05-03 七哀 附晋楽
05-03 七哀 附晋楽 七哀 晋楽を附す
【解題】
孤閨を守る女性の哀しみを詠ずる詩。『文選』巻二十三所収。『玉台新詠』巻二では「雑詩五首」の其一。「七哀」という詩題の由来は未詳。『楚辞』七諌をはじめとする、七つの問答を重ねながら美辞を連ねる「七」という文体と関わりがあるか。また、張衡「四愁詩」(『文選』巻二十九)と同様に、七首から成る哀傷をテーマとする連作詩と捉えるのが妥当か。花房英樹『文選三』(集英社・全釈漢文大系、一九七四年)三八六頁を参照。同じ題目の詩は、王粲に三首(『文選』巻二十三に二首、『古文苑』巻八に一首)、阮瑀に一首(『藝文類聚』巻三十四)伝存している。なお、本詩は若干の改変を施されて、西晋王朝の宮中で楚調「怨詩行」として歌われた。余説を参照されたい。
明月照高楼 明月 高楼を照らし、
流光正徘徊 流光 正に徘徊す。
上有愁思婦 上に愁思の婦有り、
悲歎有餘哀 悲歎して餘哀有り。
借問歎者誰 借問す 歎ずる者は誰ぞと、
言是客子妻 言ふ是れ客子の妻なりと。
君行踰十年 「君は行くこと十年を踰え、
孤妾常独棲 孤妾は常に独り棲む。
君若清路塵 君は清路の塵の若く、
妾若濁水泥 妾は濁水の泥の若し。
浮沈各異勢 浮沈 各(おのおの)勢を異にすれば、
会合何時諧 会合 何れの時にか諧(かな)はん。
願為西南風 願はくは西南の風と為りて、
長逝入君懐 長く逝きて君が懐に入らんことを。
君懐良不開 君が懐 良(まこと)に開かずんば、
賤妾当何依 賤妾は当(は)た何にか依らん。」
【押韻】徊(上平声15灰韻)、哀・開(上平声16咍韻)、誰(上平声06脂韻)、妻・棲・泥(上平声12斉韻)、勢(去声13祭韻)、諧・懐(上平声14皆韻)、依(上平声08微韻)。于安瀾『漢魏六朝韻譜』(河南大学出版社、二〇一五年)魏晋宋譜・支佳に、灰・咍・皆韻、脂・微韻、斉韻を通押している例が挙げられている(二三一頁)。また、祭韻も、声調は異なるが、斉韻と同じ範疇に属する韻として通押していた可能性がある。
【通釈】
明るい月が高殿を照らし、流れる月光は今まさにその周囲をたゆたっている。高殿の上にはもの寂しげな人妻がいて、その悲嘆にくれるさまに有り余る哀切さがにじみ出る。ちょっとおたずねするが、嘆いておられるのはどなたかと問えば、旅に出て帰らぬ人の妻だと言う。「あなたは旅行くこと十年を超え、身寄りのない私はいつも一人ぼっちで暮らしております。あなたはまるで清らかな道に舞い上がる塵のよう、私はまるで濁った水に沈む泥のようです。浮くと沈むと各々境遇が異なっていて、逢瀬はいつになったら叶うのでしょう。できることならば西南の風となり、遠く流れてあなたの懐に入りたい。あなたの懐がもし本当に開かないならば、私めはいったい何を頼みとすればよいのでしょう。」
【語釈】
○明月照高楼 表現と内容の両面で、『文選』巻二十九「古詩十九首」其十九にいう「明月何皎皎、照我羅床幃(明月何ぞ皎皎たる、我が羅の床幃を照らす)」、及び同其五にいう「西北有高楼(西北に高楼有り)」を意識する。
○流光正徘徊 表現上、前掲「古詩十九首」其五にいう「中曲正徘徊(中曲 正に徘徊す)」を意識する。
○上有愁思婦 人物の設定が、前掲「古詩十九首」其五にいう「上有絃歌声、音響一何悲。誰能為此曲、無乃杞梁妻(上に絃歌する声有り、音響一に何ぞ悲しき。誰か能く此の曲を為さん、乃ち杞梁の妻なる無からんや)」に同じ。
