04-13 贈白馬王彪 有序
04-13 贈白馬王彪 有序 白馬王彪に贈る 序有り
【解題】
「白馬王彪」は、曹彪(一九五-二五一)、字は朱虎。曹植の異母弟。黄初三年(二二二)に弋陽王、ついで呉王となり、五年、寿春県に改封され、七年、白馬王に移された(『三国志』巻二十・武文世王公伝)。本詩の成立背景については下文の序を参照。『文選』巻二十四所収。本詩の序は、その李善注に、当時存在した曹植の別集から引かれたものである。底本は詩を七首に分けるが、今、『文選』が一首の作品とするのに従う。
(序)
黄初四年五月、白馬王任城王与余倶朝京師、会節気。到洛陽、任城王薨。至七月、与白馬王還国。後有司以二王帰藩、道路宜異宿止。意毒恨之。蓋以大別在数日、是用自剖、与王辞焉、憤而成篇。
黄初四年五月、白馬王・任城王は余と倶に京師に朝し、節気に会す。洛陽に到りて、任城王 薨ず。七月に至りて、白馬王と国に還る。後に有司以(おも)へらく二王の藩に帰るに、道路は宜しく宿止を異にすべしと。意 之を毒恨す。蓋し大別の数日に在るを以て、是(ここ)を用て自ら剖(さ)きて、王と辞せんとして、憤りて篇を成す。
【通釈】
黄初四年(二二三)五月、白馬王と任城王は私とともに都に参内し、季節毎の会に出席することとなった。洛陽に到着すると、任城王が亡くなった。七月になって、私は白馬王と国に帰った。後に担当の役人が、二人の王が藩国に帰る場合、その途上、宿泊は別にするのが宜しい、との見解を示した。私は心中このことをひどく憎み恨んだ。そもそも次にいつ会えるかもしれぬ別れが数日後に迫っているのだ。そこで私は自身の腹を割り、王に別れを告げるに当たって、発憤して詩篇を作り上げた。
【語釈】
○白馬王 曹彪。解題に示した史料によれば、黄初四年当時、彼は呉王である。『三国志』本伝が誤っているか、あるいはこの序文や詩題が後日書かれたか、改められたか、未詳。
○任城王 曹彰(?―二二三)、字は子文。曹植の同母兄。黄初四年に洛陽へ参内し、急逝した(『三国志』巻十九・任城王彰伝)。曹植に、任城王曹彰を哀悼する「任城王誄」(10-01)がある。
○会節気 当時、四節季ごとに朝廷で会が設けられていたらしい。「07-14 求通親親表」にも「毎四節之会、塊然独処(四節の会ある毎に、塊然として独り処る)」と。
○薨 諸侯の死をいう(『礼記』曲礼下)。
○二王帰藩 当時、曹植は鄄城(山東省)の王、曹彪は白馬(河南省)の王だとして、その藩国はともに洛陽の東にあり、途中まで同じ道を通る。
○毒恨 ひどく憎んで恨む。「毒」字、底本は「毎」に作る。今、李善注本『文選』に拠って改める。
○蓋 句の始めに置かれて、話柄の提起を示す助字。そもそも。
○大別 次にいつ会えるかもわからない別れ。「大」は、時間的に長いことをいう。
謁帝承明廬 帝に謁す 承明の廬、
逝将帰旧疆 逝きて将に旧疆に帰らんとす。
清晨発皇邑 清晨に皇邑を発し、
日夕過首陽 日夕に首陽を過ぐ。
伊洛広且深 伊洛は広く且つ深く、
欲済川無梁 済(わた)らんと欲して川に梁(はし)無し。
汎舟越洪濤 舟を汎(うか)べて洪濤を越え、
怨彼東路長 彼の東路の長きを怨む。
顧瞻恋城闕 顧瞻して城闕を恋ひ、
引領情内傷 領を引きて 情 内に傷む。」其一
太谷何寥廓 太谷 何ぞ寥廓たる、
山樹鬱蒼蒼 山樹 鬱として蒼蒼たり。
霖雨泥我塗 霖雨 我が塗を泥し、
流潦浩縦横 流潦 浩として縦横す。
中逵絶無軌 中逵 絶して軌無く、
改轍登高岡 轍を改めて高岡に登る。
