04-07-1 離友 有序 二首(1)

04-07-1 離友 有序 二首 其一  友と離る 序有り 二首 其の一

【解題】
同郷の友人である夏侯威との別れを詠じた詩。建安十七年(二一二)冬十月、曹操軍は孫権を討伐するため呉へ向かい、翌年一月、濡須口(安徽省蕪湖市無為県)に進軍して孫権の長江西岸の軍営を撃破し、夏四月、鄴に帰還した(『三国志(魏志)』巻一・武帝紀)。曹操はこの途上、一族の郷里である沛国譙(安徽省北部)に立ち寄ったらしく、荀彧を譙に呼びつけたという記事が『三国志(魏志)』巻十・荀彧伝に見えている。曹植はこれに同行し、譙で夏侯威と会ったのだろう。その後、夏侯威は鄴まで一行を見送ったものと思われる。

(序)
郷人有夏侯威者、少有成人之風。余尚其為人、与之昵好。王師振旅、送予於魏邦、心有眷然、為之隕涕、乃作離友之詩。其辞曰。
郷人に夏侯威なる者有り、少(わか)くして成人の風有り。余は其の為人を尚び、之と昵好なり。王師振旅し、予を魏邦に送るに、心に眷然たる有り、之が為(ため)に涕を隕(お)とし、乃ち離友の詩を作る。其の辞に曰く。

【通釈】
同郷人に夏侯威という者がいて、彼は若くして人格者の趣きを持っている。私はその人柄を尊敬し、彼と昵懇の間柄である。王の軍隊が凱旋することになり、彼は私を魏の国まで見送ってくれたが、胸中に名残惜しいものがあって、ために涙を流し、かくして「友と離別する詩」を作った。その辞句は次のとおりである。

【語釈】
○夏侯威 曹操の古くからの腹心である夏侯淵の子。曹操父子と同じく、沛国譙の出身。官は兗州刺史にまで昇進した。『三国志(魏志)』巻九、夏侯淵伝に言及がある。同伝の裴松之注に引く『世語』に「威、字は季権、任侠あり」と記す。
○成人 人格的にも教養的にも完成された人。『論語』憲問篇に、孔子が現代の「成人」を「見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以為成人矣(子曰く、利を見て義を思ひ、危を見て命を授け、久要 平生の言を忘れざる、亦た以て成人と為す可し)」と定義している。
○王師 王の軍隊。『毛詩』周頌「酌」に「於鑠王師(於(ああ)鑠(かがやか)しきかな王師)」と。
○振旅 軍隊を整えて帰還する。『書経』大禹謨に「班師振旅(師を班(かへ)して旅を振(ととの)ふ)」、偽孔伝に「兵入曰振旅。言整衆(兵の入るを振旅と曰ふ。衆を整ふるを言ふ)」と。
○眷然 思いをかけて振り返るさま。『毛詩』小雅「大東」に「睠言顧之、潸然出涕(睠(かへり)みて言(われ)之を顧み、潸然として涕を出す)」、毛伝に「睠、反顧也(睠は、反顧するなり)」と。「睠」は「眷」の別体。

王旅旋兮背故郷  王旅 旋(かへ)らんとして 故郷に背(そむ)く。
彼君子兮篤人綱  彼の君子は 人綱に篤し。
媵予行兮帰朔方  予が行きて 朔方に帰るを媵(おく)る。
馳原隰兮尋旧疆  原隰を馳せて 旧疆を尋ぬ。
車載奔兮馬繁驤  車は載(すなは)ち奔(はし)り 馬は繁(さか)んに驤(はし)る。
渉浮済兮汎軽航  浮済を渉らんと 軽航を汎(うか)ぶ。
迄魏都兮息蘭房  魏都に迄(いた)りて 蘭房に息(いこ)ふ。
展宴好兮惟楽康  宴好を展べて惟れ楽康す。

