05-14 遊仙
05-14 遊仙 遊仙
【解題】
堅苦しい現実世界から離脱し、仙界で自由気ままに遊びたいという思いを詠じた詩。『藝文類聚』巻七十八所収。
人生不満百 人生 百に満たざるに、
戚戚少歓娯 戚戚として歓娯少なし。
意欲奮六翮 意欲す 六翮を奮ひ、
排霧凌紫虚 霧を排して紫虚を凌がんことを。
蝉蛻同松喬 蝉蛻して松喬と同(とも)にし、
翻跡登鼎湖 跡を翻して鼎湖より登らん。
翺翔九天上 九天の上に翺翔し、
騁轡遠行遊 轡を騁(ほしいまま)にして遠く行遊せん。
東観扶桑曜 東のかた扶桑の曜(かがや)くを観、
西臨弱水流 西のかた弱水の流るるに臨む。
北極登玄渚 北のかた極めて玄渚に登り、
南翔陟丹丘 南のかた翔りて丹丘に陟(のぼ)る。
【通釈】
人の一生は百年に満たないのに、くよくよと思い悩んで歓楽を味わうことも稀である。いっそ翼を奮い立たせて、立ち込めた霧を払いのけ、紫の虚空を凌駕したいものだ。蝉が脱皮するように世俗から離脱し、赤松子や王子喬とともに、足跡を翻して、黄帝が昇天した鼎湖から仙界へと昇ってゆくのだ。九天の上に飛翔し、馬車を自在に操って、遠方まで自由気ままに天がけてゆく。東方では扶桑の木が朝日に光り輝くのを眺め、西方では崑崙山の麓から湧き出る弱水の流れに臨む。北方を極めては玄天のほとりまで昇りつめ、南方に飛んでは丹丘に登る。
【語釈】
○人生不満百 表現は、『文選』巻二十九「古詩十九首」其十五にいう「生年不満百、常懐千歳憂(生年不満百、常懐千歳憂)」を踏まえる。人の一生を百年単位で捉える発想は、夙に『荀子』王覇篇に「人無百歳之寿、而有千歳之信士、何也(人に百歳の寿無きも、千歳の信士有るは、何ぞや)」と見える。
○戚戚少歓娯 「戚戚」は、くよくよするさま。『論語』述而篇に「君子坦蕩蕩、小人長戚戚(君子は坦らかに蕩蕩たり、小人は長く戚戚たり)」と。この二字、底本は「歳歳」に作る。今、『藝文類聚』『詩紀』に従って改める。「少」は、ほとんどないの意。「歓娯」は、特に宴の楽しみをいう。『文選』巻二十九、蘇武「詩四首」其三に「歓娯在今夕、嬿婉及良時(歓娯は今夕に在り、嬿婉は良時に及ばん)」と。
○意欲奮六翮・排霧凌紫虚 「六翮」は、鳥の羽のくきで、中核を成すもの。敷衍して、鳥の翼をいう。両句に類似する表現として、『戦国策』楚策四に、黄鵠の飛翔を描いて「奮其六翮而凌清風、飄搖乎翱翔(其の六翮を奮ひて清風を凌ぎ、飄搖乎として翱翔す)」と。
○蝉蛻 蝉が脱皮して羽化するように、世俗から離脱すること。『史記』巻八十四・屈原賈生列伝に「濯淖汚泥之中、蝉蛻於濁穢、以浮游塵埃之外(汚泥の中に濯淖し、濁穢より蝉蛻し、以て塵埃の外に浮游す)」と。
○松喬 仙人の赤松子と王子喬。赤松子は、神農の時の雨を降らす神。しばしば崑崙山に赴いて風雨に従って上下した(劉向『列仙伝』巻上)。『史記』巻五十五・留侯世家に「願棄人間事、欲従赤松子游耳(願はくは人間の事を棄て、赤松子に従ひて游ばんと欲するのみ)」と。司馬貞『史記索隠』に引く『列仙伝』にも記述が見える。王子喬は、周の霊王の太子晋。笙の吹奏を好んで鳳凰の鳴き声を模し、道士の浮丘公について嵩山に昇って登仙した(劉向『列仙伝』巻上)。[05-06 仙人篇]に既出。
○登鼎湖 「登」は、登仙する。「鼎湖」は、黄帝が鼎を鋳造し終わり、迎えに来た竜に騎乗して昇天した場所(『史記』巻二十八・封禅書)。「仙人篇」(05-06)に既出。
○翺翔九天上 「翺翔」は大空高く天がける。「九天」は、九層を為す高い天空。九重天に同じ。『淮南子』天文訓に「天有九重」と。揚雄『太玄経』太玄数には、中天、羨天、従天、更天、睟天、廓天、減天、沈天、成天の九つを挙げる。「仙人篇」(05-06)に既出。
○扶桑 東方にある伝説上の樹木の名。『山海経』海外東経、黒歯国に「下有湯谷、湯谷上有扶桑(下に湯谷有り、湯谷の上に扶桑有り)」。『楚辞』九歌「東君」に「暾将出兮東方、照吾檻兮扶桑(暾として将に東方より出でんとし、吾が檻を扶桑より照らす)」、王逸注に「東方有扶桑之木、其高万仞。日出、下浴於湯谷、上払其扶桑、爰始而登、照曜四方(東方に扶桑の木有り、其の高さは万仞。日出でて、下は湯谷に浴し、上は其の扶桑を払ひ、爰に始めて登り、四方を照曜す)」と。「升天行 二首」其二(05-05-2)に既出。
○弱水 西方を流れる伝説上の川の名。『山海経』大荒西経に、「昆侖之丘」に関して「其下有弱水之淵環之(其の下に弱水の淵有り之を環す)」、『史記』巻一二三・大宛列伝に、「安息長老伝聞条枝有弱水・西王母、而未嘗見(安息(パルティア)の長老、条枝(シリア)に弱水・西王母有りと伝聞するも、而して未だ嘗て見ず)」と。
○玄渚 玄天のほとり。玄天とは、天空を区分した九野のうちの、北方の空をいう(『呂氏春秋』有始覧)。その高誘注に「北方、十一月、建子、水之中也。水色黒、故曰玄天也(北方は、十一月にして、子を建て、水の中するなり。水は色は黒、故に玄天と曰ふなり)」と。このように、玄天は水に関連付けられるため、これを受けて「渚」というのだろう。なお、この三字、底本では「玄天渚」に作る。今、続く句とのバランスから考えて、『藝文類聚』に従って改める。
○丹丘 仙人が棲むという伝説上の丘。『楚辞』遠遊に、「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷(羽人に丹丘に仍(したが)ひ、不死の旧郷に留まらん)」、王逸の注に「丹丘、昼夜常明也(丹丘は、昼夜 常に明るきなり)」と。