04-05-6 雑詩 六首(6)
04-05-6 雑詩 六首 其六 雑詩 六首 其の六
【解題】
封地の鄄城にいながら、魏王朝の仇敵討伐に加わることが叶えられない激しい焦燥感を詠ずる。『文選』巻二十九所収「雑詩六首」の其六。其五と同じく、黄初四年(二二三)の作「責躬詩」(『三国志』巻十九「陳思王植伝」、『文選』巻二十)との関連性を強く示唆する。[04-05-01 雑詩 六首(1)]の解題も併せて参照されたい。
飛観百餘尺 飛観 百餘尺、
臨牖御櫺軒 牖(まど)に臨みて櫺軒に御(よ)る。
遠望周千里 遠望 千里に周(あまね)く、
朝夕見平原 朝夕 平原を見る。
烈士多悲心 烈士 悲心 多く、
小人偸自閑 小人 自らが閑なるを偸む。
国讎亮不塞 国讎 亮(まこと)に塞がらざれば、
甘心思喪元 甘心して元を喪はんことを思ふ。
撫剣西南望 剣を撫して西南を望み、
思欲赴太山 太山に赴かんことを思欲す。
絃急悲声発 絃 急にして 悲声 発す、
聆我慷慨言 我が慷慨の言を聆(き)け。
【通釈】
百尺あまりの、飛ぶがごとき姿の楼観に上り、格子の手すりに寄りかかって窓の外を眺める。遠くを望んで周囲千里をぐるりと眺めわたせば、朝な夕なになだらかに広がる平原が目に入る。激烈な志を抱く勇士は悲痛な思いを胸いっぱいに抱き、小人は一時しのぎで自分の安楽な暮らしに耽っている。我が国の仇敵をまことにふさぎ止めることができない以上、私は自らの首を失うことも辞さない思いを抱き続けている。剣をなでつつ西南の方角を見やり、太山に赴くことをも覚悟の上で出征への意欲を高ぶらせる。絃をかき鳴らせば悲憤に満ちた音が溢れ出る。私のこの憤激の言葉に耳を傾けてくれ。
【語釈】
○飛観百餘尺 「観」は、宮門の上に設けられた一対のやぐら。『爾雅』釈宮に、「観、謂之闕(観、之を闕と謂ふ)」、郭璞注に「宮門双闕」と。一句は、『文選』巻二十九「古詩十九首」其三にいう「両宮遥相望、双闕百餘尺(両宮 遥かに相望み、双闕 百餘尺)」を響かせる。ここでは、曹植のいた鄄城の建物をいう。
○御櫺軒 「御」は寄りかかる。「櫺軒」は、格子の手すり。
○亮 実に……である以上は。類似する用例として、陸機「飲馬長城窟行」(『文選』巻二十八)に「獫狁亮未夷、征人豈徒旋(獫狁 亮に未だ夷がざれば、征人豈に徒に旋らん)」と。
○甘心 心に強く思い続ける。[04-05-6 雑詩 六首(5)]に既出。
○喪元 殺されて首を失う。『孟子』滕文公章句下にいう「志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元(志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪ふを忘れず)」を踏まえる。
○撫剣西南望 「撫剣」は、気持ちを高ぶらせて剣をなでる。「西南」とは、呉が割拠する長江流域の江陵あたりを指すか。現在曹植がいる鄄城から、南西の方角に位置する。『文選』李善注は、「西」は蜀を指すとし、古直『曹子建詩箋』、黄節『曹子建詩註』は「西南」を蜀と捉えるが、この時期、蜀との緊張関係が特に認められないので採らない。
○思欲赴太山 「太山」は、泰山、東岳。人が死後に赴くところ。たとえば、古楽府「怨詩行」(『楽府詩集』巻四十一)に「人間楽未央、忽然帰東岳(人間に楽しみ未だ央きざるに、忽然として東岳に帰す)」、応璩「百一詩」(『藝文類聚』巻二十四)に「年命在桑楡、東岳与我期(年命は桑楡に在り、東岳 我と期す)」と。一句は、上文「甘心思喪元」と同趣旨である。以上、余冠英『三曹詩選』(人民文学出版社、一九八五年)を参照。なお、『文選』李善注は、「太山」を呉との国境にそびえる泰山と説明し、その発想が、「責躬詩」にいう「願蒙矢石、建旗東岳(願はくは矢石を蒙り、旗を東岳に建てんことを)」に通じることを指摘する。このうち、泰山と呉との位置関係については、事実に相違するので採らない。
○絃急悲声発 「古詩十九首」其十二にいう「音響一何悲、絃急知柱促(音響 一に何ぞ悲しき、絃は急にして柱の促れるを知る)」を意識した可能性がある。