【通釈】
王の軍隊は凱旋せんと、故郷の譙に別れを告げた。かの君子たる君は、人としての道を誠実に踏み行う。かくしてそなたは、私が北方の鄴へ帰っていくのを送ってくださった。
小高い平原や湿地帯に馬を走らせて、古なじみの田畑を訪ねてまわる。車は疾走し、馬は意気盛んに駆けてゆく。済水を渉ろうと、軽やかな船を水に浮かべる。こうして我々は、魏の都に到着し、蘭の香る房室で休息したのであった。宴席には歓待の品々をずらりと並べたところだ。さあくつろいで楽しもう。

【語釈】
○王旅旋兮背故郷 「王旅」は、王の軍隊。『毛詩』大雅「常武」に、「王旅嘽嘽、如飛如翰(王旅嘽嘽たり、飛ぶが如く翰するが如し)」と。「背故郷」は、曹植と夏侯威の出身地である沛国譙に別れを告げる。類似表現として、「帰思賦」(01-19)に「背故郷而遷徂(故郷に背きて遷徂す)」と。
○彼君子兮篤人綱 「彼君子兮」は、『毛詩』魏風「伐檀」、唐風「有杕之杜」にそのまま見えている。ここでは夏侯威を指す。「人綱」は、人としての規範。揚雄「解嘲」(『文選』巻四十五)に、「上世之士、人綱人紀(上世の士は、人の綱 人の紀なり)」と。
○媵予行兮帰朔方 「媵」は、付き従って送る。「予」とあわせて、『楚辞』九歌「河伯」に「魚隣隣兮媵予(魚は隣隣として予を媵る)」と見える。「朔方」は、北方。譙から見て北方に位置する魏国の都、鄴を指す。
○馳原隰兮尋旧疆 「原隰」は、高く平らかな原野と湿地帯。『毛詩』小雅「皇皇者華」に「于彼原隰(彼の原隰に于いてす)」、毛伝に「高平曰原、下湿曰隰(高く平らかなるを原と曰ひ、下の湿なるを隰と曰ふ)」と。「旧疆」は、古馴染みの田畑か。黄節は、鄴を指すとするが、そう比定する理由は未詳。
○車載奔兮馬繁驤 「載」は、口調を整える助字。『毛詩』鄘風「載馳」に「載馳載駆(載ち馳せ載ち駆る)」、毛伝に「載、辞也(載とは、辞なり)」と。「繁」は、盛大に。「驤」は駆ける。
○渉浮済兮汎軽航 「浮済」は、『尚書』禹貢にいう「浮于済漯、達于河(済・漯に浮きて、河に達す)」を踏まえ、済水を指す。済水は、河南省王屋山に源を発し、黄河にほぼ並行して北東へ流れ、山東半島の北で海に注ぐ。沛国譙から鄴へ帰還するには必ずこの川を渡ることとなる。「軽航」は、軽快に走る船。
○魏都 魏王国の都、鄴。
○蘭房 房室の美称。特に女性の居室をいう。宋玉「諷賦」(『古文苑』巻二)に「女欲置臣、堂上太高、堂下太卑、乃更於蘭房之室、止臣其中(女は臣を置かんと欲するも、堂上は太だ高く、堂下は太だ卑し。乃ち更に蘭房の室に於いて、臣を其の中に止む)」と。
○宴好 宴席に招いた賓客への贈り物。たとえば、『春秋左氏伝』襄公三十一年に「晋侯見鄭伯有加礼、厚其宴好而帰之(晋侯は鄭伯に見えて礼を加ふる有り、其の宴好を厚くして之を帰せしむ)」、『国語』周語下にいう「宴好享賜」の韋昭注に「宴好、所以通情結好也(宴好は、情を通じ好(よしみ)を結ぶ所以なり)」と。
○楽康 宴席で、楽しみ、くつろぐ。『楚辞』九歌「東皇太一」に「五音紛兮繁会、君欣欣兮楽康(五音 紛として繁会し、君 欣欣として楽康す)」、傅毅「舞賦」(文選巻十七)に「漫既酔其楽康(漫(みだ)りに既に酔ひて其れ楽康す)」と。