鎮魂歌となった宴の歌
本日、「野田黄雀行」の訳注を公開しました。
その第3・4句「利剣不在掌、結友何須多」は論者によって解釈が分かれますが、
私は、大上正美『思索と詠懐(中国古典詩聚花)』(小学館、1985年)に多く拠りました。
伊藤正文『曹植(中国詩人選集3)』(岩波書店、1958年)とは異なる捉え方です。
さて、過日訳注を公開した「箜篌引」は、
西晋王朝の宮中で、この「野田黄雀行」の曲でも歌われました。
『宋書』巻21・楽志三に収録する「野田黄雀行・置酒」の楽府題の下に、
「箜篌引亦用此曲(「箜篌引」は亦た此の曲を用ゐる)」と記されているとおりです。
では、「箜篌引」はなぜ、「野田黄雀行」のメロディで歌われたのでしょうか。
これは、もともとこのように多彩な演奏様態が取られていたのではなく、
西晋の荀勗によって、このようなアレンジが加えられたと見るのが妥当だと考えます。
以前にも触れたとおり、『宋書』楽志三にはこうあります。
清商三調歌詩 荀勗撰旧詞施用者(荀勗の旧詞を撰して施用する者なり)。
そして、「箜篌引」すなわち『宋書』楽志三所収の大曲「野田黄雀行・置酒」は、
ここにいう「清商三調歌詩」の中に含まれるものと見られます。
明確な論拠を示すことができるかわかりませんが、
もしかしたら荀勗は、宴席の情景を詠じた「箜篌引・置酒高殿上」を、
「野田黄雀行・高樹多悲風」の文脈で捉えなおそうと企図したのかもしれません。
西晋の荀勗の時点からは、曹植の宴席に集った人々の末路はすでに見えています。
その宴席風景を「野田黄雀行」のメロディで歌うとはどういうことか。
詩中の人々、そしてその詩の作者も未だ感知していない悲劇的な未来。
「箜篌引」の歌辞が「野田黄雀行」のメロディで歌われるのを聴く西晋王朝の人々は、
このことを悲痛とともに思い起こさずにはいられなかったはずです。
荀勗のこのアレンジは、曹植に対する鎮魂の意味を帯びていたかもしれません。
(曹植「七哀詩」をアレンジした楚調「怨詩行」と同様に。)
「箜篌引」や「野田黄雀行」の具体的な内容は、訳注稿の方をご覧ください。
それではまた。
2020年4月1日