○悲歎有餘哀 『文選』巻二十九「古詩十九首」其五にいう「慷慨有餘哀(慷慨して餘哀有り)」を踏まえる。
○客子 旅に出て帰らない人。「客」字、底本は「宕」に作る。今、李善注『文選』巻二十三、『玉台新詠』巻二等に従っておく。ただし、底本でも意味は通じる。『文選』巻二十九「古詩十九首」其二に「今為蕩子婦(今は蕩子の婦為り)」と。「宕」は「蕩」に同じ。
○君行踰十年・孤妾常独棲 同様のテーマが、前掲「古詩十九首」の其二、十九などに詠じられている。
○君若清路塵・妾若濁水泥 類似する表現として、巻一「九愁賦」に「寧作清水之沈泥、不為濁路之飛塵(寧ろ清水の沈泥と作るとも、濁路の飛塵には為るまじ)」と。
○願為西南風・長逝入君懐 表現上、『玉台新詠』巻一「古詩八首」其六にいう「従風入君懐、四坐莫不嘆(風に従ひて君が懐に入れば、四坐 嘆ぜざるは莫し)」を踏まえる。「西南」の意味について、『文選』五臣注の李周翰は、この方角は『易』にいう坤の卦に当たり、女性を意味するという趣旨のことを指摘する。
○良 果たして本当に。
○賤妾 女性が自身を指して称する謙譲語。
○当 いったい。「其(それ)」に相当する虚詞。多く下に疑問詞を伴う。
【余説】
解題で言及した楚調「怨詩行」の歌辞(『宋書』巻二十一・楽志三)は次のとおり。拙論「晋楽所奏「怨詩行」考 ―曹植に捧げられた鎮魂歌―」(『狩野直禎先生追悼三国志論集』(汲古書院、2019年)(こちらの学術論文№43)をあわせて参照されたい。
明月照高楼 明月 高楼を照らし、
流光正裴回 流光 正に裴回す。
上有愁思婦 上に愁思の婦有り、
悲歎有餘哀 悲歎して餘哀有り。」一解
借問歎者誰 借問す 歎ずる者は誰ぞと、
自云客子妻 自ら云ふ 客子の妻なり。
夫行踰十載 夫は行くこと十載を踰え、
賤妾常独棲 賤妾は常に独り棲むと。」二解
念君過於渇 「君を念ふこと渇するに過ぎ、
思君劇於餓 君を思ふこと餓うるよりも劇(はげ)し。
君為高山柏 君は高山の柏と為り、
妾為濁水泥 妾は濁水の泥と為る。」三解
北風行蕭蕭 北風 行くこと蕭蕭として、
烈烈入吾耳 烈烈として吾が耳に入る。
心中念故人 心中に故人を念へば、
涙墮不能止 涙墮ちて止むること能はず。」四解
沈浮各異路 沈浮 各(おのおの)路を異にすれば、
会合当何諧 会合 当(は)た何ぞ諧(かな)はん。
願作東北風 願はくは 東北の風 作(おこ)り、
吹我入君懐 我を吹きて君が懐に入らしめんことを。」五解
君懐常不開 君が懐 常(も)し開かずんば、
賤妾当何依 賤妾 当た何にか依らん。
恩情中道絶 恩情 中道にて絶え、
流止任東西 流止 東西するに任す。」六解
我欲竟此曲 我は此の曲を竟(を)へんと欲するも、
此曲悲且長 此の曲は悲しく且つ長し。
今日楽相楽 今日 楽しみて相楽しみ、
別後莫相忘 別後も相忘るること莫かれ。」七解
「七哀詩」の佚文として、次の二条が伝わっている。
『文選』巻三十一、劉鑠「擬行行重行行」李善注に、
「膏沐誰為容、明鏡闇不治(膏沐 誰が為に容づくらん、明鏡も闇くして治まらず)」と。
『文選』巻二十八、鮑照「苦熱行」李善注に、
「南方有鄣気、晨鳥不得飛(南方に鄣気有り、晨鳥も飛ぶを得ず)」と。