修坂造雲日 修(なが)き坂は雲日に造(いた)り、
我馬玄以黄 我が馬は玄(くろ)かりしが以て黄となる。」其二
玄黄猶能進 玄黄 猶ほ能く進めども、
我思鬱以紆 我が思ひは鬱として以て紆たり。
鬱紆将何念 鬱紆として将た何をか念ふ、
親愛在離居 親愛 離居に在り。
本図相与偕 本もと相与(とも)に偕(とも)にせんと図りしに、
中更不克倶 中ごろ更(あらた)められて倶にすること克(あた)はず。
鴟梟鳴衡枙 鴟梟は衡枙に鳴き、
豺狼当路衢 豺狼は路衢に当れり。
蒼蝿間白黒 蒼蝿は白黒を間(みだ)し、
讒巧令親疏 讒巧は親しきをして疏ならしむ。
欲還絶無蹊 還らんと欲して絶えて蹊(みち)無く、
攬轡止踟蹰 轡(くつわ)を攬りて止(とど)まりて踟蹰す。」其三
踟蹰亦何留 踟蹰して亦た何くにか留まらん、
相思無終極 相思ひて終極無し。
秋風発微涼 秋風は微涼を発し、
寒蝉鳴我側 寒蝉は我が側に鳴く。
原野何蕭条 原野 何ぞ蕭条たる、
白日忽西匿 白日 忽として西に匿(かく)る。
帰鳥赴喬林 帰鳥 喬林に赴き、
翩翩厲羽翼 翩翩として羽翼を厲(ふる)ふ。
孤獣走索群 孤獣 走りて群を索(もと)め、
銜草不遑食 草を銜みて食に遑(いとま)あらず。
感物傷我懐 物に感じて我が懐を傷ましめ、
撫心長太息 心を撫して長太息す。」其四
太息将何為 太息して将(は)た何をか為す、
天命与我違 天命 我と違へり。
奈何念同生 奈何せん 同生を念ふも、
一往形不帰 一たび往けば形は帰らず。
孤魂翔故城 孤魂 故城に翔り、
霊柩寄京師 霊柩 京師に寄す。
存者忽復過 存する者 忽として復た過ぎ、
亡没身自衰 亡没して身自ら衰ふ。
人生処一世 人生 一世に処り、
去若朝露晞 去ること朝露の晞(かは)くが若し。
年在桑楡間 年は桑楡の間に在り、
景響不能追 景響のごとく追ふ能はず。
自顧非金石 自ら顧みるに金石に非ず、
咄唶令心悲 咄唶 心をして悲しましむ。」其五
心悲動我神 心悲しみて我が神を動かすも、
棄置莫復陳 棄て置きて復たは陳ぶる莫かれ。
丈夫志四海 丈夫は四海を志し、
万里猶比隣 万里も猶ほ比隣のごとし。
恩愛苟不虧 恩愛 苟(いやしく)も虧(か)けずんば、
在遠分日親 遠きに在るも分(こころ)は日びに親し。
何必同衾幬 何ぞ必ずしも衾幬を同じくして、
然後展慇懃 然る後に慇懃を展べんや。
憂思成疾〓 憂思して疾〓を成すは、
無乃児女仁 乃ち児女の仁なる無からんや。
倉猝骨肉情 倉猝として 骨肉の情は、
能不懐苦辛 能く苦辛を懐かざらんや。」其六
苦辛何慮思 苦辛して何をか慮思する、
天命信可疑 天命は信に疑ふ可し。
虚無求列仙 虚無なり 列仙を求むるは、
松子久吾欺 松子は久しく吾をば欺く。
変故在斯須 変故は斯須に在り、
百年誰能持 百年 誰か能く持せん。
離別永無会 離別せば永く会ふこと無からん、
執手将何時 手を執るは将(は)た何れの時ぞ。
王其愛玉体 王は其れ玉体を愛せよ、
倶享黄髪期 倶に黄髪の期を享(う)けん。
収涙即長路 涙を収めて長路に即(つ)かんとし、
援筆従此辞 筆を援りて此より辞せん。」其七
【通釈】
承明門の側にある宿舎で皇帝陛下に謁見し、さあこれからもと居た封土に帰るのだ。澄みわたった朝に都を発ち、日暮れには首陽山のふもとをよぎる。伊水洛水は深い水を湛えて広々と流れ、これを渡ろうとしても、川には橋が架かっていない。小舟を浮かべて大波を乗り越えつつ、東方へ伸びるあの長い道のりを怨めしく思う。振り返って宮城を懐かしみ、首を長く伸ばしながら心の中は悲痛でいっぱいだ。」其一
