05-41 霊芝篇(鼙舞歌2)
05-41 霊芝篇(鼙舞歌2) 霊芝篇(鼙舞歌2)
【解題】
『宋書』巻二十二・楽志四所収「魏陳思王鼙舞歌五篇」の其二。『楽府詩集』巻五十三、『詩紀』巻十三にも収載。詩の本文は、基本的に『宋書』に拠る。「鼙舞歌」については、「鞞舞歌 有序 五首(序)」(05-39)を参照されたい。本作品は、漢代「鼙舞歌」の「殿前生桂樹」に当てて作られた(『宋書』楽志四)。この漢代「殿前生桂樹」に類似する句として、古楽府「相逢狭路間行」(『玉台新詠』巻一)に「中庭生桂樹(中庭に桂樹を生ず)」とある。
霊芝生玉池 霊芝 玉池に生じ、
朱草被洛濱 朱草 洛濱を被ふ。
栄華相晃燿 栄華 相晃燿し、
光采曄若神 光采 曄くこと神の若し。
古時有虞舜 古時に虞舜有り、
父母頑且嚚 父母は頑にして且つ嚚なり。
尽孝於田隴 孝を田隴に尽くし、
烝烝不違仁 烝烝として仁に違はず。
伯瑜年七十 伯瑜は年七十にして、
采衣以娯親 采衣して以て親を娯しましむ。
慈母笞不痛 慈母 笞うてど痛まざれば、
歔欷涕沾巾 歔欷して 涕 巾を沾す。」
丁蘭少失母 丁蘭は少くして母を失ひ、
自傷蚤孤煢 自ら 蚤(つと)に孤煢なるを傷む。
刻木当厳親 木を刻みて厳親に当て、
朝夕致三牲 朝夕に三牲を致す。
暴子見陵侮 暴子に陵侮せられ、
犯罪以亡形 罪を犯して以て形(刑)を亡(わす)る。
丈人為泣血 丈人は為に泣血し、
免戻全其名 戻(つみ)を免れて其の名を全うす。」
董永遭家貧 董永は家の貧するに遭ひ、
父老財無遺 父は老いて財は遺る無し。
挙仮以供養 挙仮して以て供養し、
傭作致甘肥 傭作して甘肥を致す。
責家填門至 責家は門に填(み)ちて至り、
不知何用帰 知らず 何を用てか帰らしめん。
天霊感至徳 天霊 至徳に感じて、
神女為秉機 神女 為に機を秉(と)る。」
歳月不安居 歳月は安居せず、
烏乎我皇考 烏乎 我が皇考。
生我既已晩 我を生むこと既に已に晩く、
棄我何其蚤 我を棄つること何ぞ其れ蚤(はや)き。
蓼莪誰所興 蓼莪は誰の興ぜし所ぞ、
念之令人老 之を念ずれば人をして老いしむ。
退詠南風詩 退きて南風の詩を詠ずれば、
灑涙満褘抱 涙を灑ぎて 褘に満ちて抱く。」
乱曰 乱に曰く、
聖皇君四海 聖皇 四海に君たり、
徳教朝夕宣 徳教 朝夕に宣べらる。
万国咸礼譲 万国 咸(みな)礼譲し、
百姓家粛虔 百姓 家〻粛虔たり。
庠序不失儀 庠序は儀を失はず、
孝悌処中田 孝悌は中田に処る。
戸有曾閔子 戸〻に曾・閔子有り、
比屋皆仁賢 屋を比べて皆仁賢なり。
髫齔無夭歯 髫齔に夭歯無く、
黄髪尽其年 黄髪は其の年を尽くす。
陛下三万歳 陛下 三万歳、
慈母亦復然 慈母も亦た復た然り。」
【押韻】濱・神・嚚・仁・親・巾(上平声17真韻)。煢・名(下平声14清韻)、牲(下平声12庚韻)、形(下平声15青韻)。遺(上平声06脂韻)、肥・帰・機(上平声08微韻)。考・蚤・老・抱(上声32晧韻)。宣・虔・然(下平声02仙韻)、田・賢・年(下平声01先韻)。
【通釈】
霊芝が玉づくりの池に生じ、紅色の仙草が洛水の岸辺一面に茂っている。草木の花々は互いに照り映えて、光の綾が神々しいばかりに輝いている。太古の昔、虞舜というものがいて、その父母は頑迷で、しかも口やかましかったけれども、田畑で働いて孝養を尽くし、せっせと親孝行に励んで仁に悖ることがなかった。伯瑜は七十歳になっても、あでやかな彩りの衣服を着て親を喜ばせ、慈母の笞うつのが痛くなくなったことにその老いを感じ、すすり泣いて涙が手拭いをぐっしょり濡らした。」
