04-15 朔風
04-15 朔風 朔風
【解題】
北風の歌。『詩経』の様式に倣った四言詩。四句で一章、十の章から成る。『文選』巻二十九所収。成立時期については、黄初四年(劉履『風雅翼』?未見)、黄初六年(黄節『曹子建詩註』巻一)、太和二年(朱緒曾『曹集考異』巻五、古直『曹子建詩箋』巻二、余冠英『三曹詩選』人民文学出版社、一九五六年、九十四頁)、東阿王となった太和三年以降(『文選』五臣注の李周翰)等の諸説がある。
仰彼朔風 彼の朔風を仰ぎ、
用懐魏都 用て魏都を懐ふ。
願騁代馬 願はくは代馬を騁せ、
倏忽北徂 倏忽として北に徂かん。」
凱風永至 凱風 永(なが)くして至り、
思彼蛮方 彼の蛮方を思ふ。
願随越鳥 願はくは越鳥に随ひ、
翻飛南翔 翻飛して南に翔らん。」
四気代謝 四気 代謝し、
懸景運周 懸景 運周す。
別如俯仰 別るること俯仰の如く、
脱若三秋 脱(はな)るること三秋の若し。」
昔我初遷 昔 我 初めて遷りしとき、
朱華未希 朱華 未だ希(まれ)ならず。
今我旋止 今 我 旋(かへ)りきたれば、
素雪云飛 素雪 云(ここ)に飛ぶ。」
俯降千仞 俯しては千仞に降り、
仰登天阻 仰ぎては天阻に登る。
風飄蓬飛 風のごとく飄り 蓬のごとく飛びて、
載離寒暑 載(すなは)ち寒暑を離る。」
千仞易陟 千仞も陟(のぼ)り易く、
天阻可越 天阻も越ゆ可し。
昔我同袍 昔 我らは袍を同じくし、
今永乖別 今 永く乖別す。」
子好芳草 子 芳草を好む、
豈忘爾貽 豈に爾(なんぢ)に貽(おく)るを忘れんや。
繁華将茂 繁華 将に茂らんとして、
秋霜悴之 秋霜 之を悴(きず)つく。」
君不垂眷 君 眷を垂れざるも、
豈云其誠 豈に其の誠を云(ひるがへ)さんや。
秋蘭可喩 秋蘭 喩ふ可く、
桂樹冬栄 桂樹 冬に栄(はなさ)く。」
絃歌蕩思 絃歌は思ひを蕩(あら)ふも、
誰与銷憂 誰と与にか憂ひを銷(け)さん。
臨川暮思 川に臨みて暮に思ふも、
何為汎舟 何為れぞ舟を汎べん。」
豈無和楽 豈に和楽無からんや、
游非我隣 游ぶものは我が隣に非ず。
誰忘汎舟 誰か舟を汎ぶるを忘れんや、
愧無榜人 愧づらくは榜人の無きこと。」
【通釈】
面を上げて北風に向き合い、それをよすがに魏の都を懐かしむ。できることならば代国名産の馬を走らせて、瞬く間に北方へ馳せてゆきたい。
暖かな南風が遠方より吹いてきて、かの南蛮の地が思われる。できることならば越に生まれた鳥に従って、翻りつつ南方へ翔けてゆきたい。
四季の気候は代わるがわる入れ替わり、天空に懸かる日月星辰は旋回してゆく。別れはあっという間の出来事だったが、離れてからは三つもの秋を重ねたように感じられる。
昔、私が初めて国替えされたとき、深紅の花はまだ散っていなかった。今、私が戻ってくると、白い雪が舞い飛んでいる。
うつむいては千仞の壑を下り、面を上げては天阻の山道を登る。つむじ風のように翻り、蓬のように吹き飛んで、そうやって寒暑の移ろう時を経た。
千仞の高さもたやすく登れるし、天阻の山道も越えることはできる。ただ、昔、我らは衣を共にする間柄だったのに、今は永遠に離れ離れになって再会は難しい。