太谷のなんと広々と深く口を開けていることか、山の樹木は鬱蒼と葉を茂らせている。降り続いた雨が我が前途を泥沼にし、溢れた水が地表を方々へ這い回っている。大きな分かれ道の真ん中で轍の跡は断ち切れ、ために進路を改めて高い岡に登った。長い坂道は雲や太陽の懸かる空に届かんばかりで、我が黒馬は疲れ果てて白茶けた毛色に変わってしまった。」其二
疲れて黄ばんだ黒馬はそれでもまだ進めはするが、我が思いは鬱陶しく結ぼれて悲しみに沈む。鬱屈して悲しんで、さて何を思い続けるのかといえば、それは、親愛なる者が遠く離れたところにいるということだ。もとはずっと一緒にいようと考えていたのに、途中で予定が変えられて、行動を共にすることができなくなった。凶悪なフクロウが乗輿の轅(ながえ)の上で鳴き、残虐なヤマイヌが都城の大通りを塞いでいる。蒼蝿のような連中が白黒を混乱させ、巧妙な讒言が親しい間柄を疎遠にさせる。もと居たところに戻りたいと思っても小道すら無く、轡を引いて立ち止まり、あてどなく行きつ戻りつする。」其三
行きつ戻りつして、いったいどこに留まろうというのか。君への思いはとめどなく溢れる。秋風がかすかな涼しさを生じ、寒蝉が我が側で鳴いている。原野のなんと寂しげなことか。白く輝く太陽はあっという間に西に隠れてしまう。ねぐらに帰る鳥は林の喬木を目指し、ぱたぱたと懸命に翼を羽ばたかせている。群れからはぐれた獣は仲間を探し求めて走り、草を口に含んだまま咀嚼する暇も無い。こうした鳥獣の有り様に感応して我が心を痛め、胸をうって長くため息をつく。」其四
ため息をついて、さて何をしようというのか、天命は私を見捨ててしまったのに。いかんせん、ひたすらに亡き兄のことを思っても、兄は一たびあの世へ往ったきり、その身体が戻ってくることはない。寄る辺なき魂は古馴染みの町を天がけ巡り、遺体を収めた棺は都に仮置きされている。存命の者はあっという間にこの世を通り過ぎ、亡くなってしまえば、その身は自ずから朽ち果ててゆく。人が生まれてこの世に身を置いても、そこから立ち去るのはまるで朝露が乾いてゆくほどに瞬く間である。年齢は日の没する桑楡の間に差し掛かっていて、影や響きのように素早いそれには追いつけない。自ら顧みるに、不朽の金石ではないこの身は、あっという間の命であり、それを思うと悲しくてならない。」其五
心の悲しみが私の魂を揺り動かすが、このことはもう捨て置いて、これ以上は何も言うまい。一人前の男子は広い世界を志し、万里の彼方もまるで近隣のように思うものだ。恩愛の情がもし欠け落ちるのでないならば、遠くにあっても、心は日ごとに親密になってゆくものだ。なにも必ずしも、夜具を共にして、その後に親愛の情を交わすわけでもあるまい。憂愁のために病気になってしまうなど、それは女子供の優しさというものではあるまいか。とはいえ、慌ただしい別れの中で、血を分けた兄弟間の愛情として、どうして苦しく辛い思いを抱かないでいられよう。」其六
苦しく辛い思いをして、何をあれこれ考えているのかといえば、天命は本当に疑わしいということだ。列仙を追い求めるなど絵空事であって、赤松子は久しく私を欺き続けている。異変は瞬く間に起こるもので、百年という寿命など誰が保持することなどできようか。離別すれば永遠に会うこともないだろう。手を取り合って再会を喜べるのは、さていつになることか。白馬王よ、どうかくれぐれも御身体を大切にされよ。共に、黄髪になるほどの長寿を享受しよう。涙をぬぐって長い帰路に就くに当たり、筆を執ってこの詩を書きつけ、これよりお別れすることとしよう。」其七
