05-22 平陵東

05-22 平陵東  平陵の東

【解題】
漢代の古辞「平陵東」に寄せて作られた、遊仙の楽府詩。「平陵東」は、魏王朝の宮廷歌曲「相和」を構成する一曲で、翟義の門人が作ったとされる(『楽府詩集』巻二十八に引く崔豹『古今注』)。翟義は、前漢末の丞相翟方進の子で、王莽に反旗を翻して殺害された(『漢書』巻八十四・翟方進伝附翟義伝)。「平陵」は、前漢昭帝(在位BC八七―BC七四)の陵墓で、長安西北七十里に位置する(『三輔黄図』巻六、陵墓)。『藝文類聚』巻四十一、『楽府詩集』巻二十八にも収載。

閶闔開 天衢通  閶闔 開き、天衢 通じ、
被我羽衣乗飛竜  我に羽衣を被らしめて 飛竜に乗らしむ。
乗飛竜 与仙期  飛竜に乗り、仙と期せるなり、
東上蓬莱采霊芝  東のかた蓬莱に上りて霊芝を采らんと。
霊芝採之可服食  霊芝 之を採りて服食す可し、
年若王父無終極  年は王父の若く終極無し。

【押韻】通(上平声01東韻)、竜(上平声03鍾韻)。期・芝(上平声07之韻)。食・極(入声24職韻)。

【通釈】
天門が開き、四方へ通ずる天空が広がり、羽衣を着せ掛けられた私は、飛ぶ竜に乗る。飛ぶ竜に乗って、私は仙人と約束をしているのだ、東のかた蓬莱山に上って霊芝を取ろうと。霊芝はこれを取って服食するがよい、すると、東王公のように無限の長寿となるのだ。

【語釈】
○閶闔 天門。『楚辞』離騒に「吾令帝閽開関、倚閶闔而望予(吾は帝が閽をして関を開かしめんとするに、閶闔に倚りて予を望む)」、王逸注に「閶闔、天門也」と。
○天衢 天空。天は、四方に通ずる大通りのようにどこへでも行けることからこう称する。用例として、王逸「九思」遭厄に「躡天衢兮長駆、踵九陽兮戯蕩(天衢を躡みて長駆し、九陽を踵ひて戯蕩す)」と。
○被我羽衣…… 「被」字、底本は「彼」に作る。おそらくは字形の類似による誤り。今、諸本によって改める。
○蓬莱 神仙が棲むという伝説の山。方丈、瀛洲と合わせて三神山と称せられ、渤海上にあると伝わる(『史記』巻二十八・封禅書)。
○霊芝 伝説上の仙草。海上の三神山に生ずる、仙人の食べ物(『文選』巻二、張衡「西京賦」の薛綜注)。
○年若王父無終極 「王父」は、仙人の東王父。西王母と対を為す。東荒山中の大石室に住み、身長は一丈、頭髪は白く、人の形、鳥の顔、虎の尾を持つ(東方朔『神異経』東荒経)。「無終極」は、曹植「送応氏詩二首」其二(『文選』巻二十)にも、「天地無終極、人命若朝霜(天地には終極無く、人の命は朝霜の若し)」と見えている。

【余説】
本辞「平陵東」(『宋書』巻二十一・楽志三)は次のとおり。

平陵東 松柏桐  平陵の東、松柏桐あり、
不知何人劫義公  知らず何人か義公を劫(おびや)かす。
劫義公在高堂下  義公を劫かす 高堂の下に在りて、
交銭百万両走馬  交銭百万 両の走馬。
両走馬 亦誠難  両の走馬、亦た誠に難し、
顧見追吏心中惻  追吏を顧見すれば 心中 惻(いた)む。
心中惻 血出漉  心中惻み、血の出づること漉たるがごとし、
帰告我家売黄犢  帰りて我が家に告げん 黄犢を売れと。