丁蘭は幼少にして母を失い、早くに一人ぼっちとなってしまったことを自ら傷み、木を刻んで両親に見立て、朝夕に牛・羊・豚の三種の供え物を捧げた。ところが、乱暴者に凌辱されて、刑罰を受けることを忘れて罪を犯した。木彫りの家長は彼のために血の涙を流し、この奇跡によって丁蘭は罪を免れてその名誉を全うした。」
董永は家の貧窮という不運にめぐり合わせ、父は年老いて彼に残す財産もなかった。そこで彼は借金をして廟に供え物をし、小作人として働いて亡き父によく肥えた美味なる肉を届けた。借金取りは門を埋めるほどにやってくるが、いったい何を用いて帰っていただこうか。すると、天上の神霊が董永の至徳に感じ入り、天から下された神女が彼のために機織りをすることとなった。」
歳月はひとところに留まってはくれないものだ。ああわが父よ。我に生を与えたのはとても遅かった上に、我を見捨てて逝去したのはなんと早かったことか。「蓼莪」(『詩経』小雅)は、誰がこれを暗喩で詠じたのか、この詩を繰り返し思えば、私はすっかり老け込んでしまう。退居して南風の詩(『詩経』邶風「凱風」)を詠ずれば、流れる涙がひざ掛けいっぱいに満ちる。」
歌いおさめに曰く、聖なる皇帝は天下四海に君臨し、仁徳ある教令が朝夕に宣布される。万国はみな礼儀正しく譲りあい、百官は家々で慎み深く暮らしている。学び舎では折り目正しく教育が行われ、父母や目上の者によく仕えよとの教えが村の中に根付いている。各戸に曹参や閔子騫のような孝行者がおり、住人たちは軒を連ねてみな心優しき賢者である。幼児に早逝する者はなく、年配者はその天寿を全うする。陛下におかれては三万年の長寿であらせられますよう、慈母におかれてもまた同様であらせられますよう、祈念いたします。
【語釈】
○霊芝生玉池 「霊芝」は、伝説上の仙草。海上の三神山に生ずる、仙人の食べ物(『文選』巻二、張衡「西京賦」の薛綜注)。「池」字、『宋書』楽志は「地」に作る。今、『文選』巻三十一、江淹「雑体詩・顔延之(侍宴)」李善注に、「陳思王霊芝篇曰、霊芝生玉池(陳思王の霊芝篇に曰く「霊芝 玉池に生ず」と)」とあるのに拠って改める。『三国志(魏志)』巻二・文帝紀、黄初三年の条に「是歳、穿霊芝池(是の歳、霊芝の池を穿つ)」と記される史実を踏まえるか。なお、これに類似する句を詩歌の冒頭に配する例として、『玉台新詠』巻一に枚乗「雑詩九首」其六として採録する古詩に「蘭若生春陽(蘭若 春陽に生ず)」、『後漢書』巻八十下・文苑伝に引く酈炎の詩に「霊芝生河洲(霊芝 河の洲に生ず)」と。
○朱草被洛濱 「朱草」は、徳治に応じて生ずる、紅色のめでたい草。『鶡冠子』度万篇に、聖人の徳が天地万物に及んだ結果として「膏雨降、白丹発、醴泉出、朱草生、衆祥具(膏雨降り、白丹発し、醴泉出で、朱草生じて、衆祥具はる)」と。
○栄華相晃燿 「栄華」は、草木類の花。「晃燿」は、光り輝く。「燿」は「耀」に同じ。
○虞舜 伝説上の聖天子、舜。その王朝名が「虞」であることから、舜をこう称する。
○父母頑且嚚 『尚書』堯典に、「岳」(長官)が「虞舜」について「瞽子。父頑母嚚、象傲、克諧以孝、烝烝乂不格姦(瞽の子なり。父は頑 母は嚚、象は傲なれども、克く諧するに孝を以てし、烝烝として乂(をさ)めて格姦せず)」と。