【語釈】
○承明 洛陽城の後宮への出入り口にある門の名。建始殿で行われる朝会に参列する人々は、皆この門を通って入場した(『文選』李善注に引く陸機『洛陽記』)。
○逝将帰旧疆 『詩経』魏風「碩鼠」に、「逝将去女、適彼楽土(逝きて将に女を去らん、彼の楽土に適かん)」と。「旧疆」とは、鄄城をいう。この時、曹植は雍丘に封ぜられたが、まだ鄄城に住んでいた(李善注)。
○清晨発皇邑・日夕過首陽 首陽山は、洛陽城から二十里(九キロメートル弱)の東北に位置する(李善注に引く陸機『洛陽記』)。
○伊洛 伊水と洛水。洛陽城の南で合流して東方へ流れる。
○欲済川無梁 『楚辞』哀時命にいう「道壅塞而不通、江河広而無梁(道は壅塞して通ぜず、江河は広くして梁無し)」を踏まえる。
○汎舟 舟を泛べる。用例として、『国語』晋語三に、「晋饑、乞糴於秦。……是故氾舟於河、帰糴於晋(晋饑ゑ、糴を秦に乞ふ。……是が故に舟を河に氾べ、糴を晋に帰す)」と。
○洪濤 大きな波。用例として、『文選』巻二、張衡「西京賦」に「長風激於別隯、起洪濤而揚波(長風は別隯に激し、洪濤を起こして波を揚ぐ)」と。
○顧瞻 後ろ髪を引かれ、振り返って眺める。『詩経』檜風「匪風」に、「顧瞻周道、中心怛兮(周道を顧瞻せば、中心怛む)」と。
○城闕 宮城の門。『詩経』鄭風「子衿」に、「挑兮達兮、在城闕兮、一日不見、如三月兮(挑たり達たり、城闕に在り、一日見えざれば、三月の如し)」と。
○引領 期待を抱いて、首を長く伸ばす。『春秋左氏伝』襄公十六年に、魯の叔孫豹が晋人に救援を求めて、「敝邑之急、朝不及夕。引領西望、曰庶幾乎(敝邑の急、朝は夕に及ばず。領を引きて西のかた望み、庶幾(ちか)からんかと曰ふ)」と。
○内傷 『楚辞』九懐「匡機」にいう「撫檻兮遠望、念君兮不忘。怫鬱兮莫陳、永懐兮内傷(檻を撫して遠く望み、君を念ひて忘れず。怫鬱として陳ぶる莫く、永く懐ひて内に傷む」を踏まえて、相手を思うあまり、悲しみが深く内向することをいう。
○大谷 洛陽の南西にある谷。『文選』巻三、張衡「東京賦」に「盟津達其後、太谷通其前(盟津は其の後に達し、太谷は其の前に通ず)」、その薛綜注に「太谷、在輔氏北、洛陽西也。洛陽記曰、太谷、洛陽南五十里、旧名通谷(太谷は、輔氏の北、洛陽の西に在るなり。洛陽記に曰く、太谷は、洛陽の南五十里にありて、旧名は通谷なり)」と。
○寥廓 広々と開けたさま。
○霖雨泥我塗 『三国志』巻二・文帝紀、黄初四年六月の条に、「是月大雨、伊洛溢流、殺人民、壊廬宅(是の月 大いに雨ふり、伊・洛は溢流して、人民を殺し、廬宅を壊す)」との記述が見えている。
○流潦 溢れて流れる水。双声語。『詩経』召南「采蘋」にいう「于彼行潦(于(ゆ)きて彼の行潦)」の毛伝に、「行潦、流潦也(行潦とは、流潦なり)」と見える。
○中逵 大きな分かれ道の真ん中。『詩経』周南「兎罝」に「粛粛兎罝、施于中逵(粛粛たる兎罝、中逵に施す)」、毛伝に「逵、九達之道(逵とは、九達の道なり)」と。
○我馬玄以黄 『詩経』周南「巻耳」に「陟彼高岡、我馬玄黄(彼の高き岡に陟れば、我が馬は玄きが黄となる)」、毛伝に「玄馬病則黄(玄馬は病みて則ち黄となる)」とあるのを踏まえ、馬のひどい疲労をいう。
○我思鬱以紆 『楚辞』九歎「憂苦」に「願仮簧以舒憂兮、志紆鬱其難釈(願はくは簧に仮りて以て憂ひを舒べんとするも、志は紆鬱して其れ釈き難し)」、王逸注に「紆、屈也。鬱、愁也」と。
