05-33 当欲遊南山行

05-33 当欲遊南山行   「欲遊南山行」に当つ

【解題】
歌曲「欲遊南山行(南山に遊ばんと欲するの行)」の替え歌として作られた歌辞。人材登用をめぐる曹植の政治思想がうかがえる作品である。「南山」は、長安の南に聳える終南山を初め、『詩経』斉風「南山」に詠われた山、広く南に位置する山をいうなど、特定は困難である。黄節は、「南山石嵬嵬」に始まる古歌辞に、本詩と重なる表現・内容が散見することを指摘する(『曹子建詩註』巻二)。その本文は余説に挙げておく。『楽府詩集』巻六十一、『詩紀』巻十三所収。部分的に『藝文類聚』巻四十二にも収録されている。

東海広且深  東海は広く且つ深し、
由卑下百川  卑(ひく)きに由りて百川を下らしむ。
五岳雖高大  五岳は高大なりと雖も、
不逆垢与塵  垢と塵とを逆(しりぞ)けず。
良木不十囲  良木も十囲ならずんば、
洪条無所因  洪条 因る所無し。
長者能博愛  長者 能く博愛すれば、
天下寄其身  天下 其の身を寄す。
大匠無棄材  大匠 材を棄つる無く、
船車用不均  船と車と 用ふるに均しからず。
錐刀各異能  錐と刀と 各(おのおの)能を異にすれば、
何所独却前  何の独り却前する所ぞ。
嘉善而矜愚  善を嘉(よみ)して愚を矜(あは)れむ、
大聖亦同然  大聖も亦た同じく然り。
仁者各寿考  仁者 各寿考なれ、
四坐咸万年  四坐 咸(みな)万年なれ。

【押韻】川・然(下平声2仙韻)、塵・因・身(上平声17真韻)、均(上平声18諄韻)、前・年(下平声1先韻)。

【通釈】
東海は広くて深いが、それは自らの位置が低いために百川が流れ下るからだ。五岳は高大であるけれども、塵芥を拒むことはしない。すばらしい樹木も十囲の太さがないならば、立派な枝が生ずることはない。徳のある人物は広く万物に愛情を注ぐことができるから、天下の人々はその身を寄せるのだ。偉大なる匠はどんな材料も捨てることなく、船に車にそれぞれ適した材料を用いる。錐と刀とでは各々持ち味が異なっているのだから、どうして一方だけを退けたり薦めたりしようぞ。善なるものを褒め、愚かなるものを憐れむというが、すばらしい君主もまた同様である。情け深い方々皆様には長命でいらっしゃいますよう、一堂にお集まりの方々皆様には末永い福寿が与えられますよう祈念いたします。

【語釈】
○東海広且深、由卑下百川 類似句として、『孔子家語』観周に記された、金人の背面の銘文に「江海雖左、長於百川、以其卑也(江海は左すと雖も、百川に長たるは、其の卑きを以てなり)」、『説苑』君道に「若夫江海無不受、故長為百川之主(若し夫れ江海は受けざる無し、故に長く百川の主為り)」と。「広且深」は、「贈白馬王彪」(04-13)にも「伊洛広且深(伊洛は広く且つ深し)」と見える。「海」字、底本は「済」に作る。今、『藝文類聚』『楽府詩集』『詩紀』によって改める。
○五岳雖高大、不逆垢与塵 「五岳」は、五方に位置する高山。具体的な山名については諸説ある。前掲一・二句目とあわせて、『説苑』尊賢にいう「夫太山不辞壌石、江海不逆小流、所以成大(夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆(しりぞ)けず、大を成す所以なり)」、『管子』形勢解にいう「海不辞水、故能成其大。山不辞土、故能成其高(海は水を辞せず、故に能く其の大を成す。山は土を辞せず、故に能く其の高を成す)」等を踏まえるか。
○良木不十囲、洪条無所因 「十囲」は、十人分の腕で囲むほどの太さ。『論衡』効力篇に「知能之大者、其猶十囲以上木也(知能の大なる者は、其れ猶ほ十囲以上の木のごときなり)」と。同篇には「文力之人、因有力之将、乃能以力為功(文力の人は、有力の将に因りて、乃ち能く力を以て功を為す)」といった句も見えることから、曹植はここに着想を得た可能性が考えられる。「洪条」は、大いなる枝。優れた能力を持つ臣下のたとえ。「良木」は、明君のたとえ。
○長者能博愛 「長者」は、徳の高い人望のある人物。「博愛」は、広く人々をいつくしむ。『孝経』三才章に為政者がまず為すべきことを説いて「先之以博愛、而民莫遺其親(之に先んずるに博愛を以てすれば、民は其の親を遺(す)つる莫し)」と。
○大匠無棄材、船車用不均 類似する発想として、『淮南子』主術訓に「賢主之用人也、猶巧工之制木也。大者以為舟航柱梁、小者以為楫楔、修者以為櫩榱、短者以為朱儒枅櫨、各得其所宜、規矩方円、各有所施。……是故林莽之材、猶無可棄者、而況人乎(賢主の人を用ゐるや、猶ほ巧工の木を制するがごときなり。大なる者は以て舟航の柱梁と為し、小なる者は以て楫楔と為し、修(なが)き者は以て櫩榱と為し、短き者は以て朱儒枅櫨と為し、各其の宜しき所を得て、方円を規矩し、各施す所有り。……是が故に林莽の材にも、猶ほ棄つ可き者無し、而して況んや人においてをや)」と見える。
○却前 人材を退けることと薦めること。
○嘉善而矜愚 『論語』子張篇にいう「君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能(君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して不能を矜(あは)れむ)」を踏まえる。
○仁者各寿考 「寿考」は、長命なこと。一句は『論語』雍也篇にいう「知者楽、仁者寿(知者は楽しみ、仁者は寿なり)」を踏まえる。
○四坐咸万年 「四坐」は、一堂に会した人々。たとえば、『玉台新詠』巻一「古詩八首」其六に「四坐且莫諠(四坐 且く諠すること莫かれ」「四坐莫不嘆(四坐 嘆ぜざるは莫し)」と。

【余説】
解題で紹介したとおり、黄節は本詩との類似性が認められる作品として、次の「古艶歌」(『藝文類聚』巻巻八十八)を挙げる。ただし、曹植がこの楽府詩に基づいたかは未詳としている。

南山石嵬嵬  南山 石嵬嵬たり、
松柏何離離  松柏 何ぞ離離たる。
上枝拂青雲  上枝は青雲を拂ひ、
中心十数囲  中心は十数囲。
洛陽発中梁  洛陽 中梁を発し、
松樹窃自悲  松樹 窃かに自ら悲しむ。
斧鋸截是松  斧鋸 是の松を截(き)り、
松樹東西摧  松樹 東西に摧(くだ)かる。
持作四輪車  持って四輪の車を作り、
載至洛陽宮  載せて洛陽宮に至る。
観者莫不歎  観る者は歎ぜざる莫く、
問是何山材  問ふ 是れ何れの山の材なるかと。
誰能刻鏤此  誰か能く此を刻鏤せん。
公輸与魯班  公輸と魯班となり。
被之用丹漆  之に被(かぶ)するに丹漆を用ひ、
薫用蘇合香  薫ずるに蘇合香を用てす。
本自南山松  本自り南山の松たり、
今為宮殿梁  今は宮殿の梁と為る。