豊饒な言葉の海を湛えた人

曹植が好んで言及する周公旦と延陵季子(呉王季札)は、
いずれもその境遇が曹植に似ています。

周公旦については過日も何度か言及したとおりですし(たとえばこちら)、

呉王季札は、兄弟の最年少でありながら王位を継承させられそうになったのを固辞し、
延陵に封ぜられたという人で(『史記』呉太白世家、劉向『新序』節士篇)、
ある時期までの曹植にとっては、自身の行動の指針ともなった人物だと言えます。
彼は、魏王曹操の後継をめぐって、兄曹丕との間に長らく緊張関係を抱えていましたから。

境遇の類似から来る親近感と尊敬の気持ちから、
曹植は彼らのことを幾度もその作品の中に登場させたに違いありません。

他方、彼らはいずれも、漢代画像石によく描かれる人物たちです。*
(画像石とは、陵墓や祠堂の壁面に線刻された図像で、かつて何度か言及しています。)
このことは、彼らの逸話が当時ポピュラーなものであったことを物語っています。

つまり、周公旦や延陵季札は、曹植が敬愛してやまない先人であったと同時に、
当時の広範な一般の人々にとっても、非常に身近な歴史上の人物であったということです。

曹植はその作品に、通俗的な故事成語の類をわりとよく引きますが、
周公旦や延陵季子への言及は、そうした曹植文学の特質の現れと見ることもできるでしょう。
彼は、古今雅俗が混然一体となった豊饒な言葉の海から、
思いに釣り合う辞句が自然と湧き上がってくるのを、次々と掬い上げていったのでしょう。

それではまた。

2020年2月19日

*かつて、『中国画像石全集』全八巻(山東美術・河南美術出版社、2000年)に拠って調査した結果を添付しておきます。正確さには欠けますが、大勢は把握できます。また、こちらの学術論文№38では、この問題に関わる先行研究にも触れています。