05-18 怨歌行
05-18 怨歌行 怨歌行
【解題】
怨みの歌。『楽府詩集』では相和歌辞・楚調曲に分類される(巻四十二)。周公旦の故事にことよせて、君主に理解されない臣下の悲しみを詠じる。『藝文類聚』巻四十一にも収載。この楽府詩の作者については諸説があって、まず、『楽府詩集』巻四十一、楚調曲「怨詩行」に引用された諸文献、すなわち劉宋の王僧虔「大明三年宴楽技録」(陳の釈智匠『古今楽録』に引く)に、「荀氏録」所載の古「為君」一篇は今には伝わらないといい、初唐の呉兢『楽府解題』には、本詩の第一・二句目を引いて「古詞」と称していることから、これを詠み人知らずとする説があったことが知られる。他方、『宋書』巻二十二・楽志四、魏の「鼙舞歌五篇」其五にも「為君既不易」と見え、『古今楽録』(『楽府詩集』巻五十三に引く)はこれを明帝の作とする。さらに、『北堂書鈔』巻二十九にも冒頭二句を引いて、魏の文帝の詩だと記す。後者二説は措くとしても、曹植の作か詠み人知らずかは決し難い。今は曹植の作品としておく。なお、本詩の結び四句は、曹植「七哀詩」に基づく晋楽所奏「怨詩行」の結びにそっくり引用されている。[05-03 七哀 附晋楽]を参照。
為君既不易 君為るは既に易からず、
為臣良独難 臣為るも良(まこと)に独り難し。
忠信事不顕 忠信 事 顕(あらは)れずんば、
乃有見疑患 乃ち疑はるるの患ひ有り。
周公佐成王 周公 成王を佐(たす)け、
金縢功不刊 金縢 功 刊せず。
推心輔王室 心を推して王室を輔(たす)くるも、
二叔反流言 二叔 反って流言す。
待罪居東国 罪を待ちて東国に居り、
泫涕常流連 泫涕 常に流連す。
皇霊大動変 皇霊 大いに動変し、
震雷風且寒 震雷 風ふきて且つ寒し。
抜樹偃秋稼 樹を抜き 秋稼を偃(たふ)れしめ、
天威不可干 天威 干(をか)す可からず。
素服開金縢 素服きて金縢を開き、
感悟求其端 感悟して其の端を求む。
公旦事既顕 公旦 事 既に顕はれ、
成王乃哀歎 成王 乃ち哀歎す。
吾欲竟此曲 吾 此の曲を竟(を)へんと欲するも、
此曲悲且長 此の曲 悲しくして且つ長し。
今日楽相楽 今日 楽しみて相楽しみ、
別後莫相忘 別後も相忘るること莫かれ。
【押韻】難・刊・寒・干・歎(上平声25寒韻)、患(去声30諫韻)、言(上平声22元韻)、連(下平声02仙韻)、端(上平声26桓韻)。長・忘(去声41漾韻)。
【通釈】
君主であることは十分に容易ではないことだが、臣下であることは実にとりわけ難しい。忠信なる思いが事績として表れ出なければ、なんとその真意を疑われる禍が生じるのだ。たとえば周公旦は成王を補佐し、金縢に収められた彼の功績は永遠不滅の価値を持つものであった。誠意を尽くして周王室を補佐したにも拘わらず、管叔鮮と蔡叔度の二人が逆に彼を貶める風評を流した。そのため、彼は東国で罪の処分を待つ身となり、さめざめと流れる涙が常にとめどなくあふれた。そこに天帝が大いなる天変地異を下して、地を震わす雷が落ち、風が吹き荒れて寒気が巻き起こった。それは樹木を根こそぎ引き抜いて、秋の実りをなぎ倒したが、天の威力に人は手も足も出せない。成王らは清めの素服を身に付けて金縢を開き、感悟するところがあって、天の意を尋ね求めた。周公旦は、その行いが十分に明らかとなり、成王はその真意を知って嘆き悲しんだ。さて、私はこの曲を歌い終わろうと思うが、この曲は悲しくしかも余韻尽きせぬものがある。今日はお互い存分に楽しんで、別れた後もお互いのことを忘れないでいよう。