○尽孝於田隴 舜が畑仕事によって孝養を尽くしていたことは、たとえば『焦氏易林』「観之観」に「歷山之下、虞舜所処。躬耕致孝、名聞四海(歷山の下、虞舜の処る所なり。躬(みづか)ら耕して孝を致し、名は四海に聞こゆ)」、『列女伝』賢明伝「周南之妻」に「昔舜耕於歷山、……。非舜之事,而舜為之者,為養父母也(昔 舜は歷山に耕し、……。舜の事に非ず、而して舜之を為すは、父母を養ふ為なり)」と見えている。また、『孟子』万章章句上には、「舜往于田、号泣于旻天(舜は田に往き、旻天に号泣す)」の理由を、父母への「孝子の心」として論ずる対話が見え、その趙岐注には「謂耕于歴山之時(歴山に耕す時を謂ふ)」と解説されている。
○烝烝不違仁 「烝烝」は、よき方向へ進めるさま。前掲注「父母頑且嚚」に挙げた『尚書』堯典の孔安国伝に、「烝、進也(烝は、進なり)」「言能以志孝、和諧頑嚚昏傲、使進進以善、自治不至於姦悪(言ふこころは能く志孝を以て、頑嚚昏傲を和諧せしめ、進進として以て善ならしめ、自ら治めて姦悪に至らず)」と。「不違仁」は、『論語』雍也篇に、孔子が顔回を評して「回也、其心三月不違仁(回や、其の心は三月 仁に違はず)」とある。
○伯瑜年七十、采衣以娯親 「伯瑜」は、母の笞が痛くなくなったことに母の老いを感じて泣いた故事で知られる韓伯瑜(『藝文類聚』巻二十に引く『説苑』)。現行の『説苑』建本篇に、「伯兪有過、其母笞之、泣。其母曰、他日笞子、未嘗見泣、今泣、何也。対曰、他日兪得罪、笞嘗痛。今母之力衰、不能使痛、是以泣也(伯兪に過ち有りて、其の母は之を笞(むちう)ち、泣く。其の母曰く、『他日子を笞つに、未だ嘗て泣を見ざるに、今泣くは、何ぞや』と。対へて曰く、『他日 兪が罪を得しとき、笞は嘗て痛し。今母の力は衰へて、痛からしむること能はず、是を以て泣くなり』と)」と。「伯兪」は「伯瑜」に同じ。「采衣」は、子供が着るような色どりの衣服。七十歳にしてそれを着て親を喜ばせたことは、老莱子の故事として知られる。たとえば、『初学記』巻十七に引く『孝子伝』に、「老莱子至孝、奉二親、行年七十、著五綵褊襴衣、弄鶵鳥於親側(老莱子ハ至孝にして、二親に奉(つか)へ、行年七十にして、五綵の褊襴の衣を著し、鶵鳥を親の側に弄ぶ)」と。
○歔欷涕沾巾 「歔欷」は、すすり泣く。双声語。「涕沾巾」は、張衡「四愁詩四首」(『文選』巻二十九)の「四思」に「側身北望涕沾巾(身を側てて北のかた望めば涕は巾を沾す)」と見える。「巾」は、腰に下げるハンカチ(『説文解字』七篇下、巾部)。
○丁蘭 孝行者として知られる人物。その故事を記した文献として、たとえば孫盛『逸人伝』(『初学記』巻十七)に、「丁蘭者、河内人也。少喪考妣、不及供養、乃刻木為人、髣髴親形、事之若生、朝夕定省。其後隣人張叔妻、従蘭妻有所借、蘭妻跪報木人、木人不悦、不以借之。叔酔疾来、誶罵木人、以杖敲其頭。蘭還、見木人色不悦、乃問其妻、妻具以告之、即奮剣殺張叔。吏捕蘭、蘭辞木人去。木人見蘭、為之垂涙。郡県嘉其至孝通於神明、図其形像於雲台也(丁蘭なる者は、河内の人なり。少くして考妣を喪ひ、供養に及ばず、乃ち木を刻して人を為り、親の形に髣髴たり、之に事へて生けるが若く、朝夕に定省す。其の後 隣人張叔の妻、蘭の妻従り借らん所有り、蘭の妻は跪きて木人に報ずれば、木人は悦ばず、以て之を借さず。叔は酔ひて疾く来り、木人を誶罵して、杖を以て其の頭を敲く。蘭は還りて、木人の色悦ばざるを見て、乃ち其の妻に問ひ、妻は具に以て之に告ぐれば、即ち剣を奮ひて張叔を殺す。吏は蘭を捕へ、蘭は木人に辞して去る。木人は蘭を見て、之が為に涙を垂る。郡県は其の至孝の神明に通じたるを嘉し、其の形像を雲台に図くなり)」と。
○蚤孤煢 早くに天涯孤独となる。
