五言遊仙詩の生成過程

こんばんは。

昨日、遊仙詩が、宴席を舞台に誕生したものである可能性を述べました。

漢代の宴席で、神仙に扮した倡優が歌舞劇を繰り広げていたことは、
梁海燕「漢楽府游仙詩的音楽背景考察」の挙げる豊富な文献資料から明らかです。*1

他方、五言詩は宴席を舞台に生成展開してきた文芸ジャンルです。*2

そこで、この両者が、宴席という場で出会って誕生したのが、
遊仙詩というジャンルではないかと考えました。

ここに仮説を述べた五言遊仙詩の生成過程は、
かつて論じたことがある詠史詩のそれと同じ理路をたどっています。*3

ここからは妄想に近い思い付きなのですが、
『文選』巻21において、「詠史」「百一」「遊仙」という細目が続くのは、
もしかしたら、これらのジャンルの出自が近いからではないか、とふと思いました。
そして、その出自とは、先に述べた宴席という場です。
『文選』では、これに先立つ巻20に「公讌」「祖餞」が配せられています。
この配列からも、上述の推論が導き出されるように思います。
(もっとも「百一」は不明です。)

ただ、元来が宴席文芸であったと先に述べた五言詩の祖である古詩が、
『文選』では、ここから少し外れた巻29に「雑詩」という細目で収載されています。
このことは、上述の思い付きとは合致しません。

また、五言詠史詩が、早くも後漢時代にすでに成立していたのに対して、
五言の遊仙詩は、それよりも遅れて登場したこと、
そして、遊仙は五言詩よりも、まず楽府詩で盛んに詠じられこと、
それらの理由が、未解明の問題として残されています。

2021年7月16日

*1『楽府学』第12輯、2015年12月、社会科学文献出版社。
*2 拙著『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、2013年)全編で論じました。もっともこれは、広く認知されている考え方ではありません。ただ、このように考えると、これまでばらばらに点在していた諸々の事象が、一連の有機的なつながりをもってそれぞれ所を得ます。そういう意味で、最も合理的な見方ではないかと思っています。
*3 拙論「五言詠史詩の生成経緯」(『六朝学術学会報』第18集、2017年)。こちらの学術論文№42をご覧いただければ幸いです。