05-29 惟漢行

05-29 惟漢行  惟漢行

【解題】
曹操の相和歌辞「薤露・惟漢二十二世」(『宋書』巻二十一・楽志三)を念頭に置いて作られた楽府詩。[05-10 薤露行]を併せて参照されたい。『楽府詩集』巻二十七にも収載。

太極定二儀  太極 二儀を定め、
清濁始以形  清濁 始めて以て形(あらは)る。
三光照八極  三光 八極を照らし、
天道甚著明  天道 甚だ著明なり。
為人立君長  人の為に君長を立て、
欲以遂其生  以て其の生を遂げしめんと欲す。
行仁章以瑞  仁を行へば章(あき)らむるに瑞を以てし、
変故誡驕盈  変故は驕盈を誡むるなり。
神高而聴卑  神は高く而して卑きに聴き、
報若響応声  報ずること響きの声に応ずるが若し。
明主敬細微  明主は細微をも敬ひ、
三季瞢天経  三季は天経に瞢(くら)し。
二皇称至化  二皇は至化を称せられ、
盛哉唐虞庭  盛んなる哉 唐虞の庭は。
禹湯継厥徳  禹湯は厥(そ)の徳を継ぎ、
周亦致太平  周も亦た太平を致す。
在昔懐帝京  在昔 帝京を懐ふに、
日昃不敢寧  日の昃(かたむ)くまで敢へて寧(やすん)ぜず。
済済在公朝  済済たるは公朝に在り、
万載馳其名   万載 其の名を馳す。

【通釈】

太極が二儀を定め、天地が始めてかたちを現した。三光は八極を照らし、天道は非常に明らかとなった。天は人民の為に君主を立て、それによって民の生を完遂させようとなさる。君主が仁政を行えば、天は瑞祥によってその善を顕彰し、天変地異は、君主の驕慢を戒めんがためのものである。天の神は高い位置にありながら下々の者たちの声に耳を傾け、それに応報するさまは、響きが声に応じるかのようだ。明君は微賤の者たちにも敬意を表し、他方、夏殷周三代の末世の王(桀・紂・幽)は、天の定めた経典に暗かった。二人の伝説的帝王(伏羲・神農)はその素晴らしき教化が称賛され、なんと盛んであることか、唐(堯)や虞(舜)の時代の朝廷は。禹や湯はその徳を受け継いで、周王朝もまた太平の世をもたらした。その昔、帝都の有り様を懐かしく思い起こせば、今は亡き先代は、日の傾くまで敢えて休息もせず、人材登用に努めたものだ。その結果、立派な人士たちが威厳をもって朝廷に居並び、永遠にその名声を馳せることになったのだ。

【語釈】
○太極定二儀 「太極」は、万物の根源、陰陽の二気が分かれていない始原の状態。「二儀」は、陰と陽、天と地。一句は、『易』繋辞伝上にいう「是故易有太極、是生両儀(是が故に易に太極有り、是れ両儀を生ず)」を踏まえる。
○清濁 清く軽やかな気と濁って重たい気。上下に分かれて天と地とに転ず。『列子』天瑞篇に「夫有形者生於無形、則天地安従生。……一者、形変之始也。清軽者上為天、濁重者下為地、冲和気者為人、故天地含精、万物化生(夫れ形有る者は無形より生ぜば、則ち天地は安(いづ)くより生ずる。……一なる者は、形変の始めなり。清軽なる者は上りて天と為り、濁重なる者は下りて地と為り、冲和の気は人と為る。故に天地精を含みて、万物化生す)」と。
○三光照八極 「三光」は、日と月と星。「照」字、『楽府詩集』巻二十七は「昭」に作る。「八極」は、八方の最果ての地。『荀子』解蔽篇に「明参日月、大満八極、夫是之謂大人(明は日月に参し、大は八極に満つ、夫れ是れを之れ大人と謂ふ)」と。
○著明 くっきりと明るい。『易』繋辞伝上に「県象著明、莫大乎日月(県象の著明なる、日月よりも大なるは莫し)」と。
○為人立君長・欲以遂其生 『春秋左氏伝』襄公十四年にいう「天生民而立之君、使司牧之、勿使失性(天は民を生じて之が君を立て、之を司牧せしめて、性を失はしむる勿し)」を踏まえる。
○神高而聴卑・報若響応声 『淮南子』道応訓の次の記事を踏まえる。宋の景公、熒惑(火星)が宋の分野に属する心宿に入ったのを恐れ、天文を司る子韋に対応策を問うた。災いを自身から宰相へ、人民へ、歳の収穫へと移す提案をすべて退けた景公は、子韋に「敢賀君。天之処高而聴卑。君有君人之言三、天必有三賞君(敢へて君を賀す。天は之れ高きに処りて卑きに聴く。君に人に君たるの言三有り、天は必ず三たび君を賞する有らん)」云々と称賛された。同じ逸話は、『史記』巻三十八・宋微之世家にも見えている。
○三季瞢天経 「三季」は、三代の王朝を滅亡に至らしめた、夏の桀王、殷の紂王、周の幽王。「天経」は、天の恒常的な道。人間の行いに応報する天のあり様をいう。
○二皇 伝説上の三皇のうち、伏羲・神農をいう。『淮南子』原道訓に「泰古二皇、得道之柄、立於中央(泰古の二皇は、道の柄を得て、中央に立てり)」、高誘注に「二皇、伏羲・神農也(二皇とは、伏羲・神農なり)」と。
○唐虞庭 伝説上の五帝のうち、堯・舜が担った朝廷。「唐」は、堯が天子となる前の領土、「虞」は、舜の祖先伝来の領土。
○禹湯 「禹」は、堯・舜に仕え、舜から位を譲り受けて夏王朝を開いた人物。「湯」は、夏の桀王を討って商(後の殷)王朝を立てた人物。
○周 武王発(周文王の子)が、殷の紂王を討って建てた王朝。武王が没して、子の成王が幼くして即位すると、武王の弟である周公旦がこれを輔佐した。
○日昃不敢寧 『書経』無逸に、周文王について「自朝至于日中昃、不遑暇食、用咸和万民(朝より日の中昃に至るまで、食に遑暇あらず、用て咸く万民に和す)」と記すのを踏まえる。
○済済 臣下たちの威儀あるさま。『詩経』大雅「文王」にいう「済済多士、文王以寧(済済たる多士、文王は以て寧し)」を踏まえる。