○将何念 底本及び李善注『文選』は「将難進」に作る。今、『三国志』巻十九・陳思王植伝の裴松之注に引くところによって改める。
○親愛在離居 『楚辞』九歌「大司命」にいう「折疏麻兮瑶華、將以遺兮離居(疏麻や瑶華を折り、將に以て離居に遺らんとす)」を踏まえる。
○偕 愛する者と共にある。『毛詩』邶風「撃鼓」に「死生契闊、与子成説。執子之手、与子偕老(死生契闊たらんと、子と説を成す。子の手を執りて、子と偕に老いん)」、毛伝に「偕、倶也」と。
○鴟梟鳴衡枙 「鴟梟」は、フクロウ。凶悪な人間を喩える。『毛詩』大雅「瞻卬」に、周の幽王の后、褒姒を譏って「懿厥哲婦、為梟為鴟(懿(ああ)厥の哲婦、梟と為り鴟と為る)」と。「衡枙」は、車の前の横木。「枙」字、底本は「軏」に作る。今、『文選』に従って改める。「枙」は「軛」に同じ。『続漢書』輿服志上に、皇帝の乗り物「乗輿」を描写して、「文虎伏軾、龍首銜軛、左右吉陽筩、鸞雀立衡(文虎は軾に伏し、龍首は軛を銜み、左右に吉陽の筩あり、鸞雀は衡に立つ)」と。一句はこれを反転させ、皇帝が凶悪な連中に操られていることをいう。
○豺狼当路衢 「豺狼」は、ヤマイヌやオオカミ。欲深く残忍な人間を喩える。『漢書』巻七十七・孫宝伝に「豺狼横道、不宜復問狐狸(豺狼道を横ぎるに、宜しく復た狐狸を問ふべからず)」と。「路衢」は、四方へ通じる、城郭内の大通り(『春秋公羊伝』宣公十二年の何休注)。一句は、都中が横暴な連中によって占められていることをいう。
○蒼蝿間白黒 腹黒い佞臣が物事の真偽を混乱させることをいう。『詩経』小雅「蒼蝿」に「営営青蝿、止于樊(営営たる青蝿、樊に止まる」、その鄭箋にいう「興者、蝿之為蟲、汚白使黒、汚黒使白。喩佞人変乱善悪也(興なるは、蝿の蟲たる、白を汚して黒からしめ、黒を汚して白からしむ。佞人の善悪を変乱せしむるを喩ふるなり)」と。
○攬轡 轡を引き絞って馬の進む速度を落とす。『楚辞』九辯に、「擥騑轡而下節兮、聊逍遥以相佯(騑の轡を擥りて節を下し、聊か逍遥として以て相佯せん)」と。
○踟蹰 ゆきつもどりつする。双声語。『詩経』邶風「静女」に、「静女其姝、俟我於城隅、愛而不見、掻首踟蹰(静女は其れ姝し、我を城隅に俟つ、愛すれども見えず、首を掻きて踟蹰す)」と。
○亦何留 類似句として、『漢書』巻四十五・息夫躬伝に引くその絶命の辞に、「嗟若是兮欲何留、撫神龍兮㩜其須(ああ是くの若くんば何くにか留まらんと欲する、神龍を撫して其の須(ひげ)を㩜(と)らん)」と。絶望的状態からの離脱を表現する。「亦」は、いったい。語気を強める副詞。
○寒蝉 秋のセミ。李善注に引く蔡邕「月令章句」に、「寒蝉応陰而鳴。鳴則天涼、故謂之寒蝉也(寒蝉は陰に応じて鳴く。鳴けば則ち天涼し、故に之を寒蝉と謂ふなり)」と。
○蕭条 もの寂しいさま。畳韻語。『楚辞』遠遊に、「山蕭条而無獣兮、野寂漠其無人(山は蕭条として獣無く、野は寂漠として其れ人無し)」と。
○白日忽西匿 『楚辞』九歎「遠逝」にいう「日杳杳而西頽兮、路長遠而窘迫(日は杳杳として西に頽れ、路は長く遠くして窘迫す)」を響かせる。
○翩翩 小さな鳥が素早く飛ぶさま。『詩経』小雅「四牡」に「翩翩者鵻、載飛載下、集于苞栩(翩翩たる者は鵻、載ち飛び載ち下り、苞栩に集まる)」と。
○不遑食 語句として、『書経』無逸にいう「自朝至于日中昃、不遑暇食、用咸和万民(朝より日の中昃に至るまで、食に遑暇あらず、用て咸く万民に和す)」を用いる。