○厳親 おごそかな親。父母をいう。『易』家人卦、彖伝に「家人有厳君焉。父母之謂也(家人に厳君有り。父母の謂なり)」と。あるいは、下文の「丈人」との整合性から父とのみ捉えるか。
○致三牲 「三牲」は、牛・羊・豕の三種のいけにえ。これを親に捧げて孝養を尽くす。『孝経』紀孝行章に、三つの不適切な態度が除かれない場合、「雖日用三牲之養、猶不為孝也(日に三牲の養を用ふと雖も、猶ほ孝とは為さざるなり)」と。
○暴子見陵侮 「暴子」は、前掲注「丁蘭」に引いた『逸人伝』に見える「張叔」。「見陵侮」は、「暴子」に凌辱されることをいう。
○亡形 「亡」は忘、「形」は刑に通ず。
○丈人 年配者への敬称、あるいは家長をいう。ここでは木彫りの父親。前掲『逸人伝』に照らして、「丈」は木に作るべしとする見方もあるが、テキストに異同が見当たらないので改めないでおく。
○董永 孝行者として知られる人物。その故事を記した文献として、たとえば劉向『孝子図』(『太平御覧』巻四一一)に、「前漢董永、千乗人。少失母、独養父、父亡、無以葬、乃従人、貸銭一万。永謂銭主曰、後若無銭、還君当以身作奴。主甚愍之。永得銭葬父畢、将往為奴、於路忽逢一婦人、求為永妻。永曰、今貧若是、身復為奴。何敢屈夫人之為妻」。婦人曰、願為君婦。不恥貧賤。永遂将婦人至銭主。曰、本言一人。今何有二。永曰、言一得二、理何乖乎。主問永妻曰、何能。妻曰、能織耳。主曰、為我織千疋絹、即放爾夫妻。於是索絲、十日之内、千疋絹足。主驚、遂放夫婦二人而去。行至本相逢処、乃謂永曰、我是天之織女。感君至孝、天使我償之。今君事了、不得久停。語訖、雲霧四垂、忽飛而去(前漢の董永は、千乗人なり。少くして母を失ひ、独り父を養ひしが、父亡くなり、以て葬る無く、乃ち人に従ひて、銭一万を貸る。永は銭主に謂ひて曰く「後に若し銭無くんば、君に還りて当に身を以て奴と作らん」と。主は甚だ之を愍れむ。永は銭を得て父を葬り畢はり、将に往きて奴と為らんとするとき、路に於いて忽として一婦人に逢へば、求めて永の妻と為らんとす。永曰く「今は貧しきこと是くの若く、身は復た奴と為る。何ぞ敢へて夫人の妻と為らんに屈せんや」と。婦人曰く「願はくは君が婦と為らんことを。貧賤を恥ぢず」と。永は遂に婦人と銭主に至る。曰く「本は一人と言へり。今何ぞ二有りや」と。永曰く「一と言ひて二を得るは、理として何ぞ乖(もと)らんや」と。主は永の妻に問ひて曰く「何をか能くす」と。妻曰く「織を能くするのみ」と。主曰く「我の為に千疋の絹を織らば、即ち爾ら夫妻を放たん」と。是に於いて絲を索め、十日の内に、千疋の絹足れり。主驚き、遂に夫婦二人を放ちて去らしむ。行きて本相逢ふ処に至り、乃ち永に謂ひて曰く「我は是れ天の織女なり。君が至孝に感じて、天は我をして之を償はしむ。今君事了(をは)れば、久しく停まるを得ず」と。語り訖りて、雲霧四より垂れ、忽として飛びて去る)」と。
○挙仮 金銭を借りる。挙債という語にほぼ同義か。最も近い時代の用例として、『梁書』巻二十一・王志伝に「京師有寡婦無子、姑亡、挙債以斂葬(京師に寡婦の子無き有り、姑亡くなりて、挙債して以て斂葬す)」と。
○傭作致甘肥 「傭作」は、人に雇われて耕作する。「甘肥」は、美味しく脂ののった肉。
○責家 金銭の貸し主。
○不知 いったい……だろうか。下に疑問詞を伴う。
○皇考 亡くなった父を祭るときの敬称。『礼記』曲礼下に「祭王父曰皇祖考、……父曰皇考(王父を祭るには皇祖考と曰ひ、……父は皇考と曰ふ)」と。