そなたは香しい芳草を好んでいた。お前にそれを贈ることを、私はどうして忘れるものか。けれど、これから豊かに茂って花開こうかというときに、秋の霜がこれを損なってしまった。
主君がこちらを顧みてくださらなくても、どうしてその真心をひるがえしたりしようか。秋蘭(ふじばかま)は誠心の証にすることができるし、南方では桂の木が冬に花を咲かせるのだ。
絃を爪弾きつつ歌えば、苦い思いも洗い清められるが、いったい誰と共に憂いを消し去ろうというのか。川のほとりに立ち尽くして、夕暮れにそなたのことを思い遣る。どうやって舟を浮かべて川を渡っていけるのか。
いや、和やかに楽しむことがないわけではない。ただ、遊びを共にする者たちが私の心に寄り添う人ではないのだ。いったい誰が舟を浮かべてそなたを訪ねることを忘れよう。ただ恥ずかしいことに、私には舟を操る船頭がいないのだ。
【語釈】
○朔風 北方から吹いてくる風。
○魏都 魏王朝の都、洛陽。あるいは、魏王国の都、鄴。
○代馬 『文選』巻二十九「古詩十九首」其一の李善注に引く『韓詩外伝』に、「詩曰、代馬依北風、飛鳥棲故巣。皆不忘本之謂也(詩に曰く「代馬は北風に依り、飛鳥は故巣に棲む」と。皆本を忘れざるの謂なり)」と見える。
○倏忽 速やかに。行動がごく短時間の内に為されることを形容する。
○凱風 南から吹いてくる風。『毛詩』邶風「凱風」に「凱風自南、吹我棘心(凱風 南自りし、我が棘心を吹く)」、毛伝に「南風謂之凱風(南風 之を凱風と謂ふ)」と。
○蛮方 南方の異民族。『礼記』王制に「中国戎夷五方之民、……南方曰蛮(中国戎夷五方の民、……南方は蛮と曰ふ)」、『毛詩』大雅「抑」に「修爾車馬、弓矢戎兵、用戒戎作、用逷蛮方(爾の車馬を修め、弓矢戎兵、用て戎の作るを戒め、用て蛮方を逷せよ)」と。
○越鳥 前の句の「代馬」とともに、前掲「古詩十九首」其一にいう「胡馬依北風、越鳥巣南枝(胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣づくる)」を踏まえる。
○四気代謝 「四気」は四つの季節。『爾雅』釈天に「春為青陽、夏為朱明、秋為白蔵、冬為玄英。四気和、謂之玉燭(春は青陽為り、夏は朱明為り、秋は白蔵為り、冬は玄英為り。四気和す、之を玉燭と謂ふ)」と。「代謝」は、ものごとが入れ替わりつつ推移すること。『淮南子』俶真訓に、人と虎との転換に言及して「二者代謝舛馳(二者は代謝して舛(こもごも)馳す)」との用例が見える。
○懸景 天空に懸かる光。日月星辰をいう。『易』繋辞伝上に「県象著明、莫大乎日月(県象の著明なる、日月よりも大なるは莫し)」と。「懸」は「県」に通ず。
○俯仰 うつむいたり仰向いたりするほどの短い時間をいう。『荘子』在宥に「其疾俛仰之間而再撫四海之外(其の疾きこと俛仰の間にして再び四海の外を撫す))」と。「俯仰」は「俛仰」に同じ。
○脱若三秋 「脱」は、離脱、離れる。「三秋」は、三つの秋、すなわち九か月、長い時間をいう。『毛詩』王風「采葛」に「彼采蕭兮、一日不見、如三秋兮(彼の蕭を采る、一日見えざれば、三秋の如し)」と。