【語釈】
○為君既不易・為臣良独難 『論語』子路篇にいう「人之言曰、為君難、為臣不易(人の言に曰く、君為ること難く、臣為ること易からずと)」を踏まえる。「独」は、とりわけ、特に。
○忠信事不顕・乃有見疑患 『史記』巻八十四・屈原列伝にいう「信而見疑、忠而被謗、能無怨乎。屈原之作離騒、蓋自怨生也(信にして疑はれ、忠にして被謗(そし)られて、能く怨み無からんや。屈原の離騒を作るは、蓋し怨みより生ずるなり)」を響かせている可能性がある。
○周公佐成王 「周公」は、周文王の子で、周武王の弟である旦。武王の没後、幼くして即位した「成王」を補佐して、周王朝の基礎を築いた(『史記』巻三十三・魯周公世家)。
○金縢 大切な文書を秘蔵する、金の帯で厳封した箱。周武王が病に罹ったとき、周公旦はその平癒を祈る祭文を金縢の中に入れた(『尚書』金縢篇、前掲『史記』魯周公世家)。
○不刊 永遠不滅の価値を持つ。「刊」は、竹簡木簡に記された文字を削って修正すること。杜預「春秋左氏伝序」(『文選』巻四十五)に「経者不刊之書也(経とは刊すべからざる書なり)」と。
○推心 誠意を尽くす。
○二叔反流言 「二叔」とは、管叔鮮と蔡叔度。ともに武王の弟。武王が亡くなると、周公旦は成王に不利なことをしようとしているとの風評を国中に流した(『尚書』金縢篇、『史記』魯周公世家)。
○待罪居東国 管叔鮮らの流言により、周公旦は東方の地で二年間を過ごすこととなった(『尚書』金縢篇)。
○泫涕常流連 「泫涕」は、はらはらと流れる涙。「流連」は、とめどなく流れる。この一句、『藝文類聚』は「泣涕当留連」に作り、涙を流してもその地に留まらなければならないの意となる。なお、「当」は「常」と字形が類似し、「留」と「流」とは音が近い。
○皇霊大動変・震雷風且寒 「皇霊」は、天帝。『尚書』金縢篇に「秋大熟未穫、天大雷電以風(秋大いに熟して未だ穫せられざるに、天大いに雷電して以て風ふく)」と。なお、『史記』魯周公世家では、この句以下六句の内容を、周公旦の死後のこととして記す。
○抜樹偃秋稼 『尚書』金縢篇に、前掲文に続けて「禾尽偃、大木斯抜(禾は尽く偃れ、大木は斯に抜かる)」と。
○素服開金縢 「素服」は、白い正装。『尚書』金縢篇に、「王与大夫尽弁以啓金縢之書(王と大夫とは尽く弁もて以て金縢の書を啓く)」、孔安国伝に「皮弁質服以応天(皮弁質服もて以て天に応ず)」と。
○感悟求其端 「其端」とは、異常気象をもたらしたおおもとの天の意思。金縢を開き、中に収められていた文書から周公旦の真意を知り、天災の来源を悟った成王は、天を祀り、その年の豊作という恵みが与えられた(『尚書』金縢篇)。
○吾欲竟此曲・此曲悲且長 類似句として、宋子侯「董嬌饒」(『玉台新詠』巻一)に「吾欲竟此曲、此曲愁人腸(吾は此の曲を竟へんと欲するも、此の曲は人の腸をして愁へしむ)」と。
○今日楽相楽・別後莫相忘 類似句として、古楽府「双白鵠」(『玉台新詠』巻一)に「今日楽相楽、延年万歳期(今日楽しみて相楽しみ、延年して万歳期せん)」と。