○生我既已晩 「生我」は、下文の「蓼莪」(『毛詩』小雅)にいう「父兮生我、母兮鞠我(父や我を生み、母や我を鞠(やしな)ふ)」を踏まえる可能性がある。「既已」は二字で一語か。東方朔「七諫・怨世」(『楚辞章句』巻十三)にいう「年既已過太半兮、然埳軻而留滞(年は既已に太半を過ぎ、然れども埳軻(轗軻に同じ)して留滞す)」をはじめ、用例多数。
○棄我何其蚤 「其」字、『宋書』楽志は「期」に作る。対句を為す「生我既已晩」とのバランスから見て、「其」に作る方がよいか。今、『楽府詩集』他によって改める。
○蓼莪 『毛詩』小雅の篇名。その小序に「蓼莪、刺幽王也。民人労苦、孝子不得終養爾(蓼莪は、幽王を刺るなり。民人労苦して、孝子は養を終ふるを得ざるのみ)」と。
○念之令人老 類似表現として、たとえば『文選』巻二十九「古詩十九首」其一に「思君令人老(君を思へば人をして老いしむ)」と。
○南風詩 『毛詩』邶風「凱風」を指す。本文に「凱風自南、吹彼棘心(凱風南自りし、彼の棘心を吹く)」、毛伝に「南風、謂之凱風(南風、之を凱風と謂ふ)」と。その小序に「凱風、美孝子也(凱風は、孝子を美するなり)」と。
○灑涙満褘抱 「灑涙」は、涙を流す。「涙」は「灑」の目的語であり、「満」の主語でもある、と捉えておく。「褘抱」は、他に用例が見当たらない。「褘」は、ひざかけ。『説文解字』八篇上、衣部に「褘、蔽膝也(褘は、膝を蔽ふものなり)」と。「抱」は、「満褘」に呼応して、両腕いっぱいに抱くことをいうか。あるいは、『釈名』釈衣服にいう「王后之上服曰褘衣(王后の上服を褘衣と曰ふ)」、「抱腹、上下有帯、抱裹其腹、上無襠者也(抱腹は、上下に帯有り、其の腹を抱裹し、上に襠無き者なり)」を踏まえ、王侯の上着の前面に当たる部分をいうと捉えておくか。
○乱 歌辞の末尾で全体をまとめる部分。『楚辞』離騒の王逸注に「乱、理也。所以発理詞指総撮其要也(乱は、理むるなり。理を詞指に発し総じて其の要を撮る所以なり)」と。
○聖皇君四海 「聖皇」は、皇帝に対する尊称。ここでは魏の文帝、曹丕を指す。「四海」は、四方の海の内、天下をいう。
○徳教 君主の仁徳あふれる教化。上文の「四海」と併せた用例として、『孟子』離婁章句上に「沛然徳教溢乎四海(沛然として徳教は四海に溢る)」と。
○万国咸礼譲、百姓家粛虔 「礼譲」は、礼節を以て譲り合う。『論語』里仁に「能以礼譲為国乎、何有(能く礼譲を以て国を為(をさ)めんか、何ごとか有らん)」と。「百姓」は、百官。『尚書』堯典に「九族既睦、平章百姓、百姓昭明、協和万国(九族は既に睦みて、百姓を平章し、百姓は昭明にして、万国を協和せしむ)」、孔安国伝に「百姓、百官(百姓は、百官なり)」と。
○庠序不失儀、孝悌処中田 「庠序」は、教化を行うための学び舎。「孝悌」は、親孝行や年長者への恭順といった道徳規範。『孟子』梁恵王章句上に、よく国を治める方法として「謹庠序之教、申之以孝悌之義(庠序の教を謹み、之を申ぶるに孝悌の義を以てす)」とあるのを踏まえる。
○曾閔子 曹参と閔子騫。いずれも孔子の弟子で、孝行者として知られる(『史記』巻六十七・仲尼弟子列伝)。
○髫齔 髪をすずしろにし、歯の抜け替わる頃の幼児。『後漢書』巻八十下・文苑伝下(辺譲)に「髫齔夙孤(髫齔にして夙に孤となる)」、李賢等注に「髫、翦髪為鬌也。齔、毀歯也(髫は、髪を翦りて鬌(すずしろ)と為すなり。齔は、歯を毀つなり)」と。
○黄髪 白髪がさらに年を重ねて黄ばんだ状態の老人。
○陛下 魏の文帝、曹丕。
○慈母 曹丕と曹植の母である卞皇后。