04-18 三良
04-18 三良 三良
【解題】
秦の穆公に仕えた三人の良き臣下たちが、君主の死に従って自ら命を投げ出した故事を詠ずる。『文選』巻二十一所収。同じ題材を詠じた五言詩として、王粲(一七七―二一七)の「詠史詩」(『文選』巻二十一)、阮瑀(?―二一二)の詩(『藝文類聚』巻五十五)が伝わっていることから見て、本詩はあるひとつの場で競作されたものである可能性が高い。その成立時期は、阮瑀の没年から推して、建安十六年(二一一)あたりであろうか。この年、曹植は二十歳で平原侯に封ぜられ、また、父曹操に伴われ、兄弟で銅雀台に登って賦を競作したのは(『魏志』巻十九・陳思王植伝)、その翌年のことであった(『藝文類聚』巻六十二、曹丕「登台賦序」)。なお、五言詩における詠史詩というジャンルの成立経緯については、柳川順子「五言詠史詩の生成経緯」(『六朝学術学会報』第十八集、二〇一七年)こちらの学術論文№42を参照されたい。
功名不可為 功名 為す可からず、
忠義我所安 忠義 我の安んずる所なり。
秦穆先下世 秦穆 先づ下世し、
三臣皆自残 三臣 皆自ら残(そこな)へり。
生時等栄楽 生ける時には栄楽を等しくし、
既没同憂患 既に没しては憂患を同じくす。
誰言捐躯易 誰か言はん 躯を捐(す)つること易しと、
殺身誠独難 身を殺すことは誠に独り難し。
攬涕登君墓 涕を攬(ぬぐ)ひて君が墓に登り、
臨穴仰天歎 穴に臨んで天を仰ぎて歎く。
長夜何冥冥 長夜 何ぞ冥冥たる、
一往不復還 一たび往けば復(ふたた)びは還らず。
黄鳥為悲鳴 黄鳥 為に悲鳴す、
哀哉傷肺肝 哀しき哉 肺肝を傷ましむ。
【通釈】
功名は、意図して打ち立てられるものではない。忠義こそ、私が心安らかに依るものだ。秦の穆公が先に逝去すると、三人の臣下たちは皆、自らその身を捨てて従った。生きている時は英華や歓楽を主君とともにし、没してしまうとその憂愁をともにする。いったい誰が、身を投げ出すなんぞ容易なことだと言うものか。我が身を殺すことは、誠にこれほど難しいことはないのだ。涙をぬぐって君の塚に登り、墓穴に臨んで、天を仰いで嘆く。墓中で過ごす長い夜の、なんと果てしないことだろう。一たびあの世へ赴けば、もう二度とは戻ってこれないのだ。黄鳥は彼らのために悲しい鳴き声を上げる。哀しいことよ、それは五臓六腑をひどく痛めつける。
【語釈】
○功名不可為 功名は自己の意識によって人為的に立てることはできないの意。『呂氏春秋』孝行覧・慎人に「功名大立、天也。為是故、因不慎其人不可(功名の大いに立つは、天によるなり。是が為の故に、因りて其の人を慎まざるは不可なり)」と。
○秦穆先下世、三臣皆自残 「秦穆」は、秦の穆公。「三臣」は、子車氏の子、奄息・仲行・鍼虎。『春秋左氏伝』文公六年に「秦伯任好卒。以子車氏之三子、奄息・仲行・鍼虎為殉。皆秦之良也(秦伯任好卒す。子車氏の三子、奄息・仲行・鍼虎を以て殉を為さしむ。皆 秦の良なり)」と。「下世」は、この世を去ること。『列女伝』賢明伝に引く、柳下恵の妻が夫を傷む誄に、「愷悌君子、永能厲兮。嗟乎惜哉、乃下世兮(愷悌の君子は、永く能く厲(はげ)む。嗟乎惜しい哉、乃ち世を下れり)」と。「残」は、身を傷つけ、亡きものとする。
○生時等栄楽、既没同憂患 『漢書』巻八十一・匡衡伝の顔師古注に引く応劭の注に、「秦穆公与群臣飲酒、酒酣、公曰、生共此楽、死共此哀。於是奄息・仲行・鍼虎許諾。及公薨、皆従死。黄鳥詩所為作也(秦の穆公 群臣と飲酒し、酒酣となりて、公曰く「生きては此の楽しみを共にし、死しては此の哀しみを共にす」と。是に於いて奄息・仲行・鍼虎 許諾す。公の薨ずるに及びて、皆従死す。「黄鳥」詩(『詩経』秦風)の為に作る所なり)」と記す逸話を踏まえる。
○臨穴仰天歎 『毛詩』秦風「黄鳥」にいう「臨其穴、惴惴其慄。彼蒼者天、殲我良人(其の穴に臨めば、惴惴として其れ慄す。彼の蒼たるは天、我が良人を殲(つ)くす)」を踏まえる。
○長夜何冥冥、一往不復還 「長夜」は、死後埋葬されて長い眠りにつくことをいう。「冥冥」は、その地下世界の薄暗さをいう。両句に類似する表現として、李善注に引く『東観漢記』に、鄧太后がその兄弟の鄧閶に報じた言葉として、「長帰冥冥、往而不反(冥冥たるに長帰して、往きて反らず)」と。
○黄鳥為悲鳴 「黄鳥」は、コウライウグイス。『詩経』秦風「黄鳥」にいう「交交黄鳥」の「交交」は、その囀りの擬声語だろう。『文選』巻二十四、嵆康「贈秀才入軍五首」其二に「咬咬黄鳥、顧疇弄音(咬咬たる黄鳥、疇を顧みて音を弄す)」、その李善注に、前掲『毛詩』及び古歌「黄鳥鳴相追、咬咬弄好音(黄鳥鳴きて相追ひ、咬咬として好き音を弄す)」を引く。
○傷肺肝 『礼記』問喪に、親が亡くなった場合について「惻怛之心、痛疾之意、傷腎、乾肝、焦肺(惻怛の心、痛疾の意は、腎を傷め、肝を乾かし、肺を焦がす)」と。また、李善注に引く古歌に「大憂摧人肺肝心(大憂は人の肺・肝・心を摧く)」と。