそ、ひたすら味わう、
そんなあこがれの文筆家から、書名の一部を拝借しました。

ありがとうございます。

それではまた。

2019年6月13日

*単行本(中央公論社、1992年)や文庫本(中公文庫、1997年)では『日日雑記』となっている書名ですが、その一部の初出雑誌(和光『チャイム銀座』1987年11月号~1988年4月号)では「日々雑記」であったことを、武田花編『あの頃 単行本未収録エッセイ集』(中央公論新社、2017年)で知りました。せめて「日日」を「日々」として、後塵を拝する恥ずかしさを回避しようとしたのでしたが。

個人の研究室

ようこそ。
「柳川順子の中国文学研究室」へ。

このサイト名を口にすると、軽くうろたえます。
自分の名前を強く意識することは普段ほとんどありませんから。

では、なぜこんな不慣れなことを始めたかといいますと、

まず、生涯、一人の研究者であり続けたいと思ったからです。
大学教育から離れても、研究活動は続けます。

それなら、人知れず個人として研究すればよいではないか、
という考え方もあるかもしれません。

ですが、それだと自分は閉塞感を覚えるだろうなと思いました。
個人としての研究活動ではあっても、
その活動はどこかのだれかに何らかのかたちで波及するかもしれない。
そういう思いを心の片隅に置いておくのと、そうでないのと、
姿勢に違いが生ずるのではないかと私は感じます。

研究活動は、社会的に意味のあることだと考えます。
それがすぐに実利を生まないにしても。

そのような活動を地道に続けていくために、
大学という職場を離れた、一個人の研究室が必要だと考えました。

すっきりとした、居心地のよさそうな研究室でしょう。
アプライドの佐藤様にお世話いただき、
アプリケイツの濱田様に作成していただきました。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年6月12日

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