曹植と嵆康との接点(承前)
こんにちは。
昨日、曹植と嵆康との間には、
特徴的な表現の共有が認められることを指摘しました。
その上で、もしかしたら二人は、
何か直接的な縁で結ばれていたのかもしれないとも推測しました。
結論から言えば、
二人を繋いだのは嵆康の妻の祖父、曹林ではないかと私は考えます。
曹林は、曹丕・曹植らの異母兄弟で、
曹植とその文才を競ったという曹袞(?―235)の同母兄です。
(こちらの雑記をご参照ください。)
曹林の孫娘については、かつて前掲の雑記でも言及しました。
また、曹林の人物像については、こちらでも述べたことがあります。
そこで、曹植・曹林・嵆康の三人について、一覧表にまとめてみました。
これによって見れば、
嵆康が、曹林の孫娘と結婚したのは、
曹植が名誉を回復し、その作品集が編まれ、内外に副蔵された
景初年間(237―239)頃から、およそ十年余りが経過した251年頃のことであり、
もし仮に、曹林の年齢を、曹植と同じだとするならば、
曹林と嵆康とが義理の父子となったのは、
二人がそれぞれ60歳、28歳の頃だと推定されます。
学識・人柄ともに優れた円熟期にある教養人の義父と、
傑出した才能と高潔な人格とを併せ持つ若き知識人とが意気投合し、
その談論の中で、曹植の生涯とその作品が話題に上った可能性は十分にありますし、
曹植の独創性あふれる表現に、二人が強く惹かれたであろうことも想像に難くありません。
先人の詩精神に強く共鳴し、
その共振の表れとして先人の表現を踏まえる、
というのではない、もっと直接的な言語継承の経路が、
曹林を通じて、曹植と嵆康との間に開かれていたのかもしれません。
2021年6月30日