05-07-1 妾薄命 二首(1)

05-07-1 妾薄命 二首 其一  妾は薄命なり 二首 其の一

【解題】
宮苑内での游宴を詠じた楽府詩二首の一首目。『藝文類聚』巻四十一、『楽府詩集』巻六十二所収。『藝文類聚』は其の二と併せて一首とする。今、『楽府詩集』に従って二首に分ける。詠じられた内容は、「妾薄命」とはそれほど関わりがない。こう題する古辞があって、その楽曲に寄せて作られたか。

携玉手、喜同車  玉手を携へて、車を同じくするを喜び、
比上雲閣飛除  比(なら)びて雲閣の飛除を上る。
釣台蹇産清虚  釣台は蹇産として清虚たり、
池塘霊沼可娯  池塘 霊沼 娯しむ可し。
仰汎竜舟緑波  仰ぎては竜舟を緑波に汎(う)かべ、
俯擢神草枝柯  俯しては神草の枝柯を擢(ぬ)く。
想彼宓妃洛河  彼の宓妃を洛河に想ひ、
退詠漢女湘娥  退きて漢女と湘娥とを詠ず。

【押韻】車(下平声09麻韻)、波(下平声08戈韻)、柯・河・娥(下平声07歌韻)。除・虚(上平声09魚韻)、娯(上平声10虞韻)。

【通釈】
玉のような手を携えて、うれしくも同じ車に乗り、ふたり連れ立って、雲にも届きそうな高楼の、飛ぶがごとき勾配の階段を上る。魚釣り台は曲線を描いて清らかに立ち、宮苑内の池は楽しむのにぴったりの場所である。
仰ぎ見れば、竜をかたどった舟が緑の池の波間に浮かんでおり、目を伏せては、水辺の霊妙なる草花の枝を摘んで手に取る。すると、かの洛水の女神、宓妃のことが思い起こされ、退出してから、漢水や湘水の女神を詩歌に詠じたのであった。

【語釈】
○携玉手、喜同車 『文選』巻二十九「古詩十九首」其十六にいう「願得常巧笑、携手同車帰(願はくは常に巧笑するを得んと、手を携へて車を同にして帰る)」を意識した表現。『毛詩』邶風「北風」にいう「携手同車(手を携へて車を同じうせん)」を踏まえる。
○釣台蹇産清虚 「蹇産」は、高くそびえるさま。東方朔「七諌・沈江」(『楚辞章句』巻十三)に「戯疾瀬之素水兮、望高山之蹇産(疾瀬の素水に戯れ、高山の蹇産たるを望む)」と。「台」を形容する例として、張衡「西京賦」(『文選』巻二)に「珍台蹇産以極壮(珍台は蹇産として以て壮を極む)」と。
○池塘霊沼可娯 「霊沼」は、天子の恩沢が及ぶ、霊妙なる池。班固「西都賦」(『文選』巻一)に、禁苑の中を描写して「神池霊沼、往往而在(神池霊沼、往往にして在り)」と。「霊」字、底本は「観」に作る。今、『藝文類聚』巻四十一によって改める。
○竜舟 竜をかたどった舟。宮苑内での舟遊びの描写にしばしば登場する語。たとえば、班固の「西都賦」(『文選』巻一)に、昆明池に浮かべる舟を描いて「於是後宮乗輚輅、登竜舟(是に於て後宮は輚輅に乗り、竜舟に登る)」と。
○擢神草枝柯 「神草」は、霊妙なる草。その枝を折り取る所作は、『楚辞』九歌「山鬼」にいう「折芳馨兮遺所思(芳馨を折りて思ふ所に遺らん)」を始めとする、九歌に特有の表現を想起させる。なお、こうした表現は、『文選』巻二十九「古詩十九首」其六、其九の発想源となったと見られる。柳川順子『漢代五言詩歌史の研究』(創文社、二〇一三年)一〇四―一二二頁を参照されたい。
○宓妃 伝説上の天子、伏羲の娘。洛水に落ちて女神となった(『文選』巻十九、曹植「洛神賦」の李善注に引く如淳『漢書音義』)。
○漢女 漢水の女神。『韓詩(詩経)』周南「漢広」に「漢有游女、不可求思(漢に游女有り、求む可からず)」、薛君章句に「游女、漢神也。言漢神時見、不可求而得之(游女は、漢の神なり。言ふこころは漢神時に見ゆるも、求めて之を得可からず)」と(『文選』巻十八、嵆康「琴賦」李善注ほか)。
○湘娥 堯の娘で、舜の后妃となった娥皇と女英。舜の没後、湘江に没して神となった。『楚辞』九歌「湘夫人」にいう「帝子降兮北渚(帝子は北の渚に降る)」の王逸注に、「堯二女娥皇女英、随舜不反、没於湘水之渚、因為湘夫人(堯の二女 娥皇と女英とは、舜の反らざるに随ひて、湘水の渚に没し、因りて湘夫人と為る)」と。前出の「漢女」と併せて用いられている例として、馬融「広成頌」(『後漢書』巻六十上)に、広成苑での舟遊びを描写して「湘霊下、漢女游(湘霊下り、漢女游ぶ)」と。時代は下るが、西晋の張華「游仙詩」(『藝文類聚』巻七十八)にも「湘妃詠渉江、漢女奏陽阿(湘妃は渉江を詠じ、漢女は陽阿を奏す)」と。「湘霊」「湘妃」は「湘娥」に同じ。