○昔我初遷……素雪云飛 『毛詩』小雅「采薇」にいう「昔我往矣、楊柳依依。今我来思、雨雪霏霏(昔我往く、楊柳依依たり。今我来る、雨雪霏霏たり)」を踏まえる。「云」字、李善単注本は同音の「雲」に作る。それだと対を為す「未希」とのバランスが崩れる。今、諸本によって改める。胡克家『文選考異』巻五を参照。
○希 稀に同じ。
○旋止 戻ってくる。「止」は、句末に添える助字で、特に意味はない。『詩経』に散見する。
○千仞 たいへんな深さをいう。「仞」は、周尺で七尺。『荘子』秋水篇に「千仞之高、不足以極其深(千仞の高きも、以て其の深きを極むるに足らず)」と。
○天阻 天にも上るような、非常に険しい高みをいう。范曄『後漢書』巻三十一・蘇不韋伝に引く郭林宗の論評に「城闕天阻、官府幽絶(城闕は天阻、官府は幽絶なり)」と。
○風飄蓬飛 類似表現として、『商君書(商子)』禁使に「今夫飛蓬遇飄風而行千里、乗風之勢也(今夫れ飛蓬 飄風に遇ひて千里を行くは、風の勢ひに乗ずるなり)」と。
○載離寒暑 『毛詩』小雅「小明」に「我征徂西、至于艽野。二月初吉、載離寒暑(我征きて西に徂き、艽野に至る。二月初吉、載ち寒暑を離る)」とあるのをそのまま用いる。「離」は、「歴」すなわち経るの意。
○同袍 綿入れを共有する。非常に親密であることをいう。『毛詩』秦風「無衣」に「豈曰無衣、与子同袍(豈に衣無しと曰はんや、子と袍を同にせん)」と。
○子好芳草、豈忘爾貽 『文選』巻二十九「古詩十九首」其六にいう「渉江采芙蓉、蘭沢多芳草。采之欲遺誰、所思在遠道(江を渉りて芙蓉を采る、蘭沢には芳草多し。之を采りて誰にか遺らんと欲する、思ふ所は遠道に在り)」を念頭に置いた表現。
○豈云其誠 諸説あるが、古直の説に従って、「云」をひるがえすの意で取っておく。李善注は、「豈」をこいねがうの意で取り、「豈(こひねが)はくは其の誠を云(い)はんことを」と読む。
○秋蘭 秋に咲く蘭(ふじばかま)。崇高なる存在に捧げる香草。『楚辞』九歌「少司命」に「秋蘭兮青青、緑葉兮紫茎(秋蘭は青青たり、緑葉と紫茎と)」、王逸注に「言己事神崇敬、重種芳草、茎葉五色、芳香益暢也(言ふこころは己神に事へて崇敬し、重ねて芳草を種うれば、茎葉五色にして、芳香益暢ぶるなり)」と。
○桂樹冬栄 『楚辞』遠遊にいう「嘉南州之炎徳兮、麗桂樹之冬栄(南州の炎徳を嘉し、桂樹の冬に栄ゆるを麗しとす)」を踏まえる。
○汎舟 舟を泛べる。用例として、『国語』晋語三に、「晋饑、乞糴於秦。……是故氾舟於河、帰糴於晋(晋饑ゑ、糴を秦に乞ふ。……是が故に舟を河に氾べ、糴を晋に帰す)」と。「04-13 贈白馬王彪 有序」にも「汎舟越洪濤、怨彼東路長(舟を汎べて洪濤を越え、彼の東路の長きを怨む)」と見える。
○和楽 和やかに楽しむ。宴席での楽しみをいう。『毛詩』小雅「常棣」に「兄弟既翕、和楽且湛(兄弟既に翕(つど)ひ、和楽して且つ湛(ふか)し)」、同「鹿鳴」に「鼓瑟鼓琴、和楽且湛(瑟を鼓し琴を鼓し、和楽して且つ湛し)」と。
○隣 志を同じくする者。心情的に親密な者。
○榜人 舟を漕ぐ人。川の向こうにいる、慕わしい人との間を結ぶ手立てとなるものをいう。