曹植と張華とを結ぶ糸(承前)

あけましてこんにちは。

これまでの日々雑記から曹植関連の記事を読み返してみました。
すると、これまで別々に指摘していたことを結び付けて、
より考察を深めていけるかもしれないと思うことが幾つか出てきました。

たとえば、曹植「箜篌引」(『文選』巻27)が、
西晋王朝で、「野田黄雀行」のメロディに乗せて歌われていることについて。(2020.04.01)

曹植の「箜篌引」は、
側近たちのために設けた宴席の情景を詠ずるもので、
彼の「贈丁廙」詩(『文選』24)と、
同じ場面を詠じながら、宛先の有無だけが異なっていると看取されます。(2020.04.03)
すると、「箜篌引」は、曹植が後に喪うことになる腹心の友人たちを想起させるでしょう。

他方、「野田黄雀行」は、友人を救えなかった自身の不甲斐なさを深く内に刻み込みながら、
危機に瀕した黄雀を助け出せた少年を、つかの間幻視して詠じたと見られます。(2020.10.24)

ところで、曹植「箜篌引」の歌辞を「野田黄雀行」の曲に乗せた歌曲は、
晋楽所奏の「大曲」に分類されるものです。
「大曲」は、荀勗が晋楽を記した「荀氏録」に記録された形跡が残っていません。
「荀氏録」が「清商三調」を収録するものだとすると、
「大曲」は「清商三調」とは別の歌曲群だということになります。(2020.04.02)

思えば、西晋王朝の宮廷音楽の歌辞制作者には、荀勗以外にも張華がいます。
この張華が「大曲」の編集に関わったという可能性はないだろうかと、ふと思いました。
張華作の宮廷歌曲の歌辞に、曹植とのつながりを微かに示唆する表現が認められたからです。(2020.12.21)

また、曹植「七哀詩」に基づく晋楽所奏「怨詩行」は、『宋書』楽志三に楚調とされていますが、
これも「荀氏録」には記録されていません。
こちらの「漢魏晋楽府詩一覧」を並べ替えてご覧いただければ幸いです。)

ここからは単なる妄想ですが、
曹植「七哀詩」を晋楽所奏の楚調「怨詩行」に作り直したのも、
もしかしたら張華かもしれないと思いました。

同じ推論ならば、少なくとも、荀勗よりははるかに可能性が高いと言えます。
以前、「怨詩行」が荀勗のアレンジによるものだろうとの推論(こちらの学術論文№43)を、
彼の所業とどうしても齟齬を来してしまうことに困惑しつつ論じたことがあります。
ですが、張華であればすんなりと納得できます。
ちなみに、寒門ながら名望ある張華を、荀勗は疎んじていたといいます(『晋書』巻36・張華伝等)。

それではまた。

2021年1月4日