04-20 情詩

04-20 情詩  情詩

【解題】
故郷を遠く離れてさすらう人とその妻の情愛を詠ずる、漢代五言詩歌には常套的なテーマの閨怨詩。ただし、こうした内容の辞句が、末尾の二句によって縁取られていることは、本詩が、閨怨詩の枠を借りて何かを表現しようとした作品であることを示唆している。黄節は、詩中の「黍離」が『詩経』の韓詩に基づくこと(本詩語釈を参照)に拠り、本詩を兄曹彰が殺害されたことへの哀悼の念を表明するものと捉え、[04-13 贈白馬王彪 有序]と同時期の作と推定する。『文選』巻二十九所収。『玉台新詠』巻二には「雑詩五首」其三として収載する。

微陰翳陽景  微陰 陽景を翳(おほ)ひ、
清風飄我衣  清風 我が衣を飄(ひるがへ)す。
游魚潜淥水  游魚は淥水に潜み、
翔鳥薄天飛  翔鳥は天に薄(せま)りて飛ぶ。
眇眇客行士  眇眇たる客行の士、
遥役不得帰  遥役して帰るを得ず。
始出巌霜結  始めて出でしときは巌霜結び、
今来白露晞  今来れば白露晞(かは)く。
遊子歎黍離  遊子は「黍離」を歎じ、
処者歌式微  処る者は「式微」を歌ふ。
慷慨対嘉賓  慷慨して嘉賓に対し、
悽愴内傷悲  悽愴して内に傷悲す。

【通釈】
かすかな影が日の光を遮り、清らかな風が我が衣をひるがえす。遊泳する魚は澄んだ水の底に身を潜め、飛翔する鳥は天にも届かんばかりに高く飛ぶ。ところが、寄る辺のない旅人は、遠方での労役から帰還することがかなわない。その始め家を出たときは凍てつく霜が結ぶ頃だったが、今また白露が乾いて霜となる季節を迎える。旅行く人は「黍離」の詩を嘆きつつ詠じ、家で待つ人は「式微」の詩を歌う。よき賓客たちを前に悲憤を吐露し、その胸中に悲痛な思いを抱え込む。

【語釈】
○微陰翳陽景 「陽景」は、太陽の光。一句の発想は、『文選』巻二十九「古詩十九首」其一にいう「浮雲蔽白日(浮雲は白日を蔽ふ)」を思わせる。
○清風飄我衣 類似句として、[04-02 侍太子坐]に「涼風飄我身(涼風我が身に飄る)」と。

○游魚潜淥水・翔鳥薄天飛 「淥水」は、澄み切った水。「淥」字、底本は「緑」に作る。今、『文選』に従っておく。「薄」は、肉薄する。両句は、本来あるべきところに身を置くことをいう。前掲「古詩十九首」其一にいう「胡馬依北風、越鳥巣南枝(胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣づくる)」の発想を援用したか。
○眇眇 寄る辺のないさま。『楚辞』七諌「怨世」に、「卒不得效其心容兮、安眇眇而無所帰薄(卒(つひ)に其の心容を效(いた)すを得ず、安(すなは)ち眇眇として帰薄する所無し)」と。前句の魚や鳥に対比させていう。
○遥役 遠方へ赴いて労役に従事する。「遥」字、底本は「徭」に作る。今、『文選』によって改める。
○始出巌霜結・今来白露晞 「白露晞」は、『毛詩』秦風「蒹葭」にいう「蒹葭萋萋、白露未晞(蒹葭萋萋たり、白露未だ晞かず)」を踏まえる。その鄭玄の注釈(鄭箋)に、「未晞、未為霜(未だ晞かずとは、未だ霜と為らざるなり)」と。「巌霜」「白露」は、屈原の不遇を詠ずる『楚辞』九辯(『文選』巻三十三)に、「秋既先戒以白露兮、冬又申之以厳霜(秋既に先づ戒むるに白露を以てし、冬又之を申ぬるに厳霜を以てす)」と見える。また、この両句の発想は、『毛詩』小雅「采薇」にいう「昔我往矣、楊柳依依。今我来思、雨雪霏霏(昔我往きしとき、楊柳依依たり。今我来たりて、雪雨(ふ)ること霏霏たり)」を踏まえる。
○遊子 故郷を遠く離れて放浪する者。漢代詩歌には頻見する語。たとえば、前掲「古詩十九首」其一に、「浮雲蔽白日」に続けて「遊子不顧反(遊子顧反せず)」と。「子」字、底本は「者」に作る。下文の「処者」に渉って誤ったか。今、『文選』によって改める。
○黍離 『詩経』王風の中の一首。その句に「彼黍離離、彼稷之苗、行邁靡靡、中心揺揺(彼の黍は離離たり、彼の稷はこれ苗たり。行き邁くこと靡靡たり、中心は揺揺たり)」とある。この『詩』の成立経緯に関して、[09-04 令禽悪鳥論]に、「昔尹吉甫用後妻之讒、而殺孝子伯奇。其弟伯封求而不得、作黍離之詩(昔尹吉甫は後妻の讒を用ひて、孝子伯奇を殺す。其の弟伯封は求めて得ず、黍離の詩を作る)」とあり、これは『韓詩』に拠るものである。『太平御覧』巻842に引く『韓詩外伝』薛君注に、「詩人求己兄不得、憂不識物、視彼黍乃以為稷(詩人は>己が兄を求めて得られず、憂ひもて物を識せず、彼の黍を視て乃ち以て稷と為す)」と。

○式微 『詩経』邶風の中の一首。その句に「式微式微、胡不帰(式(もつ)て微にして式て微なり、胡(なん)ぞ帰らざる)」とある。
○慷慨対嘉賓 「慷慨」は、憤り嘆く。双声語。「嘉賓」は、よき賓客。『毛詩』小雅「鹿鳴」、同「彤弓」に「我有賓客(我に賓客有り)」と。
○悽愴内傷悲 「悽愴」は、悲しみ嘆く。双声語。『楚辞』九辯に「中憯惻之悽愴兮、長太息而増欷(中は憯惻として之れ悽愴たり、長太息して欷きを増す)」と。「傷悲」は、『毛詩』小雅「采薇」にいう「我心傷悲、莫知我哀(我が心は傷悲す、我が哀しみを知る莫し)」を踏まえる。