04-05-5 雑詩 六首(5)
04-05-5 雑詩 六首 其五 雑詩 六首 其の五
【解題】
魏の仇敵である呉の討伐に、自分も加わりたいという強い意欲を詠じる。『三国志』巻十九「陳思王植伝」に、黄初四年(二二三)の作として著録される「責躬詩」にいう「甘赴江湘、奮戈呉越(甘んじて江湘に赴き、戈を呉越に奮はん)」と響き合う内容であることから、本詩の制作を、曹植が鄄城王であった同年の作と見る余冠英の説は妥当だと判断される。この年の五月、曹植は曹彪や曹彰とともに洛陽に上り、同年七月、曹彪とともに帰国の途に就いた。[04-13 贈白馬王彪 有序]を参照。雍丘王に移されたのは、その後のことと見られる。『文選』巻二十九所収「雑詩六首」の其五。[04-05-01 雑詩 六首(1)]の解題も併せて参照されたい。
僕夫早厳駕 僕夫 早に駕を厳め、
吾将遠行遊 吾は将に遠く行遊せんとす。
遠遊欲何之 遠遊 何(いづ)くにか之(ゆ)かんと欲する、
呉国為吾仇 呉国は吾が仇為り。
将騁万里途 将に万里の途を騁せんとす、
東路安足由 東路 安くんぞ由(ゆ)くに足らん。
江介多悲風 江介 悲風多く、
淮泗馳急流 淮泗 急流を馳す。
願欲一軽済 一たび軽く済らんと願欲(ねが)へども、
惜哉無方舟 惜しい哉 方舟無し。
閑居非吾志 閑居は吾が志に非ず、
甘心赴国憂 甘心して国憂に赴かん。
【通釈】
御者が早朝から馬車の支度を整えて、私はこれから遠く旅に出ようとしている。遠くを旅して、どこへ向かおうとしているのかといえば、呉の国は我が仇敵、それを伐ちに出掛けようとしているのだ。これから万里の道を馳せていこう。東の封土へ向かう道など行く価値はない。長江の岸辺一帯には悲しげな風が吹きすさび、淮水や泗水は急流を走らせて長江に注ぎ込んでいる。ひとつ軽やかにこの水を渡ってみせようと思うが、残念なことに、私を乗せる舟がない。悠々自適の生活は私の志すところではない。願って已まないのは、我が国難を救うべく、呉へ赴きたいということだ。
【語釈】
○僕夫 御者。『楚辞』遠遊に「渉青雲以汎濫游兮、忽臨睨夫旧郷、僕夫懐余心悲兮、辺馬顧而不行(青雲を渉りて以て汎濫して游び、忽ち夫の旧郷を臨睨すれば、僕夫は余が心の悲しみを懐ひ、辺馬は顧みて行かず)」と。
○厳駕 車馬の支度を整える。『楚辞』九思、逢尤に「厳載駕兮出戯遊、周八極兮歴九州(載駕を厳へて出でて戯遊し、八極を周りて九州を歴たり)」と。
○吾将遠行遊 底本は「吾行将遠遊」に作る。次の句の「遠遊」に合わせて改変された可能性もある。今、李善注本『文選』に従っておく。
○遠遊 遠くへ出遊する。『楚辞』遠遊に「悲時俗の迫阨兮、願軽挙而遠遊(時俗の迫阨を悲しみ、軽挙して遠遊せんことを願ふ)」と。
○呉国為吾仇 李善注に引く『説苑』(『太平御覧』巻七三六ほかにも引く)に、楚王が淳于髠に言ったセリフとして「吾有仇在呉国、子能為吾報之乎(吾に仇有り呉国に在り、子能く吾の為に之に報いんか)」と。
○東路安足由 「東路」は、東方の封地へ向かう道。[02-03 洛神賦 有序]に「命僕夫而就駕、吾将帰乎東路(僕夫に命じて駕に就かしめ、吾は将に東路に帰らんとす)」、[04-13 贈白馬王彪 有序]にも、洛陽から任地の鄄城に帰国することを詠じて「怨彼東路長(彼の東路の長きを怨む)」とある。「由」は、行くの意(魏・張揖『広雅』巻一上・釈詁)。
○江介多悲風 「江介」は、長江の岸辺一帯。一句は、『楚辞』九章、哀郢にいう「哀州土之平楽兮、悲江介之遺風(州土の平楽を哀しみ、江介の遺風を悲しむ)」を踏まえる。
○淮泗馳急流 「淮泗」は淮水と泗水。『孟子』滕文公章句に禹の治水を記して「決汝漢排淮泗而注之江(汝・漢を決し淮・泗を排して之を江に注ぐ)」と。
○願欲 ……したいと願う。二字で一語。
○惜哉無方舟 「方舟」は、舟を二艘並べた大夫の乗り物。[04-05-1 雑詩 六首(1)]に既出。類似句として、[04-11 贈王粲]に「我願執此鳥、惜哉無軽舟(我は此の鳥を執へんと願ふも、惜しい哉 軽舟無し)」と。
○閑居 国家の大事とは関わらないところで自適の生活をすること。たとえば、『漢書』巻五十七下・司馬相如伝下に「常称疾閑居、不慕官爵(常に疾と称して閑居し、官爵を慕はず)」、『後漢書』巻三十四・梁竦伝に「閑居可以養志、詩書足以自娯。州郡之職、徒労人耳(閑居して以て志を養ふ可く、詩書は以て自ら娯しむに足る。州郡の職は、徒らに人を労せしむるのみ)」と。
○甘心 心に強く思い続ける。『毛詩』衛風「伯兮」に「願言思伯、甘心首疾(願ひて言(われ)伯を思ひ、心に甘んじて首疾む)」、鄭箋に「我念思伯、心不能已、如人心嗜欲所貪口味不能絶也。我憂思以生首疾(我伯を念思して、心已む能はず、人心の貪る所の口味を嗜欲して絶つ能はざるが如きなり。我は憂思して以て首疾を生ず)」と。