○感物傷我懐 類似句として、『文選』巻二十七、古楽府「傷歌行」(『玉台新詠』巻二は、魏明帝曹叡の楽府詩とする)に「感物懐所思、泣涕忽沾裳(物に感じて思ふ所を懐へば、泣涕 忽として裳を沾す)」と。
○撫心 感激のあまり、胸をうつ。『列子』湯問に、「師襄乃撫心高蹈曰、微矣、子之弾也(師襄は乃ち心を撫して高く蹈みて曰く、微なるかな、子の弾ずるや)」と。
○長太息 悲しみのあまり、大きなため息をつく。『楚辞』離騒に、「長太息以掩涕兮、哀民生之多艱(長太息して以て涕を掩ひ、民生の艱多きを哀しむ)」と。
○天命 人間界に行き詰まり、究極的に身をゆだねる天の意向。『楚辞』七諌「自悲」に「哀人事之不幸兮、属天命而委之咸池(人事の不幸なるを哀しみ、天命に属して之を咸池に委ねん)」、王逸注に「咸池、天神也」と。
○与我違 類似句として、『文選』巻二十九「古詩十九首」其十六に「錦衾遺洛浦、同袍与我違(錦衾をば洛浦に遺し、同袍 我と違へり)」と。
○同生 母を同じくする兄弟。『春秋左氏伝』襄公三十年に「罕・駟・豊、同生(罕・駟・豊は、同生なり)」、杜預注に「三家本同母兄弟(三家は本(もと)同母の兄弟なり)」と。曹丕、曹彰、曹植はともに卞皇后を母とする兄弟である(『魏志』巻二十・武文世王公伝)。ここでは逝去した曹彰をいう。
○形 身体。
○孤魂 肉体から離れた孤独な魂。『漢書』巻七十二・貢禹伝に引く、その骸骨を乞う上書に「誠恐一旦蹎仆気竭、不復自還、洿席薦於宮室、骸骨棄捐、孤魂不帰(誠に恐る 一旦蹎仆気竭すれば、復た自ら還らず、席薦を宮室に洿し、骸骨は棄捐せられ、孤魂帰らず)」と。
○人生処一世 去若朝露晞 人生のはかなさを朝露に喩える。『漢書』巻五十四・蘇武伝に、李陵が蘇武に匈奴への帰順を説得して、「人生如朝露、何久自苦如此(人生は朝露の如し、何ぞ久しく自らを苦しむること此の如き)」と。古歌辞「薤露」(崔豹『古今注』)に、「薤上朝露何易晞、露晞明朝更復落、人落一去何時帰(薤上の朝露は何ぞ晞き易き、露は晞きて明朝に更に復た落つ、人落ちて一たび去らば何れの時にか帰らん)」と。
○桑楡 たそがれ時をいう。『太平御覧』巻三に引く『淮南子』に「日西垂、景在樹端、謂之桑楡(日は西に垂れて、景は樹の端に在り、之を桑楡と謂ふ)」と。ここでは人が老いてゆくことの喩え。
○景響 影と響き。迅速に移ろい、留め置くことができない人の命を喩える。「景」字、『文選』は「影」に作る。意味は同じ。
○非金石 金石と対比させて、人の命のはかなさをいう常套句。『文選』巻二十九「古詩十九首」其十一に「人生非金石、豈能長寿考(人生は金石に非ず、豈に能く長く寿考ならんや)」と。
○咄唶 舌打ちするほどの短い時間をいう。
○棄置莫復陳 『文選』巻二十九、曹丕「雑詩二首」其二に同一句が見える。漢代詩歌には散見する措辞。たとえば、前掲「古詩十九首」の其一に「棄捐勿復道(棄捐して復た道ふこと勿かれ)」と。
○丈夫志四海・万里猶比隣 類似する発想として、『文選』巻二十九、蘇武「詩四首」其一に「四海皆兄弟、誰為行路人(四海皆兄弟なり、誰か行路の人為らん)」と。
○在遠分日親 『鄧析子』無厚に「遠而親者、志相応也(遠くして親しむ者は、志相応ずるなり)」と。「分」は、親しみ、情誼。
○衾幬 かけ布団とベッドのとばり。『詩経』召南「小星」に「粛粛宵征、抱衾与裯、寔命不猶(粛粛として宵に征くに、衾と裯とを抱く、寔(こ)れ命の猶(おな)じからず)」、毛伝に「衾、被也」、鄭箋に「裯、牀帳也」と。「幬」は「裯」と音義ともに通ず。
