04-02 侍太子坐
04-02 侍太子坐 太子の坐に侍る
【解題】
太子曹丕が主催する宴席に侍って作った詩。『藝文類聚』巻三十九にも収載。曹丕が正式に泰始に立てられたのは建安二十二年(二一七)であるが、実質的には、彼が五官中郎将に任命された建安十六年(二一一)、曹操の跡継ぎとなり、太子と称している。津田資久「『魏志』の帝室衰亡叙述に見える陳寿の政治意識」(『東洋学報』第八十四巻第四号、二〇〇三年)を参照。
白日曜青天 白日 青天に曜(かがや)き、
時雨静飛塵 時雨 飛塵を静(きよ)む。
寒冰辟炎景 寒冰 炎景を辟(しりぞ)け、
涼風飄我身 涼風 我が身に飄(ひるがへ)る。
清醴盈金觴 清醴 金觴に盈ち、
肴饌縦横陳 肴饌 縦横に陳(の)べらる。
斉人進奇楽 斉人 奇楽を進め、
歌者出西秦 歌ふ者は西秦より出づ。
翩翩我公子 翩翩たる我が公子、
機巧忽若神 機巧 忽として神の若し。
【通釈】
白い太陽が青い空に輝いていたところへ、折りよく降りだした雨が舞い上がる塵を払い清めた。冷ややかな氷が炎暑を押しやり、涼やかな風が我が身のまわりに翻る。清らかな甘酒は金の杯いっぱいに満ち、豪華な食膳が縦横に並べられる。斉人は奇抜な音楽を披露し、歌う者は、かの秦青や薛譚を輩出した西方秦の出身だ。ひらりひらりと軽快な我が公子、その技芸の巧みさはまるで神業だ。
【語釈】
○白日曜青天 「青天」、『藝文類聚』は「青春」に作る。黄節『曹子建詩註』巻一はこれを取り、『楚辞』大招にいう「青春受謝、白日昭只(青春は(盛陰の)謝(さ)るを受けて、白日昭らかなり)」を踏まえることを指摘する。更に、夏を詠ずる本詩に「青春」というのは、雨後に太陽が出て春のような陽気であることを言い、東宮をも指すと説明する。
○斉人進奇楽 『史記』巻四十七・孔子世家に、魯を滅ぼそうとした斉が、相手方に女楽を贈ったことを記して、「於是選斉国中女子好者八十人、皆衣文衣而舞康楽、文馬三十駟、遺魯君、陳女楽文馬於魯城南高門外(是に於いて斉の国中の女子の好き者八十人を選びて、皆文衣を衣て康楽を舞はしめ、文馬三十駟、魯君に遺り、女楽文馬を魯の城南高門の外に陳ぶ)」とあるのを踏まえるか。
○歌者出西秦 秦は、名歌手の秦青を輩出した土地である。『列子』湯問篇に、「薛譚学謳於秦青、未窮青之技、自謂尽之、遂辞帰。秦青弗止、餞於郊衢、撫節悲歌、声振林木、響遏行雲。薛譚乃謝求反、終身不敢言帰(薛譚 謳を秦青に学び、未だ青の技を窮めざるに、自ら之を尽くせりと謂ひて、遂に辞して帰らんとす。秦青は止むる弗くして、郊衢に餞し、節を撫して悲歌すれば、声は林木を振るはし、響きは行雲を遏す。薛譚 乃ち反らんことを求むるを謝し、終身敢へて帰るを言はず)」と。前句とあわせて、秦・斉を対で用いる他の曹植作品として、「贈丁廙」詩(『文選』巻二十四)に「秦箏発西気、斉瑟揚東謳(秦箏は西気を発し、斉瑟は東謳を揚ぐ)」、「箜篌引」(『文選』巻二十七)に「秦箏何慷慨、斉瑟和且柔(秦箏 何ぞ慷慨たる、斉瑟 和にして且つ柔なり)」と。
○翩翩我公子 「翩翩」は軽快なさま。『史記』巻七十六・平原君虞卿列伝に、太史公の評として、「平原君、翩翩濁世之佳公子也。然未睹大体(平原君は、翩翩たる濁世の佳公子なり。然れども未だ大体を睹ず)」とあるのを踏まえる。
○機巧 一般には精巧な仕掛けをいう。たとえば、『後漢書』巻五十九・張衡伝に「衡善機巧、尤致思於天文・陰陽・歴算(衡は機巧を善くし、尤も思いを天文・陰陽・歴算に致す)」と。人の属性に対しては、狡猾のニュアンスで用いられる場合が多い。『荘子』天地篇に「功利機巧、必忘夫人之心(功利機巧、必ず夫の人の心に忘る)」、『文選』巻三十一、江淹「雑体詩・張綽(雑述)」に「亹亹思玄清、胸中去機巧(亹亹として玄清を思ひ、胸中より機巧を去る)」と。いずれの意で取っても、「忽若神」との整合性に疑問が残る。古直は、『三国志』巻二・文帝紀、及びその裴松之注に引く曹丕『典論』自序(裴松之注引)に拠り、騎射、撃剣、弾棊などの諸芸に巧みであることを指すかと推測する(『曹子建詩箋』巻一)。