詩想と様式

以前にもこちらの雑記で述べたとおり、
曹植の「種葛篇」「浮萍篇」には、夫婦の離別に兄弟の決裂が重ねられています。
これらの作品から、魏の文帝として即位して後の兄曹丕に対する、
曹植の思いを探ることができるでしょう。

一方、同じ黄初年間の曹植には、
臣下(鄄城王)の立場から、魏の文帝としての曹丕に対して献上された、
「責躬詩」「応詔詩」のような作品もあります。

また他方、曹丕が父曹操の跡を継ぐ以前の建安年間、
曹植は、魏王国で開催される宴の様子を描写する「娯賓賦」「侍太子坐」詩の中で、
第三者の立場から、「公子」としての兄の様子を描き出しています。

加えて、曹植は同じ建安年間、
王粲や阮瑀らと同じ場で競作されたと思われる「七哀詩」の中で、
自分と曹丕とを離別した夫婦になぞらえて詠じています。

これらの作品に現れる、曹植の曹丕に対するスタンスは一様ではありません。
それは、時期の違いということばかりではなくて、
それを詠ずる様式の違いにも大きく由っているように思います。

曹植は兄曹丕のことをどのように思っていたのか。
このことを探るためには、時期を追って、詠じられた内容を見ていくだけでは不十分で、
個々の作品が備えている枠のようなものを視野に入れる必要があると考えます。
枠とは、場合ごとに選択的に用いられる作品様式といったことです。
そして、その枠は、曹植自らが選び取った場合もあれば、
そうでない場合もあって、その弁別も不可避です。

2024年8月5日