○展慇懃 「慇懃」は、細やかな情愛のこもったさま。畳韻語。「展」は、そうした心情を全開にすることをいう。
○憂思成疾 憂いのあまり病となる。『詩経』小雅「小弁」にいう「心之憂矣、疢如疾首(心の憂へるや、疢せること首を疾むが如し)」を踏まえる。「」は「疢」に同じ。
○無乃 疑問を表す。……ではないか。
○児女仁 「児女」は、おんな子ども。士大夫の世界には属さない者。『史記』巻八・高祖本紀に、娘を劉邦に嫁がせることを咎めた妻に呂公が「此非児女所知也(此れは児女の知る所に非ざるなり)」と。同巻九十二・淮陰侯列伝に、韓信が項羽を評して「此所謂婦人之仁也(此れ所謂婦人の仁なり)」と。
○倉猝 慌ただしいさま。双声語。用例として、『文選』巻四十一、李陵「答蘇武書」に、「嗟乎子卿、人之相知、貴相知心、前書倉卒、未尽所懐、故復略而言之(嗟乎 子卿よ、人の相知るは、心を相知るを貴ぶ、前書は倉卒として、未だ懐ふ所を尽くさず、故に復た略之を言ふ」と。
○骨肉情 血を分けた兄弟の愛情。「骨肉」は、『文選』巻二十九、蘇武「詩四首」其一に「骨肉縁枝葉、結交亦相因(骨肉は枝葉に縁り、結交も亦た相因る)」と見える。
○能不 反語。どうして……せずにいられようか。
○苦辛 用例が、『文選』巻二十九「古詩十九首」其四に「無為守窮賤、轗軻長苦辛(為す無かれ 窮賤を守り、轗軻して長く苦辛することを)」と見える。
○天命 其五に「天命与我違」として既出。
○虚無求列仙・松子久吾欺 「松子」は、仙人の赤松子。神仙が虚無であることは、たとえば『論衡』無形に、「称赤松・王喬、好道為仙、度世不死、是又虚也。仮令人生立形謂之甲、終老至死、常守甲形。如好道為仙、未有使甲変為乙者也(赤松・王喬は、道を好みて仙と為り、世を度りて死せずと称せらるるも、是れも又た虚なり。もし人生まれて形を立て之を甲と謂はば、終に老いて死に至るとも、常に甲の形を守る。もし道を好みて仙と為るも、未だ甲をして変じて乙為らしむる者有らざるなり)」と。
○変故 思いもよらない異常な出来事。
○斯須 少しの間。双声語。
○百年誰能持 人間の寿命に対する一般通念。『文選』巻二十九「古詩十九首」其十五に「生年不満百(生年 百に満たず)」、『呂氏春秋』孟冬紀、安死に「人之寿、久之不過百、中寿不過六十(人の寿は、久しきも百を過ぎず、中寿も六十を過ぎず)」と。
○離別永無会 同様な発想の句として、蔡琰の詩(『後漢書』巻八十四・列女伝(董祀妻)に、「天属綴人心、念別無会期(天属は人の心を綴り、別れを念ふに会する期無し)」と。
○執手 愛する人の手を取る。『詩経』邶風「撃鼓」に「死生契闊、与子成説、執子之手、与子偕老(死生契闊たり、子と説を成せり、子の手を執りて、子と偕に老いんと)」と。
○愛玉体 別れに際しての常套句。李善注に引く『東観漢記』に、「太子執報桓栄書曰、君慎疾加飡、重愛玉体(太子は桓栄に報ずる書を執りて曰く、君疾を慎んで飡を加へ、重ねて玉体を愛せよ)」と。「玉体」は、お身体。相手の身体を敬っていう。
○黄髪 白髪がさらに年を重ねて黄ばんだ状態。
○援筆 何かを記すために筆を執る。たとえば、『韓詩外伝』巻二に、孫叔敖が楚を治めて三年、楚国が覇者となったとき、「楚史援筆而書之於策曰、楚之覇、樊姫之力也(楚の史は筆を援りて之を策に書きて曰く、楚の覇たるは、樊姫の力なりと)」と。
○従此辞 別れの辞。『文選』巻二十九、蘇武「詩四首」其三に「参辰皆已没、去去従此辞(参辰は皆已に没す、去り去りて此れ従